蛟眠る 第十三話
 其の弐

小十郎は左で抜刀し、右手で蔦を傍らに呼ぶ。体全体を弛緩させていた秀直が再び身を起し、太刀を構える。定郷は標郷を解放し、長兄と次兄は背中合わせになる。
中央に最も非力なものを――あるいは守るべきものを――置き、八つの目が四方を睨む。
だがその庇護の輪の中で蔦は再び弓に矢を番え、すぐに動けるように構えていた。
誰かが荒く深く息をし、そして止めた。
風が木々の間を渡り、枝葉がザワリと音を立てる。その向こうに、敵意がある。
キリキリと蔦が弦を張る音だけが味方の発する音であった。
「来る」
発したのは誰だったか。似通った兄弟のもので区別を付ける暇はなかった。小十郎と声を発したもの以外が地を蹴り身を捻ってそちらへ向き直る――直後襲撃の鬨の声と真正面からぶつかった。
新たな野武士の数は四より多いが十を下回る。
身の軽い秀直が先んじて太刀でもって一人を打ち倒し、返す刀で二人目を斬る。
標郷は武器よりも先に足が出た。蹴り飛ばされてたたらを踏んだ野武士の具足の隙に定郷の槍が突き立つ。
小十郎は先の三人から零れた敵を迎え撃った。刀を打ちあい、一人ずつ確実に屠る。
合間、一矢があった。
だがそれは誰の相手にも辿り着かなかった。それを目で追いかけかけて――小十郎は目の前の相手も同じく気をとられたことに気付き、それを利用してそれを斬り捨てた。呻きながら倒れた野武士の向こうで喉に矢を受けたその仲間が声もなくゆっくりと崩れ落ちていった。
残りが四と同数になった――だが瞬きの間に斬り殺された仲間を見て怖気づいたか太刀の切っ先や槍の穂先は小十郎達の方を向いているにもかかわらず、それは震えながらも動かなかった。
それを視界の端にとどめながら肩越しに振り返れば、蔦が矢を放った姿勢のまま止まっていた。そしてその姿勢のまま空いた手だけが箙へ走る。一掴みで最後の二矢を取り上げると、流れるような動作でひとつ、ふたつ――矢はまっすぐに小十郎の横を抜けて四のうち二へと突き立った。
どう、と野武士が倒れる。それを見て、残りの二が怯えた声だけ残して背中を見せて逃げていく。
「けっ」
そう言ったのは秀直だったか。各々もはや殺意がどこにも隠れていないことを確認すると武器を下ろした。そして、背側に残した蔦の方に振り返る。
「矢が尽きてしまいました」
空になった箙をやさしく叩いて蔦が言う。すると、標郷が言う。
「見事でした」
「ご迷惑をおかけしました――でも矢がないままではもっと足手まといになってしまいますね……」
蔦が言うと、佐藤の兄弟が一様に首を横に振った。
「お気になさらずとも」
だがそう言った定郷の言葉が聞こえなかったか。蔦は地面のあちこちへ目を落としていた。仕損じた矢がないか探しているように小十郎には見えた。
そんなこと、せずともいい――だがその言葉が口から滑り出る前に蔦の目が一点にひかれているのが見て取れた。そして、意を決したように彼女が歩きだすのも。
彼女が向かう方を見て小十郎は眉をひそめる――そこには野武士が転がっているだけだ。……いやよく見れば、肩に矢が突き立っている。彼女が最初に小十郎を救うために倒した者だろうか?
風は乾き、砂埃が舞い上がった。その砂が薄い膜のように蔦の無防備な背を覆う。
そんなことはしなくてもいい――再び小十郎は思った。だが声にならない。
何をしなくていいというのか……彼女は先ほど、矢が尽きた、と言った。矢がないと足手まといになる、とも。
――矢など、拾いに行かなくていい。
まして人を殺した矢など忌わしい、貴女はそんなことはしなくていい――だがその言葉は小十郎の乾いたくちびるに乗らなかった。
「殿」
緊迫した定郷の声。その声は案に「止めろ」と言っている。
声が出ないならば駆けだして、肘でも引いて引き戻せばいい。
だがそうする前に――事は起きた。
ぴくりと倒れた男の足が動いたのだ。

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