蛟眠る 第十八話
 其の四

「……殿、失礼いたします」
標郷がやおら立ち上がった。そして返事も待たずにほとんど飛び出す勢いで部屋を出て言った。しばらくすると戻って来て、小十郎の前で姿勢をただした。
その手には――旗。丁寧に折りたたまれた旗だった。
白地の折りたたんだ一部に、墨一色のものが描かれている。
鐘だ、と小十郎は思った。往路、定郷に預けたあの、黒釣鐘の旗。少納言――姉の喜多が小十郎に授けた印。
標郷はそれを主に捧げた。
「兄がお預かりした片倉の旗――しかとお返しいたします」
小十郎は頷いた。そして膝に乗せていた穂先と、手に持っていた遺髪を標郷と自分の間に置く。
旗を受け取り、眺め――言う。
「ご苦労だった」
そして自分と部下との間に突っ立っていた左衛門に「母のところへ行け」と言った。蔦が手を伸ばし、左衛門はふたたび母の膝に腰掛けた。蔦は左衛門を抱いたまま、姿勢を正す。
それを見やって小十郎は小十郎は旗を脇へ置き、代わりに標郷の間にある遺髪を袱紗ごと取り上げた。
「金蔵標郷」
「はい」
「佐藤金蔵標郷、吉日を選び、金蔵の名を改め以降名乗りを次郎衛門とせよ。以後、次郎右衛門を佐藤の名跡とせよ。佐藤の家は、お前が継げ」
小十郎はそう言いながら遺髪を標郷へ差し出した。標郷は驚いたような顔をし――だが、すぐに表情を真剣なものに直すとしっかりと兄の遺髪を受け取った。
「……しかと。これより金蔵標郷、名を次郎右衛門標郷とあらため、佐藤の当主として生涯お仕えいたしまする」
兄の遺髪を掲げ、捧げながら標郷はそう言い、後ずさった。そして臣下の位置で深く深く、首を垂れる。
そして遺髪を捧げる手を下し――見つめながら言った。
「……兄の代わりが務まる保証はありませんが」
小十郎はそれを一旦置くことにし、今度は
「大学秀直!」
と呼んだ。
標郷と小十郎のやりとりにぽかんとしていた秀直がはっとした。そして、主の前にすぐ上の兄を真似てにじり進む。その間に、小十郎は麻の包みごと鉤槍の穂先を取り上げていた。
「はい!」
「佐藤大学秀直、左衛門の槍術指南役に任ず」
小十郎はそう言って、麻に包まれた槍の穂先を秀直の前に差しだした。秀直は目を見開き主とその包みを見比べ――やがて恭しく受け取った。
「は! ありがたき幸せ!」
「決して手を抜くな。厳しくせよ」
「は!」
兄と同じく臣下の位置についた秀直の顔には、覚悟の色があった。
「……標郷は見渡すのが得意、と定郷が言っていたな」
「――あ……はい」
不安げに――遺髪を見下ろしていた標郷に声をかければ標郷はすこし間の抜けた返事をした。
「その目でもって、片倉に仕えてくれ。算術もだ。お前の目と頭は片倉に必要なものだ。長く――永く、頼むぞ」
「……はい、陰に日なたに、必ずや」
標郷が表情を引き締めてまた深く頭を下げた。小十郎はひとつ頷いてもう一人に顔を向ける。
「秀直」
「はい」
「お前はここ数年で人に教えるのが上手くなったろう。最初は定郷の命にぶーたれていたが。……その経験を左衛門に発揮してやってくれ。それにお前の槍は――いずれ兄を越える」
「……はい! そして片倉の危機にあっては必ずや前に立ちましょう!」
秀直は麻の包みごしに、気をつけながら、ぐっと槍の穂先を握った。
そして小十郎は最後に左衛門と向き合った。
「……左衛門」
呼びかけると、息子は母の膝からピョンと立ち上がった。
「はい!」
「片倉の危機にあっては、佐藤の二人の話しによく耳を傾けよ。片倉の好機にあっても、佐藤の言をよく聞くこと。――いいな」
「はい!」
左衛門は元気に返事をする。理解したのか、しないのか。勢いだけはともかくよく、小十郎は苦笑した。そしてそんな左衛門を蔦は背中から抱きしめ、
「左衛門は、いい子ね」
と言って頬ずりした。
小十郎はそれを見た後、天を見上げた。天井ではない。視線はその先へ向いている。
そしてゆっくりと目を瞑り、友たる部下をそっと労った。

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2014年8月17日初出
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