我成地駆雉虎猫……?
 其の壱

はて、自分は雷神に何か無礼を働いただろうか、とポツポツ落ちてきた雨粒を頭に感じながら小十郎は思う。足の下には、先ほどまで自分が着ていた野良着がくっしゃりと丸まっている。手――をあげれば毛むくらじゃのうえ肉球がついており、爪の出し入れまでできる。
「……」
すとん、と足を踏み出すと自然手まで動いた。四本足で歩く。四つん這いで歩いたのは赤ん坊の頃以来だろうに、自然なものだ、違和感など無い。やはり神の御業に違いない――そう思って近場の水面を目指してテクテクと歩く。遠い。夢ならさめてくれ、と思いつつ土手の上から妙に遠い水面を覗いた。
水面の向こうから、目つきの悪いキジトラの猫が覗き込んでいる。ご丁寧に左の頬の傷はそのままらしく、そこだけハゲている。
「……にゃあ」
声を出して自分でびっくりすれば、ごろごろと遠雷が響いてきた。
――なんてこった。
その言葉しか出てこない。
――俺は犬だろう、どちらかといえば。


雷神がきまぐれを起こしたのかなんなのか、ともかく、犬ではなく、なぜか猫になってしまった小十郎である。今日は一人で畑に出ていたので、辺りに知り合いはいない。どうしたもんかな、と思っていると本格的に雨が降り出した。小十郎はあわてて屋敷へと駆けだした。
猫の身で屋敷は遠すぎた。帰りつく頃には濡れ鼠ではなく濡れ猫の完成である。なんとか屋敷の門をくぐれば、蔦が傘をさして出てきたところだった。ついてきた女中が言う。
「おかしいですね、こんなに降って来たのに旦那さまが戻ってこられないなんて」
蔦はさした傘の他にもう一本持つ。
「迎えに行きますから」
そんな蔦の足元で、小十郎は
「にゃあ」
と鳴いた。女中と蔦が見下ろしてきて、
「まっ」
と言ったのは女中である。
「しっしっ!どこの野良だろうね!やるもんなんかないよ!」
ごく当たり前の反応である、と小十郎は冷静に思った。蔦が屈んできた。
「まあずぶぬれ。手ぬぐいを持ってきてくださいな」
屈んだ蔦の膝に足を乗せると女中が悲鳴をあげた。
「お召し物が!」
蔦は笑うだけで手ぬぐいを持ってくるように重ねてった。だが女中が戻って来るよりもはやく、小十郎は蔦の気を引いて、彼女を屋敷の門の外へ出すことに成功した。
「待って、風邪をひくわ」
と、蔦は余計な傘を置いて律義に追いかけてくる。


畑へ誘導して、地面にそのままくっしゃりとなっている野良着のところへ蔦を導けば、蔦は目を見開いた。
「まあ、なんてこと」
それから妻が自分の名を呼びながらあたりを探しまわるのを猫の小十郎は
(ここにいる)
と念を送りながら見守り続けた。だがもちろん蔦は気づかない。
「どうしましょう。何があったの」
蔦は困惑しながら言う。あたりに彼女の他に“人の”影はない。
「お前、何か知っているの」
蔦が屈んで聞いてくるのでキジトラの小十郎は
「にゃあ(ああ)」
と答えた。が、伝わるわけもない。蔦はしばし戸惑いを見せたが、野良着を手早くまとめると、それで猫を包んだ。
「これは私の旦那様のものですけど、お前も風邪をひいてはいけません」
猫にまで律義な蔦に小十郎は少し驚いた。
屋敷に帰りつけば案の定大騒ぎになった。そんな中蔦はまず乾いた布で体を吹いてくれ、その後手ぬぐいを蒸してそれでも体を拭いてくれた。気持ちがいい。そうと思っていると女中が顔をしかめてやってきた。
「奥さま、野良に親切にしても」
「でもこの子は小十郎さまのことを教えてくれました」
小十郎はいつの間にか喉を鳴らしていた。そんな自分に驚いたが、それに蔦がふっと笑う。しかしすぐに困り果てた、哀しげな顔になった。
「それにしても小十郎さまはどこに」
「前田の殿さまのように半裸で往来を行ける方ではありませんよ」
「……肩をお出しになることはあるけれど」
女中の慰めに蔦はよくわからない返しをした。

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