蛟眠る 第十六話
 其の弐

……紙を繰り、筆に墨をつけ、小十郎は止まる。
書状は死んだことが確実に確認された者たちから始めていた。首を取られたところを目撃された者、同輩の腕の中で事切れた者、せめてもと転がっていた遺体を草の間に隠してきた者。
それらはまごうことなく死を迎えたと断言できる者たちだった。
それでも伊達軍の損失から比べれば、片倉の死者数は明らかに少なかった。
「定郷様が正しい判断をしてくださったからです」
生き残った者は口をそろえてそう言う。
政宗の側にあらねばならない小十郎は、自らの手勢を定郷に任せていたのだ。
「定郷は優秀ですな。密偵もこなせば一部隊任せても被害は最小限で帰ってくる。引き際を抑えられる人材はそうそういませんぞ」
そう言ったのは親類の、たしかかつて名をはせた伯父片倉意休斎に連なる者だったと思う。
「だからこそ残念ですな、あの状況で彼が最も殿軍の統率者として望み得る最高の人物だったとしても――戻ってこないのは」
行方不明者――落伍したのか落命したのかわからないものたちへの書状を書く段になって、小十郎はその言葉を思い出していた。
行方不明の者たちに関する聞き取りは慎重にせよ、と小十郎は厳命した。
帰還した者たちから該当者を最後にどこで見たのか聞きだし、負傷者がまるごと収容されている城近くの療養小屋へ行きそこに名前の挙がった者が紛れていないか確認し、情報を整理した後、該当の者が最後に目撃された日と軍が国元へ帰還した日から経過した日数とを計算し、通例と照らし合わせて絶望的とされた者の家族には――書状を出した。
その書状は家族が帰ってくるかもしれない、と淡く細い希望をもつ者たちにとっては最後通牒であった。わずかばかりの金子や将来の保証と引き換えに家族の死を受け入れなければならないのだ。
小十郎はどの手紙にも「締め切りは設けない、心の整理ができたら知らせてくるように」と書き添えた。
そのような書状は日に日に増え――そしてある日を境に再び減っていく。
そして、最後の一通となった。

「……殿の手を煩わせるまでもない、お前たちが良いといえばそれで終わるのだ」
袴を着けられるほどに回復した初日、小十郎は今日も休むと告げていた屋敷の表へふらりと出ていった。あくまでも顔出しのつもりでとある部屋の前に差しかかると、片倉の縁者の――内務を任せている者の声が聞こえてきた。
障子戸は開け放たれていた。小十郎は思わず戸から先へ進むのをやめ、気配を殺して隠れた。そっと覗きこめば、部屋には内務係である上役と対面して座る佐藤標郷と秀直の兄弟がいた。
「兄の死を見た者はいません、俺たちを逃がした時も無事でした。きっとどこかで怪我を直しているんだ」
秀直がそう言うと、標郷が複雑な表情で上役を見た。上役はため息をついた。
「……気持ちはわかるがな、お前たちにも母御がいるだろう。生活はどうする」
「そりゃあ、俺たちは兄貴と比べて禄は落ちますが……母一人ぐらいみれますよ。足軽百姓なら辛いでしょうが」
「……そのおかげで踏ん切りがつかんとも言えるな」
上役が同情とともにそう言えば、標郷が意を決したように口を開いた。
「旗を、預かりました、兄から」
「旗?」
「黒釣鐘の――少納言様の旗です。兄が殿に残る時に、殿から預かって、掲げた」
黒釣鐘の旗は小十郎の初陣に際して、姉の喜多が「この鐘のごとく、その名を轟かせなさい」と彼に渡した印である。その旗を「ここに片倉の軍ありと示せ」と定郷に預けたのは、意気揚々とした小田原への進軍の時だったか。標郷はその辺りの事情は知らないのかもしれない。
「最後まで残るのは自分だから、旗を殿へとお返しするように、と」
小十郎は目を伏せた。
「兄は覚悟していたんだと思います。自分は戻れないって。でも僕、まだ殿に旗を返してないんです。……兄が返すべきだと思って」
小十郎はそれを聞いて、踵を返した。……聞くべき話ではないような気がしたからだ。

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