蛟眠る 第二十話
 其の壱

愛の視線の先には何があったのか。
角を曲がって、小十郎はすぐにそれを見つけた。
中庭で、木刀をふるう政宗。
陽光の下、白い着物の背が見える。日輪はちょうで天辺にあるのだろうか、その背がいやにまぶしい気がした。
そして小十郎は悟る。
愛姫は、表という場所だから政宗に近づかなかった、というわけではないと。
晴天――穏やかな空気、緑の生気満ちる陽気、まぶしいほど白い着物の背とは真逆に、政宗の纏う空気は暗く、放つ気配は暴れている。
……近づけなかったのだ。
小十郎も、一定の距離までしか足を踏み出せなかった。それ以上進もうとすると、とても空気が重くなる。晴天も緑の香り含む陽光も酷く薄くなるようだった。圧力の壁があるようで、小十郎は進むのをやめた。
やめた代わりに、そこへ座り、控えの姿勢をとる。
縁側で過ごすには心地よい日で、板張りの床は湿りもなく本来ならば居心地がいいことだろう。いつもならば成実でも呼びつけて稽古をし、綱元がのんびりと茶をすするような日和である。
だが政宗は小十郎に背を向け、独り木刀をふるう。
――真剣であれば。
小十郎はその後ろ姿に思う。
――おそらくは何もかもが一刀に伏すほどだ。
太刀筋はむしろ怒りによって鋭くなり、迷いは皆無だ。
――だからこそ危うい。
太刀筋からは本来ないはずの銀の残像が見えるようで、小十郎はむしろ眉をひそめる。
『筆頭は石田三成を恨んでる』
それは兵卒たちの噂だ。
『周りが見えなくなるほど怨んでるんだ』
きっとその噂には、戦死者たちの家族へむけた領主の書状がなかったことも影響しているのだろう、と思う。
しかし。噂はもう一つ。
『筆頭があんな屈辱を受けたのは、初めてだろ……』
そうだろうか、と小十郎は思う。
屈辱。
それは、豊臣の一臣下に敗れたというものに付けるにふさわしい名前なのか。
――それは、輝宗様を喪ったあの時よりも耐えがたいものなのか?
独眼の竜は切れない刃をまた振り、空気が裂ける音がした。木々が騒ぐ。鳥が逃げないのは、すでに這う這うの体で逃げだしたからか。
あの時、輝宗が死んだ、あの国境の河原。
確かに小田原の北方で、竜は大地に叩きつけられた。
だがそれは、落とされることもなかったあの河原、幼い竜を育てた偉大な雲が無残に命を四散させられたあの河原より、屈辱的だったというのか?
『だって、筆頭言ってるじゃないか、「石田三成」って、低いおっかない声で』
「……」
脳裏によみがえる兵卒たちの噂に耳を傾けていると――ふと、空気が弛緩した。意識を戻して政宗の方へ目をやれば、白い袖は下を向き、木刀の切っ先も地を指していた。
「小十郎」
「はっ」
やはりお気づきだったか、と思いつつ頭を下げる。
姿勢を戻しても、政宗は振り返ってはいなかった。
「佐藤定郷――死んだのか」
背のむこうから発せられた声には意外な名前が載っていた。小十郎はわずか驚き、肯定の返事をした。
「佐藤次郎右衛門定郷は、殿軍にてその任を全ういたしました」
朝議の場で一度、定郷の名が出た。それが今の政宗の耳に残っていたとは少し意外であった。
「功のあったやつのことは忘れねぇ」
口に載せなかった疑問はそれでも読みとられ、政宗は抑揚のない声で言った。
「さようですか。……ご記憶にあったとは、佐藤も喜んでおりましょう」
小十郎は、政宗が定郷のことを覚えていたのはこの度の功のおかげだと思い、頭を下げた。
――するとその小十郎に意外な言葉が投げられた。
「……須賀川だ」
「……は?」
「須賀川の戦だ、二階堂との」
須賀川――それは三春より南方、岩瀬にある城と町の名だ。政宗の伯母――阿南が嫁いだ二階堂氏が治めていた土地。その土地を政宗は攻め落とし、二階堂は滅んだ。当主に不幸が続いたことで実質的な城主となっていた政宗の伯母は、甥を嫌い、その助命の申し出を断ると別な甥を頼って落ちのびた。
その戦と顛末は――今にしては遠い昔のことのように思える。

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