泥中の蓮
 其の六

「こちらです!」
数刻後、騒ぎが通報されたらしく役人たちがやって来た。
「おお、これは」
部下に先導された上役が惨状に唖然とする。男が七人ほどひどいけがをして転がっており、家は戸口と屋根の一部がが吹き飛んでおり、中もぐちゃぐちゃであった。
「検断職殿、向こうの倉に女たちが何人も隠されておりました!」
検断職と職の名で呼ばれた上役がすっと目を細くした。
「女衒の隠れ家だったか。町近くにねぐらを作るとは、まさしく木を隠すなら森といったところか」
言いながら、検断職は破壊された家に踏み込んだ。部下があちこちを調べて回っている。
「け、検断職殿」
「うん?」
部下の一人が検断職に話しかけてきた。
「あちらに……青年と少女がひとり。確認していただきたいのですが、もしかしたら」
「……?」
促されるままに進めば、少女を胸に抱きかかえて目をつむり力尽きたように座りこんでいる青年がひとり。抱かれる少女の身なりと姿を見て、上役は目を剥いた。
「うちの娘だ」
「……やっぱりですか」
部下がそういった。上役はそれを仕草で下がらせて、娘を抱く青年を揺さぶった。
揺さぶられて眉をひそめたあと、小十郎が目を開ける。だが視界がどこかぼんやりとして焦点が合わない。声だけがよく聞こえる。
「……私はこの辺りの検断を任されているものだ。通報があってここに参ったのだが、この騒ぎを起こしたのは君かね」
「検断……?」
「見た所、君は女衒の仲間ではないようだが」
それと、と検断を任されているという男は小十郎の腕の中の少女を示した。
「それはうちの娘なのだが……どうしてここに?」
小十郎は腕の中で泣き疲れて眠る少女を見下ろした。そして苦笑する。
「検断職の娘だったのか、どうりで」
小十郎は娘を受け取ろうと腕を広げた父親に少女を渡す。少女は目を覚まさない。
「……俺の喧嘩に巻き込んだ。悪いことをした」
「そうか。……助けてくれたのだね」
「……どうだか。ひどい目にあわせた」
自嘲する青年に娘の父親は
「だが助けてくれたようだね。娘は怪我はしていない。そうか、娘がここのところ手伝いや手習いの間に家を抜け出すと聞いていたが……君に会いに行っていたのか」
と言った。小十郎は俯いて答えない。
「まあ、ともかく、女衒の隠れ家がひとつ潰せた。良いことだ。しかし、いずれにせよ事情を聴かねばならない。名前を教えてくれるかね」
「片倉……小十郎」
「片倉殿、か。わかった」
そこで検断職は部下を呼んだ。小十郎の手当てをするようにと指示をする。
その指示を終えると部下が言った。
「倒れている中に頭目らしきものが見当たりません。いかがしますか」
「わかった。そちらは私が直接指揮を執る。馬と人を出そう。まだそこいらにいるかもしれない。ここは任せた。片倉殿というそうだ。事情を聞いておいてくれ。それと、家に使いを出せるかね。娘をいったん帰さねば」
小十郎はその言葉にほっとしたように息をついて、疲労と痛みのために意識を失った。


検断職の部下による事情聴取には次の一日もまるまる費やした。それから三日ほど開けて、また家族に飽き飽きして小十郎はあの社に向かった。歩けばキシリと胸が痛むが仕方がない。逃げた女衒はまだ捕まっていないが、女衒の仲間たちだけではなく芋づる式にチンピラどももしょっ引かれたというから、大丈夫だろう。女衒も警戒線を張っている町にわざわざ戻ってくるとは思われない。
そう思って、鳥居をくぐると――あの少女が後ろに手をまわして小十郎を待っていた。
「お前、ひとりで――」
来たのか、と言いかけて、少女のすぐ後ろに下男らしき男が控えているのを見て押し黙る。
「……大丈夫か」
やっとのことでそれだけ聞くと、少女はこくりと頷いた。
「あのね、母上と父上がもうここに来ちゃいけませんって」
「だろうな」
父親が検断職だから、少女はきっと女衒と人浚いの恐ろしさをこんこんと諭されたに違いない。少し元気がない、と思う。よくみれば、銃の弾が襲って短くなってしまった髪に合わせるようにいくらか艶やかな黒髪が短くなっていた。小十郎の胸に何とも言えないものがこみあげてくる。
だが少女は胸を張る。
「だから、ね」
少女は後ろに回した手を前に出した。そこには、竹の皮で包まれた握り飯らしいものがのっている。
「これしか、できないから。お礼」
「……礼なんて。巻き込んだのに」
ふるふると少女が首を振る。下男がそっと口を挟んだ。
「お嬢さまを助けていただいたのは事実です」
小十郎はその言葉に戸惑いながら竹の皮の包みを受け取った。
それから空いた手で、少女の頭を撫でる。少女は少しさみしそうに笑った。
「あのね、――それじゃあ、失礼します」
少女が何か言いかけた気がしたが、小十郎は問わなかった。
「ああ。早く行きな」
少女が深く頭を下げると、下男も頭を下げた。やがて少女が歩き出し、下男があたりに気を配りだす。鳥居を抜けていくその姿を見送って、見えなくなると小十郎は包みを見下ろした。
そして社の濡れ縁に座り、それを開ける。少女が小さな手でできるだけ大きく握ろうと努力したとわかる、握り飯が二つ並んでいる。その一つを取り上げて、小十郎は齧りついた。握りが甘い気がするが、塩の加減がいい。
「……いい嫁さんになるな」
握り飯を食みながら、小十郎は一連の出来事を思い返し――優しい少女を巻き込んだことをひどく悔いた。自分がチンピラどもと喧嘩をしなければ出会わなかっただろうが、それがなければ怖い思いもしなかっただろう。
妙な所のある娘だったが、曇天の日、ふと差し込んだ光のような娘だったとも思う。だがそれはあっというまにまた雲間へと隠れてしまった。だが見えなくなった光も、雲の向こうでは明るく輝いている――そう思わせる少女だった。

 目次 Home 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -