and I love...
 其の七


またまんじりと待つことになった。しばらくして女中頭が現れてお医者さまがよろしいそうです、と言った。
蔦の部屋に向かう間、ごく若いころから小十郎を知る女中頭はぽつりぽつりと言った。
――奥さまは本当に旦那さまには勿体のうございます、細いお体で働き者で。旦那様が戦の間は、僅かの休みもなく写経をしたり。片倉家がもとは神職だからと言って神社にお百度参りをしたり。もちろん裸足で。一度など、小石を踏まれて少し怪我をなさいました。
小十郎の知らなかった蔦の姿だ。段々と肩が落ちて行く。
――旦那さまがお城にいる間も、火熨斗だなんだと旦那さまのことばかり。戦の間といえば畑もです。旦那様が留守の間も畑を見てくれる老爺たちに気を配って。自らお茶を持っていかれたり。時には御自分の甘味をあげてしまったり。
「……」
もはや言葉もなかった。
蔦のいる部屋にたどりつけば、女中頭は戸を示して持ち場へ戻って行った。小十郎は自らで戸を引く。そこには蔦が布団に寝かせられており、医者は脈を見ている所だった。
「どうか」
聞けば、うむ、と医者は頷く。
「お強い子が生まれますよ。乗りきられた」
「……蔦は」
「お子がいたので、川の水でも普通より体の熱が奪われなかったようですな」
小十郎が蔦の傍らに座れば、医者はため息をついた。事情はお聞きしませぬが、と言う。
「子が流れるのは、なぜか解りますかな」
「……さあ」
興味がないのではなく、本当に分からなかったのでそう言うと医者は言った。
「母御を守るためです。少なくとも、奥様の場合は」
「そうですか……」
医者の言いたいことは察せられた。
――俺とは、反対だ。


医者が帰っても、小十郎は眠る蔦の横で正座したままだった。廊下に気配が感じられなくなると、ようやっと、恐る恐るといった体で蔦の頬に手を伸ばす。
「冷たいな……」
ひとりごちて、手のひら全体で蔦の頬を包み込む。小さいな、と思う。こんな小さな体にもう一人赤子を抱えるだけでも大変だったろうに、と思う。
髪に触れる。こちらはもっと冷たく、湿っていた。ふと、政宗から渡されて手に持ったままだった削り花を枕元に置いた。削り花はもともと、彼岸に供えるものだ。なんで下男が疑問に思わなかったのか、と思う。ましてやこの工芸品は曼珠沙華に似てすらいる。
「覚悟は、できてた、のか」
子と逝く覚悟だったのか。地蔵菩薩に、鬼子母神。蔦の周りに己のことを祈った形跡がない。誰を責める恨みごともない。ただひたすら小十郎の先を案じていた。
地蔵菩薩に子を託し、己は何処に堕ちるつもりだったのか。
だが今の蔦は、冷たくはあるが人肌のぬくもりを保ち、息をしている。子も賢いのか腹にとどまった。
小十郎はずるずると、蔦の頭を包み込むように、妻の体に負担をかけないようにしながら、彼女に覆いかぶさった。顔を近づければ、尋常でない疲労の色が見て取れる。肌も雪より白いのではないか。だが唇はやわらかな――小十郎が愛でた――淡い色を取り戻しつつある。その頬へ、ぽつり、と雫が落ちた。
その刺激のためか、蔦のまつ毛が震えて瞼があがった。
黒目がちで澄んだ瞳と、小十郎の目が合う。蔦は小十郎の好いた目でまっすぐ彼を見ている。
「こじゅうろう、さま」
「蔦」
蔦が小十郎に手を伸ばして、夫の頬に一筋の跡を作った暖かいものをぬぐう。冷たいが優しい手だ。その手を取って小十郎は自分の頬や唇に押し付ける。じんわりと蔦の手の冷たさが小十郎に移り、代わりに小十郎の熱が蔦の手へと伝わっていく。そのうちに、くるりと蔦の手が反転して指と指をからめてきた。
「……ややは」
「ああ、ちゃんといる」
小十郎はそう言って蔦の手を腹へとそわせた。蔦の手、そして腹に自らも触れる。思えば、腹に触れるのは初めてのことだった。
「ああ……」
蔦はそう言って、はらはらと泣き始めた。小十郎は蔦の額に己の額を押し当てる。
「すまなかった……!」
言ってそのまま、額を離し髪を撫で、再び蔦の肩口に顔をうずめるようにすれば、蔦が肩を優しく抱いてくれた。そしてあやすように背を撫でてくる。
その蔦の耳に、押し殺した声が聞こえてきた。


――この人の、こう言う声を聞いたのは初めて。
そして、以降ずっと聞くことも見ることもないだろうと思いながら、蔦は大きな男の背を撫でていた。


蔦と小十郎の子は、十月十日に少し足らずで生まれ、色白で小さい男の子だった。左衛門、と名付けられた。後の二代目小十郎重長である。

(了)

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2010年9月24日初出
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