姫と妻
 其の六

馬の油を喜多から受け取った愛姫は自分のせいでないのに、ごめんなさいね、と言いながら手ずから蔦の火傷に油を塗って包帯を巻いた。
「いえ、私の注意不足ですから」
といえば愛姫は無言で首を振った。
――結局その日、愛姫は火熨斗を握ることはなく、蔦は暗くなった気持ちを抱えて屋敷に戻った。
小十郎が屋敷に戻るまで、いつも通りに物事をこなそうとして利き手の重要さを思い知る。
火熨斗は満足にかけられないので明日の小十郎の着物のことは女中に頼んだ。出来上がりを見ればやはり自分でやったものではないので気にかかるところがいくつか見あたったが、どうしようもないのでため息を付くばかりだ。左手でできることは限られ、手持ちぶさたにして過ごす。こんなことは嫁いできてから初めてだ。
やがて小十郎が戻ってきた。伏して迎える妻右手に巻いてある包帯にすぐに気づいて、小十郎はさっとひざまづいた。
「これはどうした?」
妻の右手を取り上げて、小十郎は眉を寄せた。蔦はあ、と一瞬戸惑う。
「火熨斗でひいてしまいまして」
「火傷か!」
小十郎は言ってため息を付いた。
「お前がここまでの火傷なんて、初めてじゃないか。何かあったんじゃないだろうな」
鋭くそう言った後、ふと小十郎は蔦の右手を持ち上げ支える己の左手を見た。そして眉を寄せる。
「俺は左利きだが、お前は右利きだ。……、右手を右手でひいたのか? それともお前も左手を使おうってのか」
ぐっと目を強くのぞき込まれて――蔦は観念してしまった。


蔦の手に巻かれた包帯をほどき、用意させた桶に張ったで水で火傷を洗い、乾いた油を流す。手ぬぐいで丁寧に水を拭き取って、新しく馬の油を塗る。刺激に顔をしかめた蔦に小十郎は言った。
「悪い。だが、我慢してくれ」
「わかっております」
はあ、と蔦がため息を付く。
「なんか言いたいことがあるんじゃねぇか。言ってみろ、ん?」
甘やかすかのような言葉に、蔦の緊張がゆるゆるとほどけていく。
「でも今回は私の不注意もありますし」
「俺はそうは思わねぇがな」
手慣れた様子で包帯を巻き直す小十郎はむっとしたように言う。蔦はため息をついた。
「義姉上もそうお思いのようです。でも、それより」
蔦の気にかかるのは愛姫の様子だ。
「侍女同士の不和が姫様のお心を痛めているのではないかと。義姉上も折り合うような方ではありませんし、田村の方々も譲る気はないようです。姫様にとっては田村の方はご実家から一緒の方ですし、伊達は姫様がこれから生きていくところです……」
はあ、と小十郎がため息をついた。
「それと……思い過ごしだといいのですけれど」
「なんだ、言ってみろ」
蔦はつかの間目を泳がせた。
「田村の皆様のしていることがただの女の意地や女の奥での領地争いでなく……、お家の事情も関わっているとすると、なんだか嫌な予感がいたします」
包帯を巻き終わった小十郎が、そのまま左手で蔦の右手首を掴み、そこをさするように撫でた。
「女の意地、というのはよくわからねぇが、お家となると政宗様にも関わってくる。気にくわねぇな」
「ええ」
「もっと気にくわねぇのはお前の手を火傷させたヤツだ。たが、俺は首を突っ込めねぇ」
小十郎の無骨で大きな手が、蔦の手を包み込む。火熨斗と違って優しい暖かさだ、と思う。
「……、手、だいぶ荒れたな」
「え……?」
いや、と小十郎は火傷のところにふれないように、今度は右手で指先を包み込む。右手をすっかりとらえられて、蔦は戸惑う。
「前から働き者の手だったとは思うが……荒れてる」
「……申し訳ありません」
「……、そんなんじゃねえよ」
小十郎はじっと蔦の目を見た。蔦はそれを見返しつつも、首を傾げる。
「家のことだけでも手が荒れるってのに……、火傷までしちまって」
不意に小十郎が右手を蔦の手から離し、ぐいと左手を引いた。
「!」
蔦の体が傾いですっぽりと小十郎の胸におさまった。着物の下に厚い筋肉を感じて蔦の体がどうしてかおののく。
その蔦をしっかり抱きしめると、小十郎がぽつりと言った。
「苦労かける。……すまねぇ」
蔦はその声の心地よい低音に目を閉じ、小十郎の胸に顔をすり寄せた。
「姉上には伝えておく」
「心配ないでしょうが、せめて義姉上は姫様第一で」
「それもそうだが、お前のこともだ。今度こんなことがあったら、俺の関わっちゃいけねぇ奥のことだとはいえ、堪忍袋の緒がもたねぇ」
どくどくと聞こえてきた小十郎の鼓動に蔦はいろいろな気持ちがない交ぜになったため息をつき、しかしなぜか暖かな気持ちになってすっかりと小十郎に身を任せた。

 目次 Home 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -