蛟眠る 第十二話
 其の参

隊列は北へ北へと進む。
同じような林が続く中でも木々の色は濃くなりその香りは見知ったものとなり、大気は冷たいが肺に馴染むものになる。土の色も見知らぬ赤黒いものから白茶けたものへと変化していく。
一足ずつ、全てに馴染みが増えてくるようだ。
風の音、土の感触、陽光の柔らかさ。空気に混じる水の気配。
国が近い。近づいてくる。いや、近づいていっているのだ。
だが。
――異変。黒い何か。
故郷が近づき兵士たちの足取りが軽くなっていく。なのに、小十郎は妙な重さを背後に感じて肩越しに振り返る。
街道と呼ぶには狭い山の道。両脇はまばらな林だ。
負傷した者たちの隊列は延々と続いている。
足元には自然に踏み固められた道。今来た道はずっと後方まで続いている。
……その、向こう。
妙な重さ――あるいは気配はそこからじわりじわりと近づいてくる。しかも、肌の粟立つような良くないものだ。
小十郎はついに政宗の荷車の横で歩みを止め、肩だけではなく体ごと振り返った。
人夫役もつられたのか荷車が速度を落とし、傍らの蔦も振り返った。その気配を背中に感じつつ、さらに殿軍の方へ目を凝らす。
佐藤定郷が馬を行きつ戻りつさせつつ、片手には槍を下げて隊列を制御しているのが見て取れた。
小十郎はふと、その役目を彼に頼んだだろうかと思った。槍も馬上では重かろうに、どうしたことだ。まして、騎乗しろ、と命じていただろうか?
その時、ピタリと定郷の馬が足を止めた。馬の鼻は隊列後方を向いている。
――気付いている。
自分と同じ気配に。小十郎は悟った。視界を広くすれば、標郷と秀直も兄の様子から何かに気付いたのか、それぞれに緊張するのが見えた。小十郎は馬を引く兵士を呼んだ。そして連れてこられた愛馬の手綱をとって馬上の人となる。
「どうかしたのですか?」
背後から蔦の柔らかい声がした。小十郎の緊張とは裏腹の優しい声。その声に小十郎は馬上で背を伸ばし、力を腕へ、足へ――そして胸に入れた。
――……守らねばなるまい。
小十郎は蔦には答えなかった。ただひとつ、黒脛巾の者を呼びよせる。
「付近に散ったものから何か――」
――知らせはないか。
それを確かめようと小十郎が忍にそう言いかけた時だった。
隊列のはるか後方、そこから法螺貝の音が上がった。
「これは――狩りです!」
忍が一言そう言い放った。低く重く広がる法螺の音と同時に、隊列の最後尾が列を崩し始めるのが見て取れた。法螺貝はその音の長短で何があったかを知らせている。空気を震わせ、敵襲、と大音声で告げているのだ。
負傷した兵が転げるようにこちらへ向かってきて、無事なものたちが法螺の音に反応して踏みとどまり刀や槍に手をかけ身構え始める。
小十郎は政宗の荷車へ振り返った。
「引き手! 速度をあげろ! 落ち武者狩りだ!!」
法螺の低い音が、地を這ってくる――その向こうから、気配が来る。敵意を持った者が来る。
気配はまず音となり、伊達軍のものではない飢えた声と力強い足音となって兵たちに襲い来る。
荷車を引く者が足を速めた。必要ならば馬につなげ、と叫んで小十郎は蔦が立ちつくしたままでいることに気付いた。
――何が起こっているのか理解していない。
小十郎は瞬時に気付いて、馬を彼女へ寄せる。その脇を次から次へと兵士たちが駆け抜けていく。
「何が」
「落ち武者狩りです。早くお逃げを!」
「ここは奥州では?!」
蔦が目を見開いて問う。
「伊達の領内ではないと黒脛巾組が言っていたが、どうやら現実になってしまったようだ」
「何のことです?!」
「奥州には伊達家だけだとお思いか! 我々の首をとって他家に取り入ろうとする気概があるものがいたようだ」
小十郎は挑戦的に口の端を釣り上げた。蔦はその表情で彼の言ったことを理解したようだった――青ざめたのだ。
落ち武者狩り。
敗者を農民が追い立てて、鎧や刀を奪い生活の糧を得、あるいは時に殺し、首をとり、立身出世を目論む行為――否、まさしく生きるための「狩り」だ。獲物が「人」であるだけで、生活の糧を得、自らの生活をよりよくしようとするその行為は獣を相手にした「狩り」となんら変わらない。
「誰か、蔦殿に馬を!」
小十郎はそう言った後、鐙に立ち上がる。
「片倉隊! 殿軍を固めろ!」
その大音声に幾人かの兵士が偽りの怪我の装いを棄て「応」と答え、刀を抜き槍を掲げた。
殿軍を固めよ、と定郷、標郷、秀直の三重の声が続いた。
自らの部下たちが逃げる兵士の来た方に進み出たのを見て、小十郎も馬を進めかけ――ふと、気付いた。そして叱りつけるように叫ぶ。
「早く逃げられよ!」
馬に乗った黒脛巾組の一人が、蔦に馬上へ乗るように幾度も声をかけていた。
だが蔦は固まったように動かない。
「私も残ります」
「だめだ。あなたの役割は伝令だ。立派にお勤めになされた。十分だ、戻られよ」
なだめるように言えば蔦は首を振った。
「飛び道具がないようです――弓矢でお役にたちます」
その言葉に小十郎が強情を言うな、と声をあげようとしたときだった。
するどく風を切る音が一陣。直後、蔦を撤退させようとしていた黒脛巾組の者がうめき声をあげて馬から転がり落ちた。驚いてみれば、もがく男の左肩に投げ槍が突き立っている。ハッと気づいて林に目をやれば、先回りしたのか野武士が二人木の間を抜けてこちらへ向かってくる――
小十郎は馬上で抜刀した。だがそれよりも早かったのは蔦だ。
弓矢を構えてからヒュンと風を切る音が二つ。
直後放たれた矢はまっすぐに二人の野武士の額に突き立った。
額から脳を射抜かれた野武士は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
女手でも至近距離で放てば死に至らせるのはたやすい――それが弓矢という武器だ。長距離では敵の機動力を奪い、近距離では命を奪う。
「片倉様!」
小十郎は馬上からしばらく倒れ伏した野武士が本当に動かないかと確認した後、蔦の声に視線を移した。
見れば、今しがた二人の男の命を奪った女は肩に槍を受けた男の介抱をしていた。抜くのは危険と判断したか、手拭いを割いて槍を動かないように固定している。
「無事か」
問われた男はうめき声の中で、はい、と答えた。
「片倉様、この方を国境まで」
「わかった。こいつは俺の馬に乗せる。あなたはその馬に――」
空の鞍を乗せた馬を示して、乗れ、という言葉は耳慣れない怒号にかき消された。
殿軍を突破した落ち武者狩りの連中がまっすぐこちらへ向かってくるのが見えた。
蔦が弓に矢を番える。その間に乗り手のいない馬は恐怖の嘶きをあげて、逃げる伊達の兵士たちを追うように行ってしまった。
「片倉様、お早く! 私が時間を稼ぎます!」
「しかし!」
「将の役割は生き残ることです!」
蔦はキリキリと弦を引き前を睨みつけながら小十郎に言う。
「一兵卒は国を守るため死にます。しかし将は国を守るため生きねばなりません。まして片倉様は国主の右目」
そこで蔦は顔を少し小十郎へ向けた。
「片倉様が命を投げ出すのは政宗様のためであるべきです」
言い終えて、一矢空気を引き裂いた。
遠くで野武士が矢を受けて膝をついた。
それを見届けて蔦は叫んだ。
「お早く!」
――片倉様が命を投げ出すのは政宗様のためであるべきです。
その言葉が脳内に再び響き、小十郎は大音声を出す。
「佐藤定郷!!」
その大音声に殿軍の男が一人振り返った。最も歳の近い小十郎の家来。時に辛辣だがその分有能だ。
「殿軍は任せる!」
「御意! ご武運を!」
言いながら、定郷は不用意に近づいてきた野武士の一人に槍を突き立てた。
その少し離れた所で秀直が槍を、標郷が太刀をふるっている。
――これならば。
小十郎は部下たちから蔦へ目を移した。矢を放ち終えた彼女は負傷した忍を小十郎の馬上へ押し上げていた。それを荷物のように引きとり乱暴に鞍の前に上げ、小十郎は言う。
「あなたもです!」
「馬が潰れてしまいます!」
小十郎が手を差し出しながら再度言えば蔦は首を振りながら後退した。
「ダメだ、おいてはいけない」
蔦に腹をみせる馬体を横へ歩かせ、なおも手を伸ばす。蔦がぐっと弓を握って、胸元に引き寄せた。その目が差し出された手と小十郎を交互に見比べ――そして、笑った。
その表情に小十郎はやわらかな手が触れてくることを期待した。
だが。
「お行き!」
蔦は腕を動かした――小十郎の手をとるためにではなく、弓を振って馬の尻のあたりを打つために。
ピシリと音がして、馬はいななきとともに前足を振り上げた。
小十郎は意味の成さない言葉をこぼし、蔦に差しだしていた手で思わず鞍の前へ置いた忍の者を抑え込んだ。
その間に馬脚はあっという間に蔦から遠ざかる。小十郎はもう一方の手で手綱を強く、強く引く――だが馬は止まらない。
「止まれ――ダメだ!」
どうしたことだ。いつもなら主の手綱に忠実に緩める速度も、そのままだ。
激しく揺られるままに、肩越しに振り返れば蔦は満足したように頷いたようだった。――そして、彼女は矢を番えながら小十郎に背を向ける。それがひどく緩慢な動作に見えて小十郎の目に焼きついた。そして姿は小さくなり、やがてゆるりと盛りあがった道の向こうに消えた。
そこで小十郎は仕方なしに、ぎこちなく、前に向き直った。
馬はまっすぐに進む――政宗の荷車が進んだ道を。
どれだけ走ったか。揺れる馬上で右の手で負傷した忍を落ちないように押さえつけ、左手で手綱を繰る――ビリビリと手がしびれてきた。こんなことは、馬に乗り慣れなかった、城に上がってすぐ以来のことだ。
やがて、道が開け――人が溢れる場に出た。

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