変化
 其の壱


執務の間に侍女が茶を持ってきた。失礼しまする、と文机に茶が置かれるのを感じて小十郎は目だけを動かして礼を言った。すると、ぱっと年若い侍女の顔が朱に染まった気がする――すると娘はあわてて小十郎の向かいの人物にも茶を置いて、入って来た時と同じ言葉を言って部屋を出て行った。
ふうと息をついて茶へ手を伸ばせば、その向かいの人物が笑うのが聞こえた。
「顔に傷がついたというのに、娘にもてるようになるとは。驚きだな」
「綱元殿」
くつくつと笑うのは、鬼庭綱元――小十郎とはややこしい関係にある男で、小十郎の異父姉・喜多の異母弟である男である。小十郎の母は、もとは綱元の父鬼庭良直――政宗の祖父晴宗の死後は左月斎と号している――の正室であったが、男児をもうけられなかったので離縁された。離縁された原因が左月の側室がこの綱元を産んだのが原因であったが、小十郎にとっては生まれる前のことだ。あまり意識はしていない。姉の喜多も「それはそれ」という態度である。鬼庭家は伊達家の父子が別れて争ったお家動乱の折、息子である第15代当主晴宗側――政宗の祖父である――に付き武勇を示し重用されるようになった家であり、母が再婚した片倉の家――小十郎の実父の家で、姉喜多の養父の家でもある――とは差があると言わざるを得ない。そのためなのか知らないが、綱元は目もと涼やかな男である。武骨な印象のある小十郎とはある意味で対極にあるといえるかもしれない。
綱元は小十郎とは七つほど歳が離れており、小十郎が輝宗に小姓として取り立てられるまで顔を見たことはなかった。では小姓になってから頻繁に会ったかというとそうでもない。
むしろまともに口をきいたのは先ごろの政宗の初陣の際がはじめてだ、と言っていい。
窮地に追い込まれた独眼の若い主への注意をこちらへひこうと小十郎は咄嗟に
「我こそが、伊達政宗なり!さァ、どっからでもこの首を取りに来い!」
と叫んだ。その結果、見事敵兵は小十郎へと殺到した。囲まれた小十郎のもとへ一番に助けに来たのが綱元だった。
「無茶をする、だが、感謝する」
妙に爽やかな口調でそう言って、綱元は敵をやすやすと片づけた。風雅を愛する文人、と言われていた男であったから、小十郎は少し驚いたものだ。それに気をとられたわけではないが、小十郎は瀕死の兵が最後の力を込めた刀を喰らってしまい、左の頬を切り上げられた。綱元が先刻言った傷とはそれである。
「もてる、など。俺にはよくわかりません」
「お蔦殿しか気にかけておらんかな」
少しからかうような口調に気付いて小十郎は向かいの綱元を見た。綱元は目もとに笑みを浮かべて茶をすすっている。
「いやはや。嫁を貰うと人は変わるというが、小十郎殿もその典型と見える」
「は?」
小十郎が首をかしげると、綱元は湯飲みをおいて再び筆を執った。そして小十郎の疑問に答えずに言葉を重ねる。
「傷のことを細君、……お蔦殿はどう言っておられたかな」
小十郎は世間話か、と思って続ける。
「最初こそ目を大きくして驚いていたようでしたが、男っぷりがあがりましたね、と。
――まったく、得難い女です」
「成程」
少し安心したような吐息を混ぜて言った小十郎にくつくつと綱元が笑った。小十郎は首をかしげる。
「――少し前までの小十郎殿はなにやら思いつめておるようで近づきがたかったように記憶しております。それが嫁をもらっていくらか和らいだように私には感じられる。
……女と言うのはそういうものに敏感。先ほどの侍女がいい例だ」
「……」
「その顔、心当たりがあるとみえる。嫁御をもらってから女どもの視線が変わったか、いやはや蔦殿の力は偉大とみえる」
終始たのしげな綱元に小十郎は眉を寄せたが――実は心当たりがないではない。
それを隠すように机の上へ目をやって、小十郎は筆に墨を染み込ませた。
「だが、姉上を除けば、掛け値なしに最初に俺の笑った顔が良いといった女は蔦です」
「はは、これは意外。惚気られたな」
楽しげに笑う綱元に、得手ではないが嫌いではない男だ、と小十郎は思った。

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