蛟眠る 第十三話
 其の四

命失った体は次第に重くなり、血は大方抜けてしまったのかやがて止まった。肉が堅くなる前に抱き替えなければと、彼女の体をそっと動かした時のことだった。
「穴を掘るぞ」
定郷の声がした。小十郎への言葉ではない、弟二人に命じる兄の声だった。
その声に身動きしなかった二人がゆるゆると兄を見た。
「穴を掘る、土をかぶせて見えないくらいでいい」
その言葉に顔を見合わせた弟二人は、兄の言うことを理解したらしい。秀直が少し動いて場を探し、しゃがみ込むと両の手の指で土を掻き始めた。標郷はのろのろと辺りを見回し、落ちていた長物をひとつ取り上げると秀直の近くにそれを突き立て、土をえぐる。
「何を」
蔦を抱き直しながら部下に問えば、定郷も槍を弟たちのほど近くに突き立てながら答えた。
「墓穴です。さすがに女人を野に晒しておくわけにもいかないでしょう。あなめあなめと嘆かれては哀れすぎる」
最後の言葉はそこらへ転がる兵士への言い訳だったのか。だが小十郎は瞠目した。
「置いていくのか? 蔦殿を?」
「小田原からずっとそうしてきたではありませんか」
敗走の軍は遺骸を拾うことができなかった――名のあるものは首だけ塩漬けにされて本国へ送り返されている頃だろうか。それとも豊臣秀吉の陣没の混乱で、やはり打ち捨てられたのだろうか。
定郷は言外に蔦も捨てていく、と言ったのだ。
「だめだ、連れて帰る。狩りの連中が戻った来たら、どうなる。女人の遺骸はそれだけで――」
売れるぞ、という言葉が喉に詰まり、小十郎は言うことができなかった。
ザク、と音を立てて鉤槍を突き立て、定郷は主に向き直る。
「ええ、そうです。髪は鬘に使うますし、着物は端切れに切ってしまえば血が着いていたことなど気にする者もいないでしょう、それから体は、妙な趣味を持った――」
定郷が言葉に詰まった。恐らく先ほどの小十郎と同じ理由だ。死んだ女人というのは、死ぬ前よりも価値が落ちるが、無価値の肉の塊ではないのだ。しかしその内容は、常人が口に乗せるのには憚りと嫌悪があるものだ。だが小十郎にとって定郷がそれを言わなかったのは一縷の望みだった。そこをつく。
「だから、連れて帰る――放っておけない」
「物言わぬものを抱えればそれだけで撤退の速度が落ちます。置いていきます」
「だから、それでは――」
「だから穴を掘って土をかぶせると申し上げているのです!」
定郷の苛立った声に、弟二人が身を震わせた。定郷の表情は主に対するそれというより、きかん気な弟に苛立つ兄そのものだった。
小十郎はひるみかけ、ぐっと蔦を抱き寄せながら言う。
「土をかぶせて何になる――烏が来る、野犬が掘る。何の意味もない」
「では今まで打ち捨ててきた兵はそんな目にあってないとお思いか。土をかぶせるのはせめてもの時間稼ぎになりましょう。殿、今は急いで帰還せねばなりません。将は国のために生きるべきです。そのために――蔦殿は置いていきます」
――将は国を守るため生きねばなりません。
それは最初の別れ際、蔦が言った言葉でもある。
「――」
「殿、我らの役目は今や殿軍を務めることから殿を無事国元へお届けすることに相成りました――御甘受ください」
賊はいつ戻ってくるともしれない、だから蔦は諦めろ――そう言っているようだった。
理論はわかる。だが納得ができない。
その時だった。
「兄上、無理だ」
標郷がそう言って長物を放り出した。それを見て秀直も手を止め、手を叩いて土を払う。
「鍬も何もないのに人ひとり分の穴を掘るのは、おれたちだけじゃ無理だ」
まさしくお手上げ、とばかりに手を広げた次男を長男は無表情に見る。
「それに。掘っている間に戻って来られたら目も当てられない。……進もう。遅くなったって留まっているよりも進んだ方がマシじゃないか。味方の増援とかち合うかもしれないし」
標郷は一瞬主に目をやり――そして再び兄を見た。
「オレもここにいるのはちょっとイヤだな」
秀直が立ち上がり、膝についた土を払いながら言う。
「それに矢内様は、奥方様のたった一人の御使いで、女の人だ。殿や政宗様の足軽と違う――だから連れて帰ってもいいとオレは思う。兄貴が気にしてんのはそこじゃないだろうけどさ」
「――……」
定郷が弟二人を見比べ、目をつぶり――そして再び目を開けて言った。
「無事な馬を三頭、見つけてこい」
言うと、標郷はほっとしたような顔をし、秀直は少し顔を明るくして駆けていった。
それを見届けて、定郷は主に向き直り、女を抱いたまま腰を落としているその視界へと屈みこんだ。
ざわり、と生ぬるい風が吹いた。死が満ちる場に吹いた風は重かった。
そして真正面から小十郎の目を見て年下の部下は言った。
「そこまで嘆かれるのなら……終生、大事になさいませ」
「……?」
小十郎は妙だ、と思った。
死んだものを「終生大事にしろ」というのはどう言うことか。厭味か――そう思ったが、定郷の目は真剣でそんな気配はみじんもなかった。「国元まで後生大事に」というのならわかるのだが。
どういうことか、と問おうとすると予想よりずいぶん早く残り二人の部下が馬を見つけたと戻ってきて定郷が立ち上がり、その機会は潰えた。

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