泥中の蓮
 其の壱

静かな場所が欲しかっただけだ。
「おい、てめえ、そこで何してやがる」
実家の治める神社はそれなりで一丁前に八幡さまなどといわれているが、今小十郎が粗末なさい銭箱と鈴の向こうでごろりと横になっているこの神社に常駐している宮司はなく、また祀っている神も小十郎にはよくわからない。そのうえ人気もなく、鬱蒼とした木々の枝が社の上を覆い、参道も敷石があちこちずれてしまいには雑草が顔を出している。
だからこそここを選んだのだが――あてがはずれたようだ。
小十郎はむくりと起き上がった。さい銭箱の向こうに、だらしなく着物を着た男が5人。
「ここはオレたちの場所だ。とっとと出て行きな」
その中のまとめ役のような男が小十郎に言う。小十郎は面倒そうに頭をかくと、くあ、と欠伸をした。
「おい、聞いてんのか!」
「キンキン五月蠅ぇ」
小十郎は傍らにおいてあった兵法の書を取り上げると立ちあがった。
――これを読むために静かな場所が欲しかったのだ。一人になれる場所が。
数年前に養子に出された先から戻った実家にはとある居心地の悪いモノがあり、それは15の小十郎には耐えがたいものであった。最近とみにでかくなった体でもって父や母に当たるわけにもいかず、神職を継いだ兄を突き飛ばすわけにもいかない。姉は実父――小十郎にとっては他人だ――の縁で城で働くようになって家にいないのが幸いかもしれない。なんやかんやと姉が一番うるさいだろう。だが姉を突き飛ばしたところで三倍、いや十倍にして返されるのは目に見えている。あらゆる意味で姉が城に住み込みになってよかったと思う。だが姉がいればアレがでしゃばらなかったかもしれない、という思いもある。
ともかく、小十郎はそんな家族となんとか折り合いをつけるために外で過ごすようになっていて、ここのところはこの小さな社で過ごしていたのだ。
「騒がなくても聞こえてる」
「ここはオレらの縄張りだ。テメエはでていきな」
「別に邪魔するわけじゃないだろ。ほっといてくれ。俺はなにもしねぇ」
小十郎としては譲歩案を出したつもりだった。ここは適度に寂れていて、日影がある。体も休める場所もある。どこかよそを新たに探すのも面倒だった。
だが、それはここを縄張りだと言う男たちはそれは受け入れられないことだったらしい。
「出ていけって言ったんだ。それ以外にはねぇ!」
一段高い所にいる小十郎を見上げながら男たちはそう息まいた。小十郎はひとつ息をついた。
そして、トン、と地面へ降りる。
そこで男たちはほっと気を緩めたようだった――だがそれが命取りだった。
小十郎は15で、むしゃくしゃしていて、体躯も同じ年頃の男より優れていた。
そのまま去ると思った男たちの予想とは違い、小十郎は兵法の書をさい銭箱の上に置くと僅か三歩で間を詰めたのだ。
そして、まとめ役らしき男の顎に下から拳を入れた。男はそのまま声もなく吹っ飛んだ。あまりに突然の事態に身を凍らせた残りの男たちは対処ができなかった――それが小十郎に次の行動を許してしまうことになった。横合いにいた男の鳩尾に全体重を乗せた蹴りが入り、この男も胃液を吐いて吹っ飛んだ。その反対側にいた男の顔の中心に拳がめり込む。男は鼻から血を吹いて白目をむいた。
三人倒れた所で残りの二人が事態に気付いて身をひるがえした。猛る獣に背を見せてはいけない――そんな基本的なことも知らない男たちは、所謂チンピラだったのだろう。
二人のうち一人の背中に重い一撃が襲った。背骨がギシリと音を立て、男は参道にもんどり打った。参道でのたうつ仲間に気をとられて最後の一人が足をとめた――そのまま走り去ればよかったのに、だ。
小十郎はとび蹴りをかました勢いで倒れた男を踏みつける。そして、その獣じみた目が残りの一人をとらえた。ビリビリと雷撃をまとう小十郎に男は気づいただろうか。いや、蛇に睨まれた蛙が雷鳴に気付くはずがない。だから男は小十郎が前髪をつかんできたことにも気付かなかった。
ドガン、と鈍い音がして、最後の男も仲間たちと同じく参道に倒れた。
「つっ」
さすがに頭突きをかましたのは小十郎もはじめてで、しばし額を抑えることになった。


――小十郎はこのとき15で、それまでの短い前半生は養子に出されたり、親戚を盥回しにされたりとなんとも不遇なものだった。
今は実家に戻っているが、10は違う腹違いの兄が神職を継いだ家でどうしろというのか。姉がいないのはいいが兄嫁はいる。この小十郎が親戚の間を盥回しにされている間に家に入り込んだ兄嫁というのがくせものだ。あからさまに邪険に扱ってはこないが、この年頃の並みの男子より体躯のいい小十郎をダダ飯食いと決めつけていた。八幡さまなどと治める神社はありがたがられるが、実家は裕福ではない。大きな、たとえば国主が詣でるような神社であれば、神職を二人三人余計に抱えた所で問題はない。が、実家はそうではない。兄と、兄嫁と老いた父母だけでいっぱいいっぱいだ。兄夫婦にまだ子どもがないのは貧しいという理由もあるだろう。
が、一度など兄嫁が兄に
「アレがいるからスルのはいや」
と言っているのが聞こえたことがある。
――誰がテメェのあえぎ声で盛るってんだ。
いくら壁が薄いとはいえ小十郎にも選ぶ権利がある。性悪女で抜くほど飢えてはいないし、胸がでかいのを誇らしそうにしているがよく見れば太っているだけなのである。
――なにがダダ飯食いだ。テメェのほうが食ってるじゃねぇか。
小十郎が家の裏の畑で手塩にかけて育て、せめて父母の飢えを満たす足しになればとおもった野菜をことごとくひょいひょいと口に運ぶのはあの兄嫁である。百歩譲って神社であたりの百姓の愚痴や悩みをタダで聞いてしまうお人よしの兄は許そう。それでも家になんとか稼ぎは家に入れるし、畑も合間合間に手伝ってくれるのだから。
が、この兄嫁は家でぐうたらしているだけなのである。実家に戻ってきて一番におどろいたのは、宮司である兄自らせっせと神社のあちこちを掃除していたのを目撃した時である。嫁を貰ったんじゃないのか、嫁は本殿を掃除しているのか、と聞けば兄はへらへら笑って
「本殿も今から私がやるよ」
と言った。神職の嫁になったのであれば、境内を掃き清めたり、本殿の拭き掃除をしたりするのではないか。小十郎の母は後妻とはいえそこら辺はしっかりやっていたし、兄も姉の喜多も養子に出る前の小十郎もよく手伝わされた。それが当たり前だと思っていた。
お人よしの兄は強く言えないのだろうか。だが父母はどうだ。盥回しから戻ってきてみれば、兄嫁にひどく甘い。孫もまだいないというのに。しまいには父母が兄嫁に顎で使われている所もあり、小十郎は目を剥いた。
が、所詮出戻りが口を挟むわけにはいかず小十郎は実家の隅で肩身を狭くするしかない。苛立ちをためることになった。
今日はせめて畑仕事でもして気を紛らわそうとして鍬をふるったら、ガチンという嫌な手ごたえあり、鍬が大きな石と勝負をして負けていた。ぐんにゃりとまがった鍬の先に頭を抱えると、合間を見つけてやって来た兄が覗き込んできて
「おやぁ、派手にやったねぇ」
と呑気に言った。
鉄は直すのに時間がかかるし、下手をすれば新しいものにしなければならない――そう悩んでいた小十郎の耳にその言葉がチクリと刺さった。
小さな刺激だったが、ため込まれて膨らんだ不満を爆発させるには十分すぎた。
プツンと堪忍袋の音が切れる音を聞いた次の瞬間、鍬を兄の足元に投げつけて小十郎は畑を後にした。慌てた兄が呼びもどそうと声をかけてくるが知ったことではない。というか、もう知るか。勝手にしろ、そう思って実家に戻り、書を取り上げた。最近は畑仕事を優先していたのと、書を眺めていれば兄嫁が蔑んだように見下ろしてくるので読むのすらやめていたのだ。
今日はもういい、なにもかもやめだ。どこか静かなころでこれを読みたい――そう思った小十郎は幾日か前に見つけたこの社に向かったのだ。
その道すがらも別に吹っ切れたわけではなく、小十郎は悶々と悩んでいた。
自分はもう15。しかも次男で家は貧しく、家業は兄が継いだ。兄には嫁がいるし、いずれ出ていかなければならないが盥回しにされた時間のせいで身の振り方を決める暇がなかった。では百姓に下って田畑を耕そうかと思えば、そもそも糊口を凌ぐ以上の土地もない。めぼしい縁故も見当たらない。どうしろというのだ。
そんなものを抱えた小十郎に社から出ていけと言ったチンピラどもは運が悪かったと言えるのかもしれない。苛立ちむしゃくしゃしていた飢えた獣と出会いがしらに喧嘩をうったのである。
要するに、チンピラどもは犠牲になったのである。
以降、このちいさな社に近づくものはなくなった。

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