子守猫、守り猫
 其の壱

にゃあにゃあみいみいと道端で泣いていたのがついこの前。そこをひょいと無骨な手に掴まれて、しばらくぶらんぶらんと運ばれた後、またひょいと柔らかい手に渡されたのもついこの前だ。
というか、猫には「この前」しかない。
だからこの異様に弱々しくてふにゃふにゃした生き物が来たのも「この前」のことだ。
この左衛門と呼ばれる弱い生き物が来る前、屋敷がちょっとバタバタしていた気がし、そのあとあの無骨な手の持ち主の小十郎とやらが騒がしい女たちからやや邪険にされていた気もするが、トラと名付けられた茶色の猫にはよくわからないことだ。ともかく柔らかい手の蔦はそれ以来左衛門にかかりきり。
トラには少しそれが面白くなかったが、ともかく左衛門は弱いので仕方あるまい。そう思ってふにゃふにゃの左衛門の前で尾を振るときゃっきゃっとよろこぶので、段々悪い気がしてこなくなってきたトラである。猫は単純である、特にトラの場合は。


ところでトラには屋敷での立派なお役目がある。
それは鼠捕りだ。美味い物がたくさんある厨と言う場所であの騒がしい女たちがやれ野菜をかじられた、木の椀をかじられたと騒ぐので、かじった奴をやっつけたら思いのほか褒められて、トラは大得意になって鼠を捕った。鼠を捕ると女たちが褒美をくれる。こうしてトラと女たちの協定は成立した。
昼間は鼠を追いまわし、夜は蔦と左衛門の傍で過ごすのがトラの習いになった。時々そこに小十郎がやってくる。トラは静かなその場所が好きだった。あうあうしゃべる左衛門の前で尾を振れば、赤子と母が笑い、それを見て父が穏やかな顔をする。トラは一家をそうやって静かに喜ばせるのも好きだった。
ある晩のこと。なにやら小十郎がじっと見つめてくるのでトラは左衛門の横でブンと尾を振った。すると小十郎はやにわに立ちあがって部屋を出ていった。蔦が不思議そうにしていると、しばらくして戻ってきた小十郎の手には薪が一本と小刀が一つ。それから小十郎はトラを抱き上げた後座り直させて
「動くなよ」
と言った。
それは無理がある、とトラがタンと尾で床を叩いても小十郎は意にかえさない。そして小十郎はトラから少し離れた真正面に座ると薪とトラを見比べ始めた。しばらくそうした後、小十郎は薪に小刀を当てた。はらりと木屑が落ちたのを見て今度は蔦が立ち上がって出ていった。戻ってきた蔦は茣蓙を一巻き抱えている。
「これをお敷きくださいな」
蔦はそう言って茣蓙を小十郎の前に広げた。
「ああ……気付かなかった、すまねぇ」
小十郎は床に落ちた木屑を集めてから茣蓙の上に座り直し、また薪に小刀を当てる。蔦はそれをしばらく穏やかに見つめた後、自分も針仕事をし始めた。トラはわけがわからないので、尾を振る。それでも一応律儀にきちんと座っておくことにした。
そんな晩がいくつか続いた。

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