竜の右目の妻 二

片倉小十郎が攫われ、奥州筆頭たる伊達政宗が制圧したはずの三方の領主たちが反旗を翻した――その報せは瞬く間に片倉の屋敷内に伝わってしまった。日が昇れば領内にも知れるだろう。蔦は慌てふためき狼狽する家人の者たちを落ち着かせた。その騒ぎで起きてしまい、目を擦りながら縁側までやってきた息子を見つけて抱き上げてあやす。
「畑、で」
左衛門を抱きながら小十郎の部下に問えば彼らはうなづいた。
「豊臣の間者が紛れ込んだようでして」
「政宗さまはどうしておいでですか」
「三方から攻めてくる軍勢の対処に……」
蔦はその言葉に夫が何より大切にしている主君を思う。
「わかりました。こちらに心配は無用、と愛姫さまに」
おそらく、若い領主は腹心の部下の家族まで気をまわしている時間はないだろう。となれば、事情を知ったその正室たる愛姫がその夫の分も心配してくれるに違いない。余計なご負担をかけるわけにはいかぬ、と蔦は思って夫の部下にそう言い、政宗のもとにもどるように言った。

部下の姿が見えなくなるまで見送ると、老爺が再び声をあげて泣き出した。腕の中の左衛門がびっくりして、「じーじ」と腕を伸ばす。蔦は苦笑して老爺に左衛門をそっと差し出した。
「左衛門が困ってしまいます。さ、泣かないで。無事でようございました。小十郎さまもきっと御喜びです」
「奥様……」
「あの通り頑丈な方ですから、攫われたのであればきっと大丈夫でしょう。さ、今日は休んで。せっかく助かったのに倒れてしまっては小十郎さまに怒られますよ。……畑は荒らされたのですか?」
「それはもう、むちゃくちゃで……」
「では、日が昇ったらいっしょに参りましょう、ね?」
そう言うと、老爺は何とか納得してくれたようだった。左衛門に無理やり笑って見せて、猫背のまま深々と頭を下げると、とぼとぼと歩いていく。蔦は起きだしてきてしまった下男に「送っていくように」と言うと、左衛門とともに寝室に戻った。心配する女中をなだめ、障子を閉めたところで崩れ落ちる。
「ははうえ?」
心配げに覗き込んでくる左衛門を抱きしめて、蔦は言った。
「大丈夫ですよ」
自分に言い聞かせたかのような言葉に、母の心を読み取ったらしい左衛門は不安になって眦に涙をためる。
「ちちうえ、さえもんにおこった?」
的のすっかり外れた息子の涙声に、一瞬蔦はきょとんとしてしまった。
「左衛門、どうしてですか?」
身の内に湧き上がった己の不安を忘れて聞くと、息子は素直に答えた。
「ちちうえ、おこってた」
「まあ」
どうやら昼間の小十郎の眉間のしわを子供なりに解釈し、今の騒ぎと結びつけたらしい。
「さえもん、ちちうえにびっくりしたから……おこった?」
蔦は重ねて言う息子の言葉にそれを理解し首を横に振る。
「父上は左衛門を怒ってなどいませんよ、決して」
微笑んで言って、そこで蔦は息子を床に座らせた。左衛門はきちんと背を伸ばす。
「父上は忙しくてまた帰って来られなくなったのです。左衛門はまた母と皆とお留守番ですよ」
「ほんと?」
「ほんとうです。左衛門はまた良い子にしていられますね?」
「はい、ははうえ!」
「まあ、良いお返事」
蔦は息子に笑って見せ、少し思案してから続けて言った。
「左衛門、母も明日から少し忙しくなって、左衛門にお留守番を頼むかもしれません。できますか?」
言うと、左衛門は少し瞳を泳がせた後、背筋を伸ばして大きな声で言った。
「はい!さえもんはぶしのこです!
ちちうえのかわりにおいえとははうえをまもります!」
「まあ!」
蔦はその言葉に思わずぎゅっと左衛門を抱きしめた。

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