竜の右目の妻 三

――翌朝、蔦のもとに愛姫からの呼び出しがあった。身支度を整え、早速留守番をすることになった左衛門に「お家をお願いしますよ」と伝えれば息子は背筋を伸ばした。主君の館につけば、奥に通される――その合間、義姉の喜多と出会った。
「隈がありますよ、蔦」
「御前にこのような様、申し訳ありません。白粉ははたいたのですが……」
「そういうことではなく、大丈夫なのかと……」
「はい、屋敷のほうもなんとか。混乱はしておりますが……」
すると喜多はため息をついた。
「夫婦は似ると言いますが、そういうところは似なくてよいのです」
歩きながら話している合間に、愛姫の待つ奥の間にたどり着いた。愛姫はその名の通り、愛らしい姿をした方だ、と蔦はいつも思う。円らな黒目がちの瞳、濡れたような黒髪。そしてたおやかな人柄。義姉の喜多が三国一の姫君と誇るのがわかる気がする。
「蔦」
呼びかけてくれる声も優しく柔らかだ。
蔦はすっとその場に伏す。
「顔をあげて。まあ、隈が」
「姫様の御前にこのような……」
先ほど喜多に言ったことを繰り返そうとすると、愛姫が先手を打った。
「眠れなかったのですか?体は大丈夫ですか?……そうですね、このような時ならばわたくしが訪ねるべきでした」
「そのような、なりません」
蔦と喜多から同時に同じ言葉が飛び出して、愛姫は少し驚いたようだった。
「どこに賊が居るやもしれません。姫様はどうぞこちらに」
喜多の言葉に蔦がうなづく。愛姫はそうね、軽率でした、と年長の二人に言う。
「そう、蔦、呼び出したのはこれを政宗さまが」
言いながら愛姫は蔦の前へあるものを出した。それは長物を包んだらしい風呂敷であった。その風呂敷に蔦が首をかしげると、愛姫自らそれを解いてみせた。
「――」
「政宗さまが、蔦に渡すようにと」
それは一振りの刀――まごうことなき、蔦の夫片倉小十郎の愛刀黒龍だった。間近で見るのは初めてかもしれない、と蔦は場違いにも思う。これは女の触れていいものではない。武士の魂でもある。
思わず刀に手を伸ばしかけ――ふと、止める。鍔際に何か銘がある。それを読み取って、蔦は手を引っ込めた。
「蔦?」
愛姫が心配げに声をかけてくる。蔦はそんな愛姫をしっかりと見つめた。
「これは、政宗さまの傍にあるのが正しいかと」
「……」
『梵天成天翔独眼竜』
――銘はそうあった。
『梵天、天翔ける独眼竜と成らんことを』
『梵天、天翔ける独眼竜と成る』
――どちらともとれる言葉だ。その銘を刀に触れずに目に焼き付けて、蔦は再びその場に伏した。どちらだとしても、夫の祈りにも似た願いと決意が込められている。小十郎本人は不在になってしまったが、刀は残った。きっと意味がある。
「片倉が戻るまで、黒龍は政宗さまのお傍に」
伏したまま、乞うように蔦は愛姫に言った。愛姫はじっとその姿を見つめる。
「――わかりました」
愛姫の言葉に顔をあげれば、彼女はやさしく微笑んでいた。それから愛姫もすっと頭を下げる。
「政宗さまに代わって、お礼申し上げます」
「姫様……」
愛姫は、それ以上何もいわなかった。説明もしなかった。蔦はその礼に戸惑いながら
「ありがたく存じます……」
とまた頭を下げた。喜多は、そんな二人の様子を少し離れたところから見つめていた。

(了)

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2010年9月6日初出 2010年9月11日改訂
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