氷解
 其の六

「おおお?! 片倉様、と蔦様!」
「おう」
子どもを抱いて現れた小十郎に、鍛錬所にいた男たちは固まった。蔦は物珍しそうにあたりを見回している。それから目当ての姿を見つけ出す。
「良直さん、左馬助さん、孫兵衛さん、文七郎さん」
呼ばれた四人がすっ飛んでくる。
「蔦様、お元気そうで!」
「その節は御面倒と御心配をおかけしまして」
深々と頭を下げる片倉小十郎の妻に部下たちは慌てた。
「いいっす! そんなのいいっす! 蔦様がお元気なら全然問題ないッス!」
「左衛門どのも元気そうだねぇ」
小十郎に抱かれた赤子に一同はほっと胸をなでおろしたようだ。あたりに集まって来た男たちに蔦は再度頭を下げる。
「皆様本当に――ありがとうございました。もうしわけありません」
「……、俺からも、礼を言う。そしてすまなかった」
夫婦そろって頭を下げて言えば部下たちは恐縮し一斉に頭を横に振った。
そのガラの悪い男たちが首を振る光景が面白かったのか、左衛門はにこにこと笑い始めた。
その様子にほーっと一同が声をあげる。
「片倉様には似てねぇな」
ぼそりと誰かが言った一言が意外に響いて、男たちがギョッと身をすくめた。左衛門はもちろんわかるわけがなく、指をしゃぶっている。小十郎はあたりを見回してため息をつき、蔦はまたくすくすと笑った。
「でも御機嫌が悪くなると口のあたりがそっくりになりますよ。怒ると今度は目もそっくりで」
まったくさっぱり良い例ではない父と息子の証明を言ってのけた蔦に、単純な男たちは「おお」、と声をあげた。小十郎は思わず
「お前ら……」
と肩を落として蔦を恨みがましく見やった。蔦は首をかしげて見せる。
「だって本当ですもの」
「あのなぁ」
あーう! と左衛門が父と母を仲裁するように言うと、男たちは笑いだした。
それから良直たちが近づいてきて左衛門を触ろうとした。小十郎はひょいとそれを避ける。
「お前ら、手は綺麗なんだろうな」
「あ」
だが部下たちはごしごしと腿に手をこすりつけるだけで小十郎は頭を抱えたくなった。その時、不意に縦抱きにされた左衛門が手を伸ばした。そしてむんずと近くにいた良直の珍妙に前方に盛られた前髪の一部をつかんだ。
「あ」
と片倉夫婦が声をあげた。そしていつも良直とつるんでいる残り三人が固まる。良直本人は一瞬反応が遅れた。
「あ、イテテテテテ! だめだって! ひっぱっちゃ! 優しく! 優しくして!」
「きゃーぁ!」
引っ張られたのか良直が悲鳴を上げ始めた。左衛門はその様子が面白かったのか、それともそもそもその変な髪がそれ自体が面白いのかきゃっきゃっと喜んでいる。
「伊達軍の七大禁忌に軽々と触れやがったぜ……!」
「さすが片倉の坊っちゃん……!」
「恐ろしい……!竜の右目の息子は鬼だった……!」
左馬助と孫兵衛と文七郎がそれぞれ感想を述べる中、小十郎はどうしていいやらわからず、蔦は「左衛門!」と言ってその手を離させようとしていた。が、気に入ってしまったのか左衛門はしばし良直の前髪を乱して遊んでいた。
鍛錬所に笑い声が響いたのは言うまでもない。


帰りも蔦と左衛門を駕籠に乗せる。小十郎はまだ左衛門を抱いたままだったが、蔦が腰を落ち着けると屈んで息子を渡す。左衛門は色々ありすぎて疲れたのかすでにうとうととしている。
蔦が左衛門を受け取り、ひどく優しい顔で赤子の頬を撫でるのを見た小十郎はそっと言った。
「蔦」
「はい?」
「……ありがとう」
すると、蔦はきょとんとした。小十郎は少し苦笑する。そして真面目な顔になると言った。
「姉上のことも……何もかも全て。廊下で左衛門を俺に渡したのも……考えがあってのことだろう?」
言外に、突き刺さる好意的ではない視線に気づいていたのだな、と伝える。すると蔦は首を横に振った。
「腕が疲れていたのは本当です。皆様を笑顔にしたのは左衛門ですよ」
名を呼ばれて、赤子が一瞬めをぱちくりさせたがすぐにとろんとした目に戻ってしまう。
「義姉上を笑わせたのも左衛門。政宗様と愛姫様、成実殿に綱元殿、それから皆様。優しい顔にさせたのはみな、左衛門です」
如才なく言う妻に小十郎は目を見開く。それから、蔦の頬を優しく両手で包んだ。
「それでも、俺はお前に礼が言いたい。そんな左衛門を産んだのはお前だ」
「左衛門の父は、小十郎さまですよ」
蔦は微笑んで言う。小十郎の胸になんとも言えないものが広がって、言葉に詰まった。
「――蔦」
「小十郎さま。小十郎さまはずっと蔦の旦那さまで居てくださいませ」
小十郎はもはや何も言えなくなって、ただただ蔦の額に己の額を優しく合わせた。蔦が額を猫のように擦り合わせてきて、小十郎は改めてその暖かさを思い知った。

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