蛟眠る 第十二話
 其の四

「小十郎!!」
若い声。馬が速度を落とし、いくらか足踏みするように止まった。
息が上がり、肩が上下する――馬だけではなく、小十郎もだ。
「小十郎!」
気配が近づいてくる。それを目に入れる前に、小十郎はその声と気配の主を言い当てた。
「成実」
言い終えてから目を当てれば、政宗よりひとつ下の声の主は厳しい表情をしていた。
「やっと来た。なにしてたんだよ。梵は、ちゃんとした輿に乗せるよ――」
言われて見渡せば、政宗の荷車は水平に止められ筵をはがされていた。幾人かがそこへまとわりつき、国主に何が起こったのか確かめている。
「狩りの連中は?」
「――殿軍に俺の部隊を置いて来た」
荒い息の間でそう言って、小十郎は辺りを見た。
そこで初めて、開けたその場に二種類の人間がいることに気付いた。
傷つき怯えた兵と――五体満足、覇気に満ちた兵。
前者は小十郎が引き連れた兵で、後者は成実が率いた者たちだった。
「いくら出そう?」
成実のその言葉は「どのくらいの人数ならば殿軍を救えるか」というものだった。この若者の気性は、やはり国主の従兄に似たのだと思わされる。殿軍は本来、戻らない覚悟を決めたものを置いてくるのだというのに。
「わずか。将はあまり突出したのを出すな。お前は残れ。兵は将の声の届く人数でいい」
それを言うと、成実はわずか眉を寄せた。残れと言われたのが不満なのか、それとも手勢が少ないと思ったのか。
「殿軍を任せたのは誰?」
「佐藤次郎右衛門定郷」
「知ってる! 父上が褒めていたのを聞いたことがある!」
そういえば定郷と標郷は小十郎に仕える前わずかな間だが成実の父、実元のところにいたことがあったか――成実の明るい声にぼんやりと小十郎は思い出した。
「そいつ、手当しなきゃね」
話題が逸れて、成実が小十郎の鞍の前に乱暴に積まれている忍を示した。すると気付いた成実の配下が走り寄り、馬上から負傷した忍を引き下ろした。
そこで、小十郎はやっと息をついた。そして馬を下りる。手綱は成実の配下に任せた。
ぐったりと疲れが脚に乗るようだった。地の力にひかれて膝をつきそうになる。だが足裏に力を込め、進む。向かうところはひとつ、政宗のもとだ――成実が将兵に命じる声が背中にぶつかった。
荷車に近づくと、医者や薬師が小十郎のために場を開けた。政宗はきつく目を閉じているようだった。右手には――蔦が運んだ――愛姫の御守を握りしめたまま。
「政宗様――」
答えるようなうめき声。だが政宗の口が意味を持つ言葉を発することはなかった。
小十郎は医者と薬師に政宗が負傷した状況を問われ、答えた。また小十郎からも彼らに政宗の今の状態を聞き返す。そんなことを数度繰り返していると
「あねうえ」
といういやに幼い声が小十郎の耳朶を打った。声にひかれて振り返れば、兵たちの間を縫うように真新しい鎧を付けた男が行く――見たところは元服を終えたばかり、これが初陣であるという様子の少年と言ってもいい。
「姉上」
あねうえ――と呼ばわりながら、少年は兵の間を探して歩く。
小十郎は医者たちに後を任せて政宗の元を離れる。一直線に少年を目指し、その背に
「おい」
と声をかけた。何かを探しあぐねていたような少年ははじかれたように小十郎を振り返った。その驚いたような顔に、小十郎もまた驚いた。似ているのだ――
「……お前は誰だ」
驚きつつ問えば少年は飛び上がるようにしたあと、ザッと平伏した。
「わたくしは大町が検断職、矢内和泉重定が名代、嫡男藤兵衛信定と申します――本日は大町衆を率い馳せ参じた次第」
きっと暗記してきたのだろう、違和感を覚えるほどスラスラと口上を述べる少年に小十郎は再び衝撃をうける。どうりで似ていると思ったのだ――この少年の父は矢内重定だという。その名は、あの遠くなってしまった見合いの日、蔦の傍らにいた父の名と一緒であった。否、その身分も、である。
「矢内殿の、息子か」
「はい――この度のことは他国に広まってはならぬことゆえと検断自らは動かずわたくしが代わりに参りました。大町衆も定められた数よりは少なくございますが、代わりに精鋭を――」
「では蔦殿の、弟御か」
たしか成実も他国に訓練と言い逃れできる手勢と範囲にとどめて待機していたはずだ――それと同じく用心に用心を施した、町人に近い、緊急時に召集される兵卒の詳細を聞きながらも、小十郎の口を衝いて出たのは軍師としてそれを検めるものではなかった。
その問いに「は?」と言う顔をした信定という少年はそれでもすぐにはい、と答えた。
「はい、蔦は姉です。――姉上をご存じですか?」
見上げてくる顔は、蔦にそっくりだ。特に目が――まっすぐな目が。小十郎は慄いて後ずさりしそうになる足に力を込めた。信定というこの少年は俺を――蔦と見合いをした俺を――知らない。おそらくは平伏した理由も小十郎の身なりから将の一人と判断し、反射的に伏したにすぎないのだろう。そのことに奇妙な安堵を覚えつつも、小十郎は立ちつくしていた。
「姉上――姉は、奥方様の名代として皆さまをお迎えに行ったと――聞きました。姉の御役目は終わりましたよね? 姉は、どこでしょう?」
あねうえ――信定の発したその言葉が小十郎の脳内で別なものに入れ替わる。あねうえ、と脳に響いたのはかつての自分の声。幼少期の、今のように低く男らしい声ではなかった頃の、頼りない甲高い子供の声。小十郎は無意識に首にかけた御守りを――小十郎の姉喜多が信定の姉である蔦に持たせた御守りを――探り、そして首筋にかかるその紐を握りしめた。
ずっと幼いころ、自分も姉を探したものだ――暗くなった庭先や、人の多い通りで。この少年と同じく、人の間を縫って探した――優しく、強い姉を。父や母とも違う、その複雑な存在を。
『蔦が道中無事でありますように。そして蔦が小十郎の妻となりますように。』
御守りに隠された姉の願いと、「お行き」と馬を打った蔦の顔が重なった。そして、最後に見た弓を構える後姿。

――返さなければ、姉をこの弟に。
――帰さなければ、あの娘を家族の元に。
――還さなければ、蔦をこの国に。

「――お前の姉上は……蔦殿は、俺が連れて帰る」
え、と信定が声をあげるのと同時に小十郎は馬を呼んだ。そして再び小十郎は馬上の人となり、蹲る兵たちを蹴散らしながら元来た道を戻った。

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2013年12月31日初出
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