変化
 其の六

帰りついても、思わぬ手伝いがあったおかげで夕餉まで時間が間があった。あちこち泥で汚れているので、表は避けて二人で勝手口に向かう。女中が気づいておかえりなさいませ、という。
小十郎が鍬やらその他道具を片づけている間に、蔦は女中にとってきた野菜をざるごと渡す。
「これは漬物、これは夕餉に出しましょう。着替えたら厨にいきますから、水洗いしておいてくださいね」
てきぱきと野菜を選別すると、女中ははい、と力強く答えた。小十郎は被っていた手ぬぐいをはずして、バサバサと砂を落とす。そこへ横合いから手が伸びた。
「あとでお洗濯しておきますね」
「おう、頼む。先に上がっておく」
そう言うと小十郎は勝手口から屋敷へとあがった。


着替えが終わると女中の一人が文が届いておりました、というので文机を出してそれをあらためる。
そこへ遅れて蔦がやってきた。いつもの動きやすいが清潔な着物に着替えている。
「お着替えお手伝いできませんで申しわけありません」
「いや、大丈夫だ。……それより政宗様が」
小十郎は文に目を落とした。差出人は小十郎の主君政宗である。何かあったのか、と身構える蔦に小十郎はため息をつきつつ言った。
「蔦は元気か、畑で美味いものは採れたか、と。南蛮語が混じっているのがよくわからないが、暇なので文を書いた、とある。そして読んだらすぐ燃やせと」
「まあ」
予想外の内容にくすくすと蔦が笑う。
「お前は元気だ、と返事をしたためようと思うが。他は何を書けばいいかわからん」
腕組みをして言うと、そうですねぇ、と蔦が頬に手を添える。
「……お野菜をお届けする、というのはいけませんか。大きくて立派なものを選り分けてお包みいたしますから」
「そうだな、それがいい」
言って小十郎は墨をすり始める。筆に墨を染み込ませて、巻紙を取り出し意識を集中して書きつける。書き終えて息を吐き、誰かに届けさせようと振り返ると――こっくりこっくりと蔦が船を漕いでいた。
「……疲れてんのか」
ひとりぼそりと言って、立ち上がり人を呼べば庭にいたらしい下男が縁側の靴脱ぎのそばまでやってきた。
「これを城にお届けしてくれ。それと、何か羽織るものを、と誰かに」
下男は頷いて足早に去っていく。小十郎は部屋に戻って、蔦の傍らに座った。そして胡坐をかく。だが蔦のほうの脚がやや低くなる体勢になるようにする。それから、ひょいと蔦を自分の方へ引き倒してみた。蔦が何やら声をあげて、小十郎に膝枕をしてもらう形で横になった。
「小十郎さま」
やや眠気を感じさせる声音で蔦が言うが、起き上がる気配がない。
「夕餉の準備を……」
「少し休め」
言ってなだめるように髪を撫でてやれば、太ももに頬を擦りつけてくる。眠る前、蔦が枕や小十郎の胸や腕にする仕草を見てとり、そっと撫でるのを止める。
「羽織をお持ちしました――あら」
女中が意外な光景を目にして目を丸くした。小十郎は小声で礼を言って羽織を受け取り、蔦にそれをかけてやる。女中はにこにことしていて、思わず小十郎は咳払いした。
「――というわけで、夕餉の支度はお前たちだけでできねぇか。できれば休ませてやりたい」
「はい、承りましたよ、旦那さま」
楽しげに言う女中に小十郎はまた咳払いをする。女中はクスクスと笑う。
「それでは奥さまのお好きなものをおつくりしましょうかねぇ。いつも旦那さまのお好きなものばかりですから」
言いながら歩み去る女中の言葉に思わず蔦を見やる。伏せられたまつ毛がふと美しいことに気付く。羽織をかけられたことに気付いたのか、蔦はそのまま羽織を口元にまで引き上げた。それは今朝がた小十郎が羽織っていたものだ。目をつぶったまま、やや夢見心地の声で蔦が何か言う。
「小十郎さまのにおいがいたします」
「そりゃあ枕も膝だしな」
言って髪をまた撫でれば、蔦は目をつぶったまま穏やかに微笑む。蔦の呼吸がゆっくりと、深いものになっていく。眠るな、と思いそれを邪魔しないように髪をなでるのをやめた時だった。
「小十郎さま、お慕いしておりまする……」
夢と現の間で蔦が言った言葉はぼやけていたが、小十郎の耳にはしっかり届いていた。
思わず何やら声を上げそうになるが、堪えてガリガリと頭を掻く。それから深く深くため息をついて、眠ってしまった妻の顔を眺める。
――本当に。
とひとり思う。
――得難い女だ。
所帯を持つ、というのは重荷が増えるばかりだと思っていた。家族に対する負担や義務、それだけではなく戦場での覚悟すら薄れるかもしれないという恐怖があった。
だがそれがどうだ。
蔦を妻として迎えて以来、家のことを任せて安心して登城することができ、逆にこまごまとしたあれやこれに思いわずらわされることがなくなった。一人で食んでいた飯も野菜の出来は確認するように味わっていたが、美味かったかは記憶にない。しかし蔦が手ずからもってくれた飯は美味いのだ。なにより取るに足らない会話をしながらの食事にふと孤独を感じることなどない。
戦場でも引き際が見極められるようになった――蛮勇を誇る気持ちが薄れ、勝つことと生きること、生かすことに集中する。政宗の窮地に飛び出した時も死ぬ気などなかった。政宗を生かすことと、己がどう生き残るかしか考えていなかった。
すべて教えてくれたのは蔦だ。本人にその自覚はないだろうが。
いつの間にか背負い込んでいた重荷を、ひょいと蔦はいくつか自分の背負い籠に入れてくれていたのだと思う。人が変わった、というのならばそのためだろうなと小十郎は思い至った。
「蔦」
口にその名をのせれば、暖かいものが広がっていく。ん、と言った蔦は少し身じろぎしたが起きる気配はない。それに安心して、そっと小十郎が呟いた。
「俺も……お慕い、申し上げる」

(了)

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2010年9月19日初出
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