雪解け
 其の壱

“ソレ”が夫の主君伊達政宗、ひいてはその正妻愛姫に露見していると蔦が知ったのは、政宗の奥州制圧のための遠征が決まった頃だった。
その事実に蔦は青ざめた。ひた隠しにしてきたことだと思っていた。そして、それは成ったと思っていた。
左衛門を腹に抱えて川に流されようとしたあの日――愛姫とその侍女で義姉の喜多に夫の願いを打ち明けてしまうことになったあの時、蔦は“ソレ”をうまく隠したつもりだった。
“ソレ”とは夫が子を諦めてくれといった理由のうちのひとつ、主君夫妻に子がない、ということであった。
蔦は心配する主君の妻と義姉を前に、小十郎が子を諦めてくれと言った理由をただひたすらに、亡くなった人への申し訳なさを感じながら、縁を結んでくださった大殿や夫に目をかけていただいた遠藤殿が亡くなったこの時期に慶事は許されませぬ、とだけ重ねて言った。
だが隠していた“ソレ”は成実に見抜かれ、政宗と愛姫の前に晒されたという。
主君夫妻に子がないから、子を諦めろ、などと――無礼極まりない。
確かに、政宗は小十郎より十若く、愛姫はもう二つ若い。だが、それは武家の妻にとってなんの理由にもならない。妻の一番の仕事は、輿入れしたら一日も早く嫡男をもうけ御家を安定させることなのだ。そして愛姫は輿入れから、すでに片手と少しの年月を嫁ぎ先で過ごしている。だか懐妊の兆候が見られたことはない。
小十郎の言った理由は侮辱ととられても仕方のないことなのだ。だからこそ、夫のため、主君の妻のため、蔦は隠した――隠して、どこぞへと持っていくつもりだった。
だがそれがすでに出来ないことだと蔦は事実を突き付けられ、迷い――そして筆を執った。愛姫宛てに文を書こう、と思ったのだ。
左衛門が眠る間、机に向かい、幾日も悩んだ。小十郎が遠征の準備のため、城に詰めていて戻らないのが幸いだった。紙をいくつも使い、墨をすり減らし、幾度も書いて、蔦は悩んだ。
一度
『死んでお詫びを』
などと書いて筆を止めた。
助けられた命をまた投げ出すとは愚かの極みである。蔦はすぐにその文章を塗りつぶした。何事も腹を切ればいい、と武士らしいがどこか妙な覚悟をしている夫の悪い癖が伝染してしまったのかとため息をつく。
やがて蔦は眠る左衛門の顔を眺めながら、素直に己の気持ちを書くことに決めた。
夫の無礼と、その無礼を是とし愚かにも腹に宿す左衛門ごと命を断とうとした己の行為の謝っても謝りきれない謝罪。
だがそれでも夫を――小十郎を憎めず、慕う己がいること。
愚かな父と母のもとへ、左衛門が五体満足で生まれてきてくれたことへの感謝。
政宗と愛姫の寛大さへの感謝してもしきれぬ感謝。
文は乱れて、うまくまとまらなかったが、それ以上のものは蔦には書けそうになかった。せめて書体だけでも読みやすく、と努める。やがて出来上がった文を丁寧に畳み、蔦は下男へ託した。下男は城、しかも奥方様への文だと聞いていくらか緊張したようだった。
その下男と入れ違いに女中がやってきて、告げた。
「お父様とお母様がおいでですよ」
言われて顔をそちらに向ければ、実父の重定が妻である蔦の母を連れてやってくる所だった。
「父上、母上」
嫁にやった娘が立ち上がろうとすると、父は笑ってそれを制した。
「そのままでいい。左衛門の顔を見にお邪魔したのだ」
「片倉殿もお留守とのことですし」
にこやかに言った父の言葉に続いた母の言葉には、どこかトゲがあった。初宮参りの帰りに実家に立ち寄った際、母も小十郎を許してくれたものと思っていたが、やはりそうはいかなかったらしいと蔦は肩を落とす。重定はそんな妻に少し困ったような顔をした。
母は眠る左衛門の側にさっと歩み寄り、膝を折る。にっこりと孫を眺めた後、ふと顔を曇らせた。
「こんな可愛い子を、諦めろなど」
「やめないか」
重定が言うと、蔦の母は恨みがましい目で夫を見上げた。蔦もそんな母を見て言う。
「私からもお願い申し上げます、母上。蔦は小十郎さまのことがどうしても憎めませぬ」
「蔦……」
「むしろ、前にもましてお慕いする気持ちが強くなりました」
母は哀しげな視線を娘に向ける。蔦は背筋をしゃんと伸ばし、その視線をしっかりと受け止めた。だが母も負けない。
「嫌になったなら、いつでも左衛門と一緒に戻ってくるのですよ」
蔦はその言葉にゆっくりと首を横に振った。母が嘆息する。
「ですが、母上の想い――蔦は承知しております。母上と父上への感謝は、左衛門が生まれてから思い知るばかり」
蔦が指をついて深く頭を下げて言うと、重定は優しく笑って
「そうか。お前に三つ指をつかれたのなど、祝言以来だな」
と言い、それでも納得しかねる顔をする妻の傍らに座ると
「もうそれ以上言うな」
とだけ言った。やがて左衛門が目を覚まし、母方の祖父母を見つけて吃驚した顔をした。
きょとんとする孫息子を祖母が抱きあげる。
「ばあばとじいじですよ、左衛門」
「あー……う?」
泣きださない孫に重定がからから笑う。そして妻の手から孫を奪い、ほれほれ、と優しく体を揺らす。左衛門がきゃっきゃっと笑った。
蔦は微笑む。
「小十郎さまがそうなさるととても喜ぶのです」
「片倉殿が! はは、子守りとは縁遠そうな御仁に見えるが――いやはや」
「最近では抱くのも上手になられて。でも――戦があると左衛門が父を忘れてしまうのではないかと心配されておられました」
その言葉に、蔦の母は何か言いたげな顔をしたが重定が視線だけを動かして黙らせる。しばらく祖父と祖母は孫に夢中になっていたが、不意にふあ、と欠伸をした娘であり母である蔦の様子に気付いた。
「疲れているの?」
気遣わしげな母の声に蔦は苦笑する。
「最近は夜泣きもするので。……小十郎さまが城にお詰めになる前は、一緒に面倒を見ていただいたのですが、一人ではつらくて」
素直に言う娘に父と母は顔を見合わせた。それから重定が左衛門を抱えたままがひょいと立ちあがった。突然高くなった景色に左衛門が目を白黒させる。
「どれ、左衛門と散歩でもしてこよう。その間、お前は少し休みなさい」
「でも――」
「いいから。じいじとばあばに任せなさい」
父に言われて、母に微笑まれて、蔦は娘時代のように苦笑した。
「はい、わかりました」

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