姫と妻
 其の三

愛姫はしゃなりと蔦に頭を下げる。蔦ももう一度礼を返す。それから愛は傍らの女を、“三春から付いてきた自分の侍女頭”だと紹介した。蔦が当然そちらに目を向け会釈をすると、“侍女頭”がすいと目を逸らしつつやや浅めに礼を返してきた。
その様子に、蔦の後ろに控えていた喜多の放つ空気が強烈になった。ああ、と蔦は悟る。
――義姉上とこの『田村から来た侍女頭』は対立しておられる。
喜多は伊達家からつけられた愛姫付きの筆頭侍女のはずではなかったか。
愛姫は伊達家の嫡男政宗に嫁ぎ、もはや伊達家の人間となったはずである。“田村からついてきた侍女頭”、などがいるとはおかしな事態だ。侍女たちの頭が二人いるなど、混乱の種にしかならない。
しかし姫君はまだ幼い。年上の、しかもずっと身近にいた人間が何か言えば丸め込むのはたやすいだろう。この異常事態に最近姫に付いたばかりの喜多は、なんらかの不利を――姫君の意向は如何にせよ――被っているのだろう。だが、それで黙っている喜多ではないことを義妹の蔦はこの一年で学んでいた。
「小十郎殿の奥様というから、もっと年上の方だと思っておりました」
そんな蔦の物思いを、鈴を転がすような声が遮った。新しい人物に出会って、懸命にその人を知ろうとしている愛姫の表情に蔦は勇気づけるように微笑んで見せた。
「私めと片倉は、五つ歳が離れておりますよ」
言うと、愛姫がわあと声を上げた。
「政宗さまと、わたくしは二つです。もっと離れているのですね!」
「ええ、政宗様と片倉はもっともっと離れております。でも、私めと姫様は政宗様と片倉よりずっと近いですよ」
すると、ぱあっと愛姫の顔が輝いた。
「では、わたくしと蔦は仲良しになれますね!だって、政宗さまと小十郎殿は仲良しですもの!」
嬉しそうに言う愛姫に、ええと蔦は答えたあと少し笑ってしまった。小十郎と政宗は仲良しに違いないが、時折脱走やらいたずらをする政宗を小十郎が追い回すことを思い出したからだ。愛姫の意図する仲良し、とはきっと、いやかなり形が違う。
「ねえ、蔦は今日お暇かしら。だったら、わたくしとたくさんお話をしていただきたいのだけど……」
もじもじという愛姫に笑みを誘われ、蔦はもちろんです、と答えた。
――愛姫の隣に陣取っている“侍女頭”が眉をひそめたのに気づかずに。


愛姫は気をおけない話し相手に飢えていたのか、とりとめなく話続けた。政宗が、縁談が成ってから夢想していた人よりずっと素敵で驚いたこと、政宗が南蛮語を話すので驚いたこと、その政宗に南蛮語の意味を知りたいというと、ちょっとぶっきらぼうにだが「おまえにはまずこれだ」と南蛮語の「いろは」の手習いのような綴りをくれたこと――愛姫はまず政宗の話ばかりをした。
蔦はそんな愛姫に心の底から優しい笑みが浮いてくるのを止めることができなかった。
愛姫はそう、あこがれの殿方について語る乙女の顔をしていたのだ。可愛らしいが下々のものと変わらないその表情に、蔦は懐かしいものを思いだし、同時に愛おしく思っていた。
――政宗様も、まんざらではなさそう。
あのやんちゃな若君が花嫁にどう反応するかと少々心配していた蔦ではあるが、愛姫の話す政宗は、差し引きを多めにしても愛姫のことを憎からず思っているようであった。
――よかった。
心の中でそっと息を付く。蔦の心配ごとは、小十郎の口からの言葉では決して安心を得られぬものであった。小十郎はどこか鈍いところがあり、政宗の様子が知れても――時折姫様に意地悪をしているようだ、と聞いて不安になっていたのだ――愛姫の様子は知れなかったからだ。だが、その心配は取り越し苦労だったらしいと蔦は思う。政宗の「意地悪」は、あの年頃の男児によく見られる親愛表現だ。
ふと、優しげに笑う蔦の視線に気づいて愛姫はまたもじもじとして赤くなった。
「わたくしばかり話してしまいました。あの、蔦、聞いてもいいですか」
「なんなりと」
「小十郎殿は、蔦には優しいですか」
その言葉に、控えていた喜多がまずぷっと吹き出した。蔦も思わず苦笑してしまう。
「ええ。片倉はあの通り、少々怖い顔をしていて、眉間に皺をためがちですが、蔦によくしてくれますよ」
蔦が小十郎の真似をするように眉を寄せてみせると愛姫は、まあ、と口元を押さえてくすくすと笑った。喜多まで笑っている。しかし、田村からの侍女たちは顔をしかめていた。その様子を見て、蔦は表情を正した。
――あまり義姉上の迷惑になることはしてはいけない……。
蔦はそう思いつつ愛姫と話した後頃合いを見て、今日は初めてですから長居しては申し訳ありません、と切り出した。
とたんに愛姫が不安と失望をない交ぜにしたような表情をしたが、
「また来てくださいね。約束よ」
と言って蔦を帰してくれた。

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