姫と妻
 其の九

そのさらに数日後、小十郎を送り出した後に蔦はするりと包帯をとって、右手を開いては閉じ、閉じては開いてをしてみた。ひきつれる感じも痛みもない。痕はまだあるが、動きに支障はない。
「よし」
短く自分にそう言って、さっと立ち上がる。右手がなまっている気がして、蔦はいつもの倍働いた。その夜。
「おい、手を出せ」
寝所で小十郎がどっかりと胡坐をかいて言うので、蔦は首をかしげた。夫は帰ってきてすぐ「包帯、とれたのか」と言ったのである。
「火傷ならもう良くなっておりますよ」
そう言っても夫は
「いいから、出せ」
と言うばかりである。その勢いにのまれてそっと手を差し出せば、小十郎は自分の後ろから何やら取り出した。漆塗りの小さな丸い容器である。かぱりと小十郎が大きな手でふたを開けると、なにやら白い軟膏が見えた。小十郎はそれを左の指でいくらかとると、差し出された蔦の手首を右手で握って、すっとそれを塗り始めた。
「ひゃ」
するりとした馬の油と異なる感覚に、蔦が思わず声をあげると小十郎は笑った。
「なんです?」
匂いも油よりずっとさっぱりとしている。するするとのびてゆく軟膏に蔦は首をかしげる。
その間も小十郎は手の甲だけに飽き足らず、手首、指の間と蔦の手を撫でていく。むず痒くなって身を引こうとしても、手首をつかまれているのでどうにもならない。
「大人しくしてろ。……城の女中に聞いたんだ」
「え?」
「手荒れにいいものものがないかと。椿油が練りこんであるそうだ」
見れば、漆の器の蓋には椿の意匠がしてある。これを小十郎がこれを買い求めたのだろうか、と想像して蔦はなんだか笑いを誘われた。
「何笑ってやがる。おら、左手も出せ」
笑いに口元を押さえた左手がさらわれる。蔦はしばらくくすくすと笑い、小十郎は憮然としたまま妻の手に手荒れに効くという軟膏を塗っていたが、その後、小十郎の手がすりつける軟膏もなくなったというのに蔦の肘から上へとゆっくりと、だが熱を持って滑っていったのは言うまでもない。

(了)

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2010年9月12日初出
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