蛟眠る 第十九話
 其の壱

翌日朝議の場にて、生存者の報告が正式になされた。空は晴れ渡り、まるでそれを賀するがごとく、であった。
昨日城に詰めていたものたちは噂は耳にしていたらしく、自分の居所に腰を落ち着ける前からにこやかで、知らなかったものは明るいどよめきを放つ一人となった。
そして皆一様に、上段の政宗を見やる。
――きっとお喜びになる。
皆そう思ったのだ。
だが、政宗の表情は能面のように動かなかった。
ただ
「小十郎、成実、綱元」
と自らの三傑を呼ばわると、
「やることはわかるな」
とだけ言った。
三人が臣下の手本のごとく首を垂れると、政宗はやおら立ち上がり
「今日は以上だな」
といって朝議を開かせ、陽光降り注ぐ外へ廊下へ出て行った。暗い部屋から見ればその姿は光に溶けていくようでもあり、掴みどころのなさと不安感を見る者に残した。
確かに、事前に朝議にて取り上げる議題はそれまでに出尽くしていた。
だが、いつもであれば国主が出張らなくてもよいところまで口を出したがる政宗にしては、丸投げがすぎた。
いつも政宗が「お前ぇら」と呼ばわる者たちのことだというのに。
伊達家中の皆がやはり同じことを思ったらしく、政宗が退席するとざわりと場が騒がしくなった。
小十郎はざわめきを聞きつつ、政宗の去ったほうを見つめた。
「本当にお変わりになってしまわれたのか」
ざわめきの中で一つ耳に残ったのは、老臣の一人か政宗に連なる血を持つ誰かの呟きだった。


「で、どーする」
朝議に集まった者たちが三々五々持ち場へ戻ると、三人は頭を突き合わせることになった。命じられなかった家臣のうち最後まで居残った者が退出すると、小間使いたちが丁寧に戸を閉め、場を閉じた。部屋が一段暗くなる。国主の命であるから隠すものでもないが、場を整えるとはそういうものである。
そしてまず現実として膝を寄せあったわけだが、他の二人が落ち着くのもそこそこに口火を切ったのは成実であった。姿勢を正してから小十郎はそれを受ける。
「確認のためにも斥候隊をやりたい。動かせる軍はあるか」
「あるにきまってる!」
成実が勢い込んで答える。体の向きを替え、ふむ、と顎を撫でたのは綱元だ。
「本来ならば黒脛巾組が適任でしょうが、頭をはじめ負傷者が多い。村の位置からいって境とはいえ伊達領。簡易の武装ならば怪しまれないかな」
「わかった、オレのところから出す」
「成実殿のところはまるごと留守を守っていただきましたからな。統制もとりやすいでしょう――いかがかな?」
小十郎はこの中で最も年長の男の意見にこっくりと頷いた。それから最も歳若な方を見ていう。
「武装はなるべくしないほうがいいだろうな。豊臣が潰えて他家は軛から解かれた――刺激してはよりまずい」
すると、成実は大きく頷いた後、勢いよく立ち上がった。小十郎と綱元が若者を見上げるかたちになる。
「善は急げだ!」
「俺の部下に地図を描かせている――」
「おう!」
そう言うと、成実は勢いこんで出て行った。小十郎は思わずこめかみのあたりを撫でた。
「……どこで描いている、とは言っていないわけだが」
ははは、と綱元は笑った。
「まあその前に、人選をするんだろう。あれで戦に関してはよく目が効くお方だ。そうして派兵する者が決まったら、また小十郎殿のところへいらっしゃるだろうね」
――しかし本当に朗報だよ、と綱元は続けた。
暗い空気の中、生存者の情報は明るい知らせとなった。もちろん無闇に希望を広げてはならず、朝議の出席者には緘口令を敷き、対象と思われる兵たちの家族には未だ知らせてはいない。間違いであった時の落胆は想像を絶するだろうからだ。
「小十郎殿の部下のおかげか。……お悔やみ申し上げる」
綱元は静かに言った。
小十郎は成実の父実元からも弔意を表す書状をもらっていた。定郷は一時期、実元の指揮下にいたことがあるのだ。
「お言葉、ありがたく」
礼を述べて、小十郎はふと考え込んだ。
ここしばらく、ずっと考えていたことだ。聞くならば、綱元が良い、と。
「ひとつお聞きしたいことがあります」
「なんだい?」
「今回のこととは全く異なることなのですが――」
小十郎は思いだす。
まだ残る悪夢の残滓。その中で出会った案内人。
秀雄、と名乗ったひどく政宗に似た若い僧のことだ。
その面差しは、とうに亡いはずの政宗の弟小次郎そのものだった。
「政宗様が小次郎様を成敗されたというあの日――」
――それと俺が登城しなかった三日間、と小十郎は胸の中で付け加える。
「綱元殿は、亡くなられた小次郎様と……死んだ傅役の小原の顔を――ご覧になりましたか?」
小十郎がやや頭を下げて低い声で尋ねれば、綱元は珍しく両眉を跳ね上げてキョトンとした顔を作ってみせた。それから、考え込むように顎を撫でる。
「…………。……いや、見ていないな。私が使いに呼ばれて伺った時には、小次郎様にも小原にも布がかけられていてね」
「布が――?」
「そう。……小次郎様も小原も中庭に並べられていたよ。……ああ、かろうじて、小次郎様の御手は見たかな。無垢な御手だったな」
「……」
ふと室内が暗くなった。明かりとりの障子から入ってくる日光が減ったのだ。日輪が雲をまとったか――その景色は室内からは見えない。
「……私より前に来ていた者がいたよ」
考え込む小十郎の思考に綱元の声が入り込んでくる。
室内は暗く、小十郎からは綱元の目鼻の陰影は見えても、表情は見えなかった。
「……つまりもう一人」
「正確には下働きのものたちも何人か、だろうね。臣下としては一人だけ、屋代殿だよ」
「屋代景頼殿……ですか」
「ああ。わたしが着いた時にはすでに御遺骸の傍にいたね、そういえば」
屋代景頼は、小十郎よりいくらか年下の政宗の近侍だ。家柄は片倉よりもずっとよく、譜代であり、政宗の高祖父尚宗の代ではかなりの地位を占めていた家である、と伊達家のものは記憶している。
――確か、義姉上の旦那の斎藤殿が屋代殿の給人だったな。
義姉、というのは蔦の実の姉のことだ。その夫が屋代のところで働いているのである。小十郎にとっては婿同士義兄にあたるその人を後で訪ねてみるか、と思ったのだ。屋代は普段内務に関わっていて小十郎と動線が交わりにくい。直接出向くより義兄のところに行ってみてからでもいいかもしれない。
それはともかく。
では、綱元は小次郎と、共に切られた小原の顔を見ていないのだ、と小十郎は思う。
「……では」
小十郎は考え込みながら言う。
「……政宗様の部屋の改装の手配をしたのは?」
たった三日で、とふたたび胸のうちで付け加える。
調度品はとり替えればいい。畳も一見そうだが、よく考えれば国主の居室に相応しい縁取りのあの豪奢な畳は、三日程度で手に入るものなのだろうか。急場をしのぐものならともかく、政宗は畳の色があせるまであれの上で年月を過ごした。そして何よりも、血飛沫の跡を削ったらしい、あの新しい木の香り。梁や柱を薄皮一枚削るのはともかく、建具は命じて三日でこしらえられる物だろうか。ましてやこだわりの強い政宗の居室に据えるものである。
「……手配したのは、わたしだが」
綱元は背筋を伸ばして答えた。小十郎はじっと彼の目を見る。
「……わかりました」
綱元は小十郎の視線をまっすぐに受けた。小十郎はその目から何か読みとろうとしたが――結局、できなかった。
小十郎は綱元に頭を下げ、立ち上がる。自分の持ち場に戻るのだ。
彼に背を向け、戸の引き手に手をかける。そこでふと、そのままの姿勢で尋ねた。
「……小次郎様の傅役はもう一人いたはず。政宗様が手討ちになされたのは小原と。もう一人は?」
綱元が見たと言ったのは、遺骸が二つだという。では、もう一人はどうなったのか。
「粟野は、逃げたよ」
綱元は小十郎が忘れかけていたもう一人の名前を出して、その行方を告げた。
小十郎がひとつ息を吐いて戸をあけると同時に、日輪が雲の衣を脱ぎ捨てた。入り込んできた陽光と逆光に沈んだ小十郎の背に綱元は目を細めたが、小十郎はそのことを永遠に知ることはない。

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