泥中の蓮
 其の五

暗い家の中にポイと投げ出されて少女は強か背中を打った。げほごほと息をしている間に顎を持ち上げられる。
「読み通りだ。化粧の仕方とか仕草とか覚えりゃあ極上に化けるかもしれねぇぞ」
少女は顎を持ち上げてきた女衒をギっと睨みつける。
「あなたなんか父上がやっつけてくれるわ!」
すると、女衒の周りを取り囲む仲間や用心棒たちが笑いだした。
「父上、だってよ。強がっちまって!」
だが女衒だけが眉をひそめた。
「お前、着ているモノもいいし言葉づかいもなかなかだな。……まずいところに手を出したんじゃないか、オレは」
そんな独り言を聞きながら少女は後ずさる。その時だった。
ドン、と音がして入口の戸が吹き飛び、外を見張らせていた用心棒が中へと倒れ込んできた。
部屋にいた者たちが一斉に色めき立つ。
衝撃で立ち上がった砂埃の向こうに息を切らして立っているのは年若い男一人だ。
それに気付いた男たちが笑いだす。
「吃驚させやがって。何しにきやがった」
「真剣は下げてねぇなぁ」
「……、嬢ちゃんをかえしな」
用心棒と戸を吹き飛ばした小十郎がそう言って部屋に踏み込んできた。女衒が立ち上がる。
「あのチンピラども、負けたのか。……お前ら、やれ」
用心棒たちが真剣やら鈍器を構え出す。
――チンピラと同じようにはいかねぇな。
小十郎も覚悟を決めて木刀を構える。バリ、と雷神が小十郎の周りにまとわりつき、前髪が目にかかる。だが気にしている暇はない。
チンピラとは違い、口上なしで用心棒は切り込んでくる。左に避ければ空いた半身に別な男が鈍器を落としてくる。飛び退って間合いを測る。
用心棒は一人、二人、三人。女衒とその仲間が二人。吹き飛ばした見張りは二人。だがこちらはピクリとも動かないので気にする必要はないだろう。
連携させてはならない。
小十郎はフーッと息を吐く。
刀を持った一人が再び切り込んでくる。木刀で真剣は幾度も受けられない。相手が刀を振り上げた隙、ガラ空きになった胴に飛び込む。木刀を逆さに順手に持ち、柄頭を突き上げる。男の顎が砕ける鈍い音がした。男はたたらを踏んで、そのまま仰向けに倒れた。
二人目が大鎚を振り上げてくる。それを避けた先で、別な男が刀を振り上げた。小十郎は一旦再び飛び退ると、ぐっと軸足に体重を乗せた。そしてあえて半身に隙を作る。男が刀を振り下ろす、それを合図に刀を振り下ろした拍子に男に出来た隙を逃さず、少し正面からずらして飛び上がると同時に男の後頭部に蹴りを喰らわせた。男は蹴りの勢いのまま地面へとめり込むように倒れ込んだ。小十郎が地面へ戻れば、ふたたび大鎚の男がそこを狙った。身構えるのが一瞬遅れた。小十郎は右の側面にまともに重い一撃をくらって吹き飛んだ。土壁に叩きつけられて、転がる。かはっと息を吐くと、口の中に鉄の味が広がった。息が苦しい。あばらが何本か持って行かれたかもしれない。
「お兄さん!」
少女の悲鳴のような声が聞こえて、顔をあげれば大鎚が振り上げられている。一瞬の判断で横に転がる。遅れた大鎚が先ほどまで小十郎がいた地面にめり込んだ。
「いやっ」
少女の声が聞こえた。見れば、女衒が少女を抱えあげている。仲間も逃げ出そうとしている。
「待て……ッ!」
「てめぇの相手は……こっちだ!」
再び大鎚が振り下ろされて小十郎はまた転がった。避けた先で上半身を起こす。そしてぐっと四肢に力を込めた。ギシリとあばらが軋む音が聞こえたが、気にしている暇はない。周りの動きがひどく遅くなる。四肢の力を一気に解き放ち床を押すように飛び出した。大鎚の男は得物が重くてそれに対処できない。勢いのまま回り込んだ小十郎は木刀を大鎚の男の後頭部に叩き込んだ。大鎚の男が武器をとり落とし、崩れ落ちる。
「なっ」
女衒と二人の仲間が声をあげた。
「馬鹿な、手練れだぞ!」
仲間二人が刀を抜いた。だが切っ先が震えている。
したたか右側面を打たれたせいで右手に力が入らない。しかし小十郎は利き手の左で木刀を持ち上げ低くいった。
「そいつをかえしな」
言うと、二人が飛びかかって来た。
小十郎は木刀を振り上げた。ひとつ、ふたつ、と木刀を振えば型もなっていない男たちは呻いて倒れる。
残されたのは女衒ひとりきり。
「もう一度言う。そいつをかえしな」
「……」
女衒は少女を抱えたまま笑った。小十郎は木刀を突き付けてそれを睨みつける。バリバリと再びあたりが帯電し始め、木刀に雷撃が絡み出す。それを見て、女衒が笑いをおさめた。
「欲に目が行くとロクなことにならないな。コイツの身なりが上等だと思った時に気付くべきだったか。お前みたいなのがいるとは思わなかったよ」
女衒は片手で少女を抑えたまま、懐に手を突っ込んだ。次の瞬間、そこにあったのは短銃である。
「……!」
「お前を撃つかな、それともコイツにしようか」
銃口が小十郎を狙った後、少女のこめかみに移動する。少女は声もあげずに身を縮ませた。つう、と一筋だけ涙がこぼれた。
「さっきあばらの二、三本持っていかれたんじゃないか。痛いだろ」
「テメェには関係ねぇ。そいつを放せ」
「放したらオレを無事に逃がしてくれるかい?」
嘲りを含んだ声で問われる。小十郎は答えず相変わらず木刀を突き付けたままだ。ぜえ、という小十郎の息遣いだけが響く。
動いたのは、女衒だった。唐突に少女を小十郎のほうへと放り出したのだ。背を押されて転がりそうになる少女に小十郎は思わず木刀の切っ先を下げてしまった。動きづらい右腕を伸ばす。少女を受け止めようと小十郎が息をつめた――その時だった。
パン、という乾いた音がした。
「――!」
女衒の短銃から放たれた弾が少女の長い黒髪を幾筋かさらった。パラリと落ちる黒髪に小十郎の頭が真っ白になる。右の胸に少女がぶつかるように倒れこんでくるが、痛みは感じなかった。
バリ、という雷撃の音がひときわ大きくなる。女衒が後ずさるのが見えた。右腕に少女を抱え込むと、ぐっと軸足を踏み込む。それからそのまま地を蹴った。木刀を突き出すのと同時に雷神が竜の形となって女衒を喰らおうと顎門を開いた――辺りが白く染まり、ドンと雷撃が落ちた。


気付いた時には小十郎は倒れ込んでいた。抜けた天井をぼうっと見上げていれば、小さな暖かいぬくもりがしがみついて、揺さぶってきた。
「お兄さんっ」
ぼろぼろと涙をこぼして少女が覗き込んでくる。
ああ、無事だったのか、と思う。
「揺するな。アバラ何本か持ってかれたんだ……いてえ」
声を出せばそれすらギシリと骨を苛んだようだった。少女があわてて手を放す。
ぼろぼろとこぼれてくる涙が温かいと思う。
「悪い、たぶん俺のせいだ」
途中であのチンピラどもが現れた。たぶん復讐のためにこの娘のことを女衒に告げたのだろう。そう考えれば合点がいく。
右胸の痛みに、急速に動いたた疲労、雷神を招聘した代償で体がうまく動かない。なんとか木刀を離した手を伸ばし、ぼろぼろと零れる少女の涙をぬぐってやる。途中触れた髪が幾筋か短くなっていることに気付いた。弾は誰にも当たっていなかったのだ。ほっと息をつく。
だが少女はそれには構わず、小十郎の言葉に少女はぶんぶんと首を振る。
「三十六計、意味わかった。――できなかった」
「――じゃあ今後気をつけろ」
言うと、少女は倒れ込む小十郎の左胸に身を寄せてきた。そのぬくもりに、息を吐き、髪を撫でる。俺が怖い目にあわせたのに、と思う。小十郎はなんとか身を起こし、少女を抱きしめた。小さな手が背中に回る。
「ごめんなさい」
「お前は悪くねぇ」
腕の中でわんわん泣く娘に、小十郎はともかくほっとした。

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