泥中の蓮
 其の七

そしてその翌日、城から小十郎の姉、喜多が一時実家に戻って来た。
兄嫁と姉の一時無言のメンチの切り合いがあったが、勝ったのは姉の喜多であった。だが姉が戻ってきたのは兄嫁にたいして小姑らしく苦言を呈するためではなかった。
「お前、騒ぎを起こしたそうですね」
居住まいを正し背筋を伸ばして姉の前に座っていた小十郎は深く姉に頭を下げた。
喜多はため息をつく。
「後家の所に転がりこんだり、喧嘩まではまぁ見逃してあげましたけれど――今度ばかりは。人様の娘さんを巻き込んだとか。それも子どもを」
「反論のしようもございません」
深く頭を垂れる弟に喜多はおや、と眉を寄せた。
「口の利き方が少し変わったわね。反省、しているのですね」
「――……」
小十郎はすっと体を起こした。きちんと作った拳を腿の上に置く。
「この小十郎、心を入れ替え、稽古にも何事にも身を入れようと思っている所存」
喜多が目を見開いた。
「兵法以外の書にも目を通します。しかし、兵法にて学んだことは、以降、戦場以外では――決して使いません」
「お前、何かあったのですか」
「……泥中に蓮を見た、と言いましょうか」
その言い方に、喜多はしばしきょとんとした。しかしすぐに真面目な顔になる。
「では今度はお前が泥中の蓮にお成りなさい。――実は、お前に城に仕えないかという話があるのです」
「――!」
小十郎は驚いて姉を見つめた。喜多は複雑そうな顔をする。
「勢いで女衒のねぐらをひとつ潰したのがどう伝わったのか――殿が天晴な弟ではないか、城に仕えさせよ、と」
「――本当ですか」
「ええ。それと、お前、雷神を招聘できるそうですね。殿がそれを聞いて、さらに興味を持たれて。アレを扱えるのは真の武人のみ、と」
喜多はそこでじっと弟を観察した。
「本当に心を入れ替えると言うなら、この話、お受けしなさい。片倉には二度とない好機ですよ」
「心得ております。――姉上、小十郎に二言はありません」
言うと、喜多はにっこりした。


さて、その六年後――
大町の検断職にある矢内重定は頭を抱えていた。
16になった娘の見合い話がことごとく上手くいかないのだ。
親のひいき目を差し引いても、娘は働き者だし、容姿だって悪くはない。しかし、ことごとく先方から断られるのだ。なぜかはよくわからない。少し面白みがない所がだめなのか、と思うがそれを補って余りある美点が娘にはある――はずである。
執務の間で頭をかく矢内重定に声がかかった。
「矢内殿」
「うん?」
振り返れば同僚が神妙な顔をしている。
「あの、殿から――すぐに城に上がるようにと」
「え。……御用向きは」
「それがさっぱり」
何か仕事でへまをしただろうか、と重定は考えるがサッパリわからない。とりあえず自分の恰好が一国の主の前に出ても失礼にあたらないことを確認すると、重定はあわてて登城した。
謁見の間に通されて、国主伊達輝宗の前でひれ伏す。
「矢内和泉重定」
「はい」
「顔をあげよ」
言われて顔をあげれば、輝宗はにこにこと笑っている。その裏のない笑顔に、仕事上のことではない、と重定は本能的に確信した。
「そなたの娘、縁談が決まらぬそうだな」
「殿のお耳にまで。なんということ。まったくもって、恥ずかしいことですが……」
「確か16と言ったな」
「はい」
輝宗はそこで扇を取り出して、それを弄び始めた。その顔がにこにこから、にやにやというものへと移り変わっていく。
「見所のある男がいるのだが、そなたの娘と見合いさせてくれんか。釣書はほれ、この通り」
輝宗直々に釣書を差し出されて、重定は慌てて膝で進んでそれを受け取った。
「少し前まで暴れ者だったが、なかなかに忠義者でな。先ごろまで政宗の傅役をしておった。今後はそのまま政宗に近侍することになる」
輝宗の言葉を聞きながら重定は釣書を眺めていた。
「片倉……小十郎?」
「そう、諱は景綱というが、皆小十郎と呼ぶな。歳は21だ。どうだ、釣り合いがいいだろう?」
重定は釣書に目を落としたまま動かない。
「どうした、重定」
輝宗が不思議に思って問えば、重定は笑い顔で国主を見た。
「いやはや、片倉殿。そうですか。縁は異なもの味なもの、とよく言ったもので」
「うん? ――どういうことだ」
つい笑いだしてしまった重定は、六年前の出来事を輝宗に話して聞かせた。すると輝宗はまずきょとんとした後――愉快そうに笑いだした。
重定が話して聞かせたのは、小十郎が女衒のねぐらを壊したときのことである。あの場に、重定は部下とともにいたのだ。沙汰を下すものとして。検断職殿、と言われていたあの人物は重定本人であった。そしてその娘も、そこにいた。
「そうか。小十郎とそなたの娘、すでに縁があったか。しかも小十郎は娘に命を張ったとな。これは縁でしかあるまい!」
輝宗は扇で膝を叩いて喜んだ。
「では、この話小十郎にも通すぞ」
「はい、ありがたき幸せ。しかし片倉殿が覚えておられるかどうか。娘に後で聞いたところ、名前を知らぬと言っておりましたから。それに、私もあの当時の片倉殿を見て、毒にしかなるまいと思って娘には彼の名前は伝えておりません」
「よいよい。その方が面白い――して、そなたの娘の名前は何と言ったかな」
「蔦、と申します」


少女は六年の間に、それなりに美しく育った。働き者で優しい性分はそのままに。六年の月日は少女を女へと変えてしまったために、小十郎は蔦があの少女とは気付かなかった。
また蔦の方も、かつて自分のことを助けてくれたぶっきらぼうな青年のことはきちんと覚えていたが、それは立身出世した真面目な片倉小十郎景綱と結びつきにくく、またやがて蔦は小十郎を恋い慕うようになったので、かつての青年の姿はゆっくりとぼやけていった。だがそのぼやけた姿が、時折小十郎と重なり、蔦は首をかしげることになる。
その後、箪笥の奥にしまいこまれて忘れられたらしい端のほつれた藍染に白抜きの猫の模様がある手拭いを見つけて、かつての少女である妻が夫と青年が同じ人だと気付き、それを夫に告げたかどうかは――夫婦以外に、誰も知らない話である。

(了)

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2010年10月9日初出 2010年10月10日改訂
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