蛟眠る 第十八話
 其の弐

袱紗に包まれていたのは、糸より繊細な――髪の毛だった。
短い黒い髪。
左衛門は不思議そうに母の手にあるそれを見つめる――そして、父を仰ぎ見た。
小十郎は息子の視線をそのままに、残りの麻の包みへ手を伸ばした。袱紗に比べて雑と言える包み方を開けば、現れたのは鈍い光を放つ槍の穂先だった。穂先は二股に分かれている。
「……定郷」
それは、定郷の鉤槍だった。死ぬ直前まで抱え、頼りにしたという鉤槍の穂先。汚れはひとつもない。誰かが磨いてくれたのだろう。
小十郎がその持ち主の名を呟けば
「では……これは」
と蔦が袱紗の上の髪を見つめて言った。そして、そっと袱紗の髪へ手を伸ばす。
「そう……帰ってきたの、定郷」
蔦は優しくその髪を撫でた。幼子にするような手つきだ。
「?」
左衛門は不思議そうに父と母を見比べ、
「さださと……どこ?」
と言った。父母が顔を見合わせ、沈黙が落ちる。スン、と鼻を鳴らす音が定郷の兄弟の方から聞こえてきた。
「ぼく……やくそくしたの」
左衛門は母から離れ、床に自分の包みを置いた。兄弟がハッとしたように主の嫡男を見る。
左衛門は屈みこんで、不器用に包みの結び目と格闘した。そして四隅が一つずつ丁寧に開かれ――小十郎は目を見開いた。
風呂敷包みの上に、平たく丸い、角のない石が十個ほど並んでいる。
「みずきり、さださと、にじゅっこできるの……おしえてもらうの。……さださと、どこ?」
左衛門は困惑した表情を見せ、父と母とをしきりに見比べる。
――平たく角のない石は水切りに適している。平たい面で水面をよくはね、角が水面を引っ掛けることもない。
定郷は水切りの名人だった。それこそその辺の子どもが行きがけに出会っても魅了され、教えを請うような。
小十郎はいつか見た子どもたちと定郷の川辺での景色と――先日の、橙に染まる川辺で左衛門と標郷と秀直が何かを集めていた様子を思い出した。
――水切りの石を探していたのか。
物思いに沈みかけた小十郎の視界に、定郷の遺髪を乗せた袱紗が入り込んだ。蔦がそっと恭しく夫に差しだしたのだ。小十郎は膝立ちだったものを胡坐を書いて床に座り直し、左の腿に鉤槍の穂先を乗せると両手でそれを引き取った。
夫にそれを渡した蔦も、正座をする。
「左衛門、ここへ」
蔦は息子に自身の膝を示した。左衛門は床に延べた石と母を見比べた後、母の腹に背をくっつけてそこへ腰かけた。
そして蔦は小十郎に定郷の遺髪をみせるように、彼の手を息子の近くへ寄せた。
左衛門は不思議そうにそれを見つめる。
「左衛門、よく聞いて頂戴。定郷にね、父上と母上は新しいお仕事を頼んだの。とってもとっても遠い所でするお仕事なの。それで定郷はきっとお役目を果たしますって、髪を切って槍を置いていったのよ」
左衛門は母を見上げる。蔦はほほ笑んだ。しかし小十郎には目の辺りは少し辛そうに見えた。
「とーっても遠いの。ずっと歩いて、それから牛車で四十九日河を渡って、こわーいおじいさんとおばあさんをやり過ごして、閻魔さまのところへ行くお仕事なの」
「ぎっしゃ?」
「牛さんの引く車よ。後で絵を見せてあげましょうね」
「うん。……とってもとおいところ? きょうのみやこくらい?」
左衛門は無邪気に聞く。そうねぇ、と勤めて蔦は明るく言う。
――そこで小十郎は悟った。
息子はまだ「死」と遭遇したことはなく――小十郎の父母は彼が生まれる前に死に、蔦の両親は健在である――そしてその年齢ゆえに「死」が理解できないのだと。
それゆえ蔦はを「死」をかみ砕き、衝撃を受けないように――しかし後年、母の言葉を思い出した時に「あれが定郷の死であった」と認識できるように――言葉を選んでいるのだ。
「京の都より、ずっと遠いの」
「じゃあ――てんじく?」
左衛門は背筋を伸ばして、自分の賢いところを見せ付けるように明るく言った。
「そうね……天竺はきっと近いけれど、もっと遠いところよ」
定郷は具足は薬の足しにしろ、と言ったという。ではこの穂先は――なぜ残って今小十郎の手元にあるのだろうか。遺髪も――男か村人たちが定郷を憐れんで持ち運びやすいものを遺したのだろうか。理由はわからないが、いずれにしても今となってはありがたいことだ。
「ふうん……じゃあ、いつ、かえってくるの?」
遺髪と穂先を見下ろしていると、息子のそんな言葉が聞こえた。そうね、と蔦が言う。
「左衛門がうんとおじいちゃんになってからかしら」
すると、それまで明るくしていた左衛門の表情がみるみるうちに暗くなった。
「みずきり……やくそくしたのに……」
「左衛門……」
蔦が思わず、息子を抱きしめた。

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