氷解
 其の壱

一段低いところで、小十郎は政宗にひれ伏している。
政宗はそんな大きな男の背と頭のてっぺんを見つめて、ため息をついた。小十郎の左右にそれぞれひかえる伊達成実と鬼庭綱元の顔を交互に見やれば、政宗の従弟である成実は憤懣やるかたないという顔をしており、妻の侍女頭の異母弟の綱元はよく読みとれない表情で異母姉の異父弟を眺めている。
「頭上げろ、小十郎」
「――」
「Ah, 参ったな」
率直に言った政宗は左目にかかる前髪をかきあげた。
それから胡坐を組んだ脚の上に肘をついて顎をのせる。それから再び左右の家臣を見やる。
「どうする、コレ」
「ぶん殴る」
真っ先に答えたのは成実だ。政宗はため息をついた。
「それなら昨日テメェがやったじゃねぇか」
「梵は殴ってないだろ」
「なんで俺がわざわざ手を痛めなきゃなんねえんだ」
成実がいらいらと体をゆすった。
昨日のことである。小十郎の妻、蔦が川で自らの腹に宿った子ごと己の命を断とうとした。それは小十郎が子を諦めてくれと妻に嘆願したためである。夫が何を考えてそんな狂気じみたことを妻に願ったかは正直彼以外に理解することは不可能だろう。忠義にしてはいきすぎている。だがもっと不可解なのは妻が唯々諾々と従ってしまったところである。
――妙なところで似合いの夫婦だ。
と政宗は呆れるしかない。
「綱元、お前はどうだ」
やや冷静さを欠く従弟の意見をとりあえず脇に置き、この中で一番年長の綱元に問えば、綱元はうーむと天を見上げた。
「小十郎殿は腹を掻っ捌きたいと思っているかもしれませんな」
「――」
「――おいおい、嫁と子どもが助かったのに夫が死ぬのかよ。世話ねぇな」
政宗がため息交じりに言うと、成実はあんぐりと口を開け小十郎は身を固くした。政宗はトントンと扇で自らの首筋を叩いた。まるで肩が凝った、といわんばかりに。
「それはわかった。んで、綱元、お前自身はどう思う」
問われて綱元は視線をひれ伏す小十郎に戻した。むむ、と眉を寄せる。
「――正直に申し上げて、よくわかりませんな。昨日の騒動の間も、務めに忙殺されていて私は気付かなかった有様ですから。とりあえず私にわかるのは蔦殿と赤子が助かったことと、小十郎殿が大変に悔いているらしいということと、殿が呆れていらっしゃるのと、成実殿と姉上が大変にお怒りなことだけです」
「それと、愛はほっとしてるってとこだな」
どこか他人事な物言いに政宗は付け足して、立ち上がった。事実、歳の近い家臣の妻である蔦と仲の良い愛姫は赤子も母も無事だったと聞いた時「ようございました」と言ってその場にへたり込んだ。
そんな妻を思い出しながら、政宗は一段降りて小十郎の脇へかがむ。
「蔦に頭は下げたのか」
「――は」
「……蔦のことだから何も言わねえでお前を許したんだろうな。じゃあなんで俺に頭下げてる。人を貸してやった礼か」
「――それは、謝罪を」
「……なんのだ? 自己満足の件か」
「……」
「いらねぇよ、そんなもん」
そこで政宗は持っていた扇で頭を垂れる小十郎の首をトントン、と二度叩いた。
「俺がそれで腹立ててたなら、この首と胴はとっくに離れてるぞ。侮辱されたと思って、そうしてる。
だがそうじゃねぇ。俺や愛、成実や喜多が怒ってたのは、蔦と赤ん坊をテメェがこの世から追いやっちまうと思ったからだ。怒りの理由は、原因じゃなくてテメェが引き起こしかけた最悪の結果に対してだ。まぁ、原因に関しても思うところがないわけじゃねぇが。
でも蔦と赤ん坊は助かった」
政宗は小十郎の首筋から扇を離すと、すっと腰にさした。そしてまたため息をつく。
「テメェが死んだら蔦と赤ん坊が路頭に迷っちまう。それじゃ雪の中駆けずり回った俺らの努力が完全に無駄になるだろうが」
そこまで言うと、すっと小十郎が顔だけをあげた。政宗は困惑をにじませるその顔を見て苦笑した。
「小十郎、お前に死なれたら困るのは蔦と赤ん坊だけじゃねぇ。俺の背中は誰が守る」
「――」
「だから顔上げろ。体起こせ」
言われて、小十郎は体を起こした。だが視線は下へと落ちている。政宗はそこで成実を見た。顎に桃の種をつくりつつ眉を寄せている従弟に政宗は問いかける。
「成実、小十郎に腹掻っ捌いてほしいか」
「……蔦と赤ん坊が路頭に迷うのは望んでないよ」
「Good. じゃ、それでいいな」
成実ははーっとそこでため息をついた。
「梵がいいなら、いい。蔦と赤ん坊も元気なら、いい。オレ、昨日殴ったし。それで終わり。これでいい? 男だからもちろん二言はないよ」
「Very good. 綱元もいいか」
「もとより何の文句もございません。言える立場ではありませんし」
「OK.」
政宗は複雑そうな顔をしている小十郎に向き直った。
「以上だ」
「――しかしそれでは示しがつきませぬ」
小十郎は頑なに言った。Ah、と政宗は頭をかいた。
「大騒ぎしたし、色々な方面に心配も面倒をかけたしな」
政宗はそこで主の場所に戻った。そしてぐっと背を伸ばす。すると成実と綱元も姿勢をただし、小十郎はまっすぐ目を向けてきた。
「片倉小十郎景綱」
「――はい」
「この度の騒動に関して、罰として謹慎を命じる。――期限は、そうだな。蔦が立って歩けるくらいに回復するまでだ。ただし、雪解けよりそれがかかるなら冬の終わりには謹慎を解く。戦場ではテメェがいないと困るからな。兵法の書でも読んでろ」
「――は」
小十郎は深々と頭を下げた。成実はやっとそれで留飲を下げたのかひゅうと息を吐いた。綱元は相変わらずよくわからない表情でそれらを見ていた。


その後、屋敷に戻る前に小十郎は姉の喜多を訪ねた。しかし喜多は小十郎の前に姿を現さず、別な侍女に
「喜多殿から、あの、戦場ではともかく平時も鬼のような弟などもった覚えはありません、と伝えてくださいとのことで……」
と言付けただけだった。その侍女の戸惑いと伝言を聞いて小十郎は青ざめ、姉と会うのをあきらめた。五臓六腑が冷え心の底からぞっとしたのは言うまでもないが、反論のしようもない。ただ侍女に深く頭を下げて踵を返した。

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