蛟眠る 第十四話
 其の弐

それにしても二階造りの巨大な山門だ。瓦屋根が重そうなのも不思議ではない。その割には木肌は生々しく白く、この門がここ数年で建てられたものだと知れる。
――……この戦乱の世にこれほど立派な門を立てるか……。ここはどこだ。
馬を数歩引かせて山門の全容を眺めていると、その内側からどやどやとした気配が出てきて思わず目をやる。するとさきほどの小坊主を先頭に、白布に腰衣の僧侶たちがやってくる。一番後ろには紫の褊衫に袈裟姿の者が一人。先ほど小坊主が和尚様と言ったこの寺の住持職だろうか。ともかくもひとりだけ違う格好から、この寺の中で一番の高位の僧であることは間違いないだろう。
その僧侶と目が合う。
「おや――これは、これは」
老年に達しそうな僧はそう言うと、ゆったりと小十郎の馬に近づいて、先に来ていた小坊主のすぐ横に立った。小坊主以外の僧たちは脇へ控えている。
「ご夫人を連れて戻られる途中か――お顔がやつれておられる。拙寺で休んでいかれなされ」
「いや……しかし……」
まず、蔦は妻ではない……そして彼女は疲れ果てて眠っているわけでもない。それを説明しなければならないが、うまく言葉にならない。標郷、秀直とはぐれ、霧に巻かれ、雀に誘われ、竹林にいざなわれ、今ここはどこなのか――思考がぼやけて事態が処理できないのだ。
すると、小十郎の戸惑いを別のものと勘違いしたか住持はおおと明るい声を出した。
「これは失礼した。奥方をお抱えのままでは下りることもできませんな。これ、お前たち、馬をお預かりして奥さまもお運びしなさい」
住持がそう言うと、弟子たち――なぜか小坊主はそこに加わらなかった――はわらわらと小十郎の馬を取り囲んだ。
そして一人が馬の轡をとり、残りが「さあこちらへ」と小十郎へ――蔦へと手を伸ばした。
白い衣から伸びる、武人のものと比べると頼りないと言わざるを得ない腕。それがいくつもゆらゆら揺れて、蔦と小十郎を誘っている。
それがまるで血の池地獄から手招きする死者の腕に見えて、小十郎は思わず馬を後退させた。轡を持っていた僧がたたらを踏む。
「大丈夫です!」
そう声をあげたのは、小坊主だった。よく通る声になぜか馬は怯えない。
和尚がすっと慈愛に満ちた目を小坊主に、それから小十郎にむける。
「大丈夫です、奥さまは。どうぞお任せください」
小坊主は優しく小十郎に語りかける。その言葉に小十郎は戸惑いつつも、手を差し伸べる僧侶たちに恐る恐る蔦を渡した。僧侶たちは一瞬、力なく落ちるように渡された蔦を受け止めるため沈んだが、すぐにすっと各々背筋を伸ばした。まるで重さを感じていないようである。
「それは――」
眠っているわけじゃない、と言いかけると、その重さで悟ったのか、それとも実は気付いていたのか、僧たちがすっと目礼した。
そして、彼らは蔦を恭しく山門の方へ運んでいく。住持の横を通りかかると、少し足を止めた。住持はそっと蔦の顔を覗き込み、静かに言った。
「観音堂へお連れしなさい」
僧たちが頷き、進む。小十郎が馬を下りれば、馬房も境内にあるのか、馬は手綱をひかれて山門の敷居をひょいと越えた。葬列のごとく次に小坊主が続いて、最後に住持が続く。そして、敷居を越えたところで小坊主と住持が足を止めた。
「おいでなさい」
住持が言い、小坊主が頷く。立ちつくしていた小十郎も石段を数段踏んで山門をくぐる。
山門をくぐれば、蔦を抱えた僧侶たちは少し左手にある建物へ向かっている。あれが観音堂か――そう思い、そちらへ踏み出しかけると、住持が静かに言った。
「庫裏へ――手当をいたします。奥さまは、懇ろに」
小十郎は足を止め、住持を見やった。彼は頷いて、傍らの小坊主を
「シュウユウ」
と呼んだ。
はい、と小坊主が応える。
「私はご夫人につき添おう――お前はこの方を庫裡にご案内して、手当をしなさい」
「はい。――こちらへ」
そう言って、小坊主は右手に見える本堂の方へ歩き出した。小十郎は観音堂へと消えた蔦を探し――背を向けた紫の住持の背が観音堂の階を上ったのを見て諦め、前を行く小坊主にのろのろと着いていった。
本堂の前を通り、右手に折れる――すると、庫裡へ続く道の入り口で小十郎は立ちつくした。
匂い立つような圧倒的な生の香り。煙るような緑の匂い。
視界に広がるは、古に女房たちが競ったとも聞く牛車の出し衣のように道へこぼれんばかりに落ちかかる白い花。
濃い緑に白が生える――庫裡へ続く道の両側に白萩が群生しているのだ。葉の強い緑が花の白さと交わり、時に濃く時に淡く落ちかかっている。道の両側に萩が植えられているというよりも、白萩の出し衣のたおやかな争いの間を人が抜けていくのだ――そう思わせる道が眼前に現れたのだ。
小十郎は息を吸い込んで、吐き出す。そして辺りに満ち満ちる香りがわずかばかりの萩の香を集めたものではなく、白萩そのものが身のすべてから放つ、植物独特の生の勢いであることに気付いた。
先ほどまで蔦という形の死を抱えていた小十郎は尻ごみする。ここはあまりに――あまりにも違う世界だ。
緑と白の競演。霧も靄もどこへ行ったか空は澄み切った淡い青で、踏み固められた庫裡への道はその大地の色で世界をより際立たせている。道の先にいる小坊主の黒い腰衣すら鮮やか過ぎて、畏ろしい。
「どうしましたか?」
道の先で、小坊主が少し大きな声を出した。
小十郎はひとつ息を吐き出して、白萩の間に身を進める。植物の生きる気配は今の彼には重すぎて、足の運びも遅くなる。小坊主はしばし、小十郎を待っていてくれた。
小坊主のところへ辿りつけば、彼は少し首をかしげて小十郎を見上げてきた。政宗よりはいくぶん低い背丈で、主君より年下だと推定する。しかしその背丈のころの政宗と比べれば、少年は体は幾分細い――食べるのは野菜に豆ばかりだからだろうか、と小十郎は思う。
「――すごい萩だな……しかも白い」
振り返りつつ小十郎は感心したというよりも、鮮やかな世界を受け入れるためにその言葉を発した。すると小坊主はにっこりと笑った。
「ええ、みんなで一生懸命お世話しているんです」
その笑みも小十郎には受け入れがたい。笑みもやはり生に属するものだ。
「こちらです」
小坊主が歩きだす。小十郎も遅れてついていく。ふと、その後ろ姿に覚えがあるようで、小十郎は声をかけた。
「……シュウユウ、と言ったか。どんな字を書く?」
「“秀”でる、に、英雄の“雄”です」
秀雄、と小十郎は漢字を思い浮かべながら呟いた。
やがて小坊主の秀雄は、立ち止った。――彼の視線の先に建物がある。庫裡だ、と気付いて小十郎も足を止め――ふと、その手前に小さな流れがあることに気付いた。
どこぞに池でもあるのだろうか。小川を模した人工の川だ。山門といい、白萩といい、この戦乱の世になんと贅沢な作りの庭だ――小十郎は呆れた。
さらにそこに小さな石造りの太鼓橋がかかっている。ともすれば、三歩ほどで渡れそうな橋である。
秀雄がそこへ足をかけ進む――遅れて小十郎もそこへ足を乗せかけた。
だが。
「お前はこの橋に乗ってはならないよ、小十郎」
寸でのところで突然名を呼ばれて、小十郎は思わずその言葉に従った。

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