蛟眠る 第十九話
 其の弐

御曹司とその傅役の一人が死に、もう一人の傅役は逃げた。
しかし直後に「それ」を確認したという二人の重臣のうち、鬼庭綱元は「その顔」を確認していないという。もう一人はどうかはわからないが、綱元よりわずかしか先行していなかったのだとすれば結果は変わらないだろう。
わからない、と小十郎は思った。
あの秀雄という年若い僧侶は、混乱した神経と疲弊した精神がみせた幻だったのだろうか。白萩と小川のあの、夢。
ではなぜ――夢に現れた彼は最後に見た姿より成長していたのだろうか。
そして、どうして「彼」つまりは「死んだはずの小次郎」だったのだろうか。
三途の川を渡らせなかったという話に出てくるのは、いつも先に逝った肉親だという。小十郎ならば、父母に相当する。
ならば、なぜ肉親ではなく主君の弟君だったのか。
あの小さな小川はその類ではなかったのか。
だがその証拠のように、夢の最後に定郷が現れ――橋を渡って行ったではないか。
――橋。そうだ、橋。
定郷は橋のむこうへ、川の対岸へ渡って逝った。しかし秀雄は、橋の上に最後まで留まったままであった。
人が僧侶になる――仏門に入り出家することを、俗世を離れる、という言い方がある。また、僧が世間に戻ることを「還俗」するという。僧侶という存在は、世間――俗世から隔絶されたところで暮らす存在であり、仏門に入るためには名を改め俗世での自分を捨て去る。そのため、俗世での生を絶つ出家を「死に準じるもの」とみる向きがある。そして僧侶は時に「生と死の間に立つもの」ともみなされる。
死んだ者は、たとえ大名に連なるものであれど、俗世に関わりのない者として生きていく。もちろんこの乱世にあっては、僧侶としての立場を大いに利用し生家へ貢献する者もいるが、伊達の家にそのようなものは、政宗の指南役として虎哉宗乙を推挙したといわれる政宗の大叔父大有康甫ぐらいのものである。
生きながら死んだともみなされる者、あるいは――生と死を繋ぐもの。
それが、ある種の俗世の仏門へ入った者への理解だ。
――橋は此岸と彼岸を繋ぐもの。であれば……。
武士のいくらかが婆娑羅の力という摩訶不思議な力を持つ世にあって、僧侶が夢を渡る術をもっていても不思議ではない。
そこまで考えて、小十郎は首を振った。
――俺が考えても栓無きこと。それよりも。
『兄を頼む』
現象の源を探るよりも、たとえ幻であっても秀雄と名乗った小次郎そっくりの若者が言ったその言葉――政宗を頼む、との言葉の方がきっと重い意味を持つ。
あの悪夢はたとえ混乱した精神と疲弊した神経がみせた幻だったとしても――酷く重い意味をもったものだったのだ、と小十郎は思った。

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