雪解け
 其の弐

蔦のもとを重定夫妻が訪れた同じ日の午前には奥州制圧のための出陣の日が三日後と決まり、小十郎は一旦下城することとなった。そのまま城に詰めると言い張る右目に、政宗は呆れたように言った。
「家族居るんだからさっさと帰れ。家族serviceはしとくもんだぜ」
「さぁびす」の意味は測りかねたが、確かにしばらく蔦の顔も見ていないし左衛門の様子も気になる。それに出陣前に妻と子の顔を見ていきたい、という常人らしい欲求が胸の中にあるのに気付いて、小十郎は素直にそれに従った。
屋敷に帰りつけば、女中が出てきて
「奥さまはお休みになられています」
と言った。そして続けて
「左衛門さまは、お舅さまとお姑さまとお散歩に」
と言う。小十郎は目を見開いた。
「矢内殿と奥さまが?」
「はい、左衛門さまにお会いに来られて」
「そうか」
後で挨拶をせねば――そう思って屋敷に上がり、蔦の休む部屋を目指した。
辿り着けば、蔦は床を延べずにその場に羽織をかけて横になっているだけだった。手をまくら代わりにしている所を見れば、あまり深く眠らないようにとの配慮だということが察せられた。小十郎はため息をついて、その横へ座る。体が痛くないのか、と少し呆れる。手はしびれないのか――ふとそう思って、ころりとそこへ横になる。そして片手で優しく蔦の頭を持ち上げて、もう片方で蔦の小さな手を頭の下から解放してやり、その代わりにそこへそのままその腕を入れる。腕枕、というやつだ。少しでも蔦が楽になれば、と思ってやったことだが、蔦が瞼を震わせて目を開けた。
「……悪い、起こす気じゃなかったんだが」
「いえ……お帰りなさいませ」
身を起こそうとする蔦を制して、小十郎は言う。
「いい。このままで」
蔦は逆らわず、小十郎の腕に頬ずりした。小十郎はもう一方の手で蔦の艶やかな黒髪を撫でる。
「……三日後に出立する」
蔦が目を見開いた。そんな蔦を見つめながら、小十郎は言う。
「留守を頼む」
「はい」
蔦の返答にはいつも迷いがない。だからこそいつも安心して出ていける。小十郎はこの妻のありがたさをまた思い知る。そう思っていると、蔦の瞳がふと揺れた。
「あの」
言い淀む妻に目だけで促せば、蔦は先を言った。
「ひとつだけお願いが……、ぎゅっとしていただいても、いいですか」
少し恥ずかしげに、だが真摯に言った蔦はそっと身を寄せてきた。察して小十郎は髪を撫でていた手を妻の背に回す。すると、蔦の手が背中にそっと添うのがわかった。
互いの背に腕を回せば抱いているのか、抱かれているのかわからなくなる。
戦に出れば遠くなるぬくもりを間近に感じて、小十郎は目を瞑った。
蔦は何も言わない。小十郎は愛しい女の髪に顔をうずめ、忘れないようにとその香りを吸い込んだ。


散歩に出た蔦の父母はそのころ、屋敷から少し離れた静かな場所を歩いていた。夫の重定から孫の左衛門を受け取り、辺りを見せながら歩く妻がふとぽつりと言った。
「左衛門を矢内の家に連れて帰りましょうか」
「……?」
重定が訝しげな顔をすると、祖母であり妻であり、また母である女が言う。
「左衛門を連れていけば、家に蔦が戻ってまいります。そうすれば、片倉の家からあの子を引き離すことができます」
「……お前ね。蔦が納得するとは思えないよ」
「だって、あの男。なんであなたはそんなに冷静なんです」
怒りを見せ始めた祖母に左衛門が不安そうな顔をした。
「ほら、左衛門が嫌がってるぞ」
言うと、妻はあわてて孫をあやした。妻に抱かれる孫の頭を撫でて、言う。
「蔦は全部受け入れている。もう嫁にやった娘だ。帰ってきたいと言ったわけじゃない。私らに出番はないよ。諦めなさい。あの子は意外に頑固だ」
「――頑固なのは知っておりますよ、あなたよりもよく」
はあ、と重定の妻がため息をついた。
「出世頭だからといって、見合いさせるんじゃありませんでしたよ。大殿の勧めとはいえ」
重定は苦笑するしかない。
「蔦も片倉殿もそんなに惹かれあってるようには見えなかったんだがね――男女の仲というのは未だにわからん。そうだろ?」
言うと重定の妻は、はあ、とまたわざとらしくため息をついた。
歳を重ねた夫婦がまだ若い娘夫婦の屋敷に孫を抱えて戻れば、意外な光景を目にすることとなった。
一枚の羽織の下で、若い夫婦が互いの体に腕をまわし眠っているのだ。寄り添って転寝するその姿は、若い二人を少し幼くしているようにも思えた。
穏やかな光景だったが、嫁にやったとはいえ娘の父は一瞬狼狽し、母の方は目を見開いた。
しかし祖母の腕の中で孫が仲の良い父と母を見つけて喜んで、祖父母の苦笑を誘った。
「――だがしかし、お前もこれで諦めがついたろう」
重定に言われて、蔦の母はため息をついた。
「蔦が片倉殿を好いているのはよぅくわかりました。……片倉殿も、蔦に腕なんか貸して。……仕方ありませんね」
祖母の腕の中で、孫がひときわ嬉しそうに笑った。

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