蛟眠る 第十二話
 其の弐

道々、政宗を守る小十郎は必然、政宗の世話をする蔦の近くにいることが多かった。
だが荷車を止め、政宗の世話を終えると蔦は常にだれかに呼ばれてそこを離れることが多かった。
やれ包帯が緩んだだの、やれ傷を診てほしいだのと兵たちに呼ばれるのだ。
――甘えているのだ。
と小十郎は思う。村人の優しさに触れ情に触れ、戦が遠のき兵たちに気の緩みが出てきたのかもしれない。
「――蔦殿」
幾度目かの兵士たちの手当てを終えて戻ってきた蔦に、小十郎は声をかける。
「はい?」
「あまり、俺の側を離れませんように。お守りできない」
渋面を作ってまで出した言葉はしかし、脳内でよく考えずに喉を滑り出たもので小十郎は自分でもその内容に驚いた。蔦は目を見開き――その後目を細める。口元には、苦笑。そして弧を描いた紅い唇が言葉を紡ぐ。
「かいなはふたつしかありません」
「……?」
「腕は、二本」
眉を寄せた小十郎に蔦は掌を上にして腕を差し出す。見せるために差し出したのだとわかる動作だった。
彼女のか細い腕を見下ろしながら小十郎がわずか首をかしげると、蔦も首を傾けた。しかしこちらは、話をよく聞かせようとする女の仕草だった。
そして彼女はまず、右手で拳を作った。
「こちらは、自分を」
そして、左でも拳。
「こちらは、誰かを」
蔦はそう言って一度自分の拳を見つめ、ふたたび小十郎を仰ぎ見る。
「腕は二本しかありませんから、二つまでしか守れません」
言われて、小十郎は彼女の言いたいことを悟った。だがあえて、彼女自身の言葉を受ける。
「贅沢をなさってはいけません。片倉さまのお守りするもうひとつはもう決まっておいででしょう?」
「……」
――ひとつは己を、もう一つは……。
小十郎は思わず荷車を見やった。それにつられたように同じものを見た蔦が腕を下ろす。そこには政宗がいる。小十郎が「武士の作法を知らぬものよ、やはり下賤の者よ」と罵られ笑われながらも刀を通例とは逆の右腰に差してまで守ろうとした存在。かつての御曹司、輝宗の嫡男、今の国主。
それはかつて、小十郎が蔦を拒否し示した「もう一つの守るべきもの」であった。
彼女は言外に自分がそれを忘れてはいないことを、そして小十郎がかつて示した選択を彼の前にあらためて厳然と晒したのだった。
「――父が言っていました。人ひとりには腕が二本、それでようやっと自分ともうひとりを守れる。そこから徒党を組んだり、……夫婦になったりして、少しずつ力を分け合ってまた別な誰かを守れるようになるのだと」
続く蔦の言葉は優しい拒絶だったのかもしれない。それに小十郎はいたたまれずに口を開いていた。
「……だが指は、五本ずつ、ある」
蔦はますます苦笑したようだった。
「ありがとうございます。お気持ちだけ。私にも、腕が二本あります。それも、片方空いた腕が」
――自分のことは、自分で何とかする。
そういう声を言葉の裏に聞いて、小十郎は「そうか」とだけ応えた。
……どこぞで休んでいた荷車の人夫を任せた者が戻ってきた。二人は自然、政宗の荷車のすぐそばに着く。それまで政宗のそばであればこだわりなくしていた蔦は、今度は政宗を挟んだ向こう側に自分の位置を決めたようだった。
きっと蔦には「お守りできない」と言う言葉は滑稽な愚か者の言葉に聞こえたに違いない、と小十郎は思う……。
車輪が回り、いささか不安な音を立てて地を踏みつけていく。合間に落ちたのは気まずい沈黙。
歩みを止めることなく、また視線は前に向けたままで小十郎は口を開いた。少し意識して腹に力を入れた声を出す。
「……御仲居ではなく、なぜ火之番になられた」
ガラガラという重そうな音の向こうで景色は動く。蔦が城に仕え始めた時、たしか厨でも働き手を求めていたはずだ。そちらであれば、蔦も奥で女だてらに警護の任に就くこともなく、今ここにいなかったかもしれない――そう思って、聞いたのだ。
「……――小さい頃、父と叔父が戦に行くのが不思議でした。母や義叔母が行かないのも」
大町の検断職を務める矢内家は、騎馬と町衆を率いて戦に出る――そういう家であった。すでに政宗の祖父晴宗のころにはそうして仕えていた家だ。
「どうしてなの、って聞くと、父は言うんです。女は戦には出ないものだって。でも、読み物の中には板額御前や巴御前のような人もいるわって、私、口答えしたんです」
小十郎は蔦を見た。政宗の向こうで彼女は前を見て、苦笑している。
「父はそうしたら、そうだなぁ、そういう人もいたなぁ、って。それで、弓を習わせてくれました」
「お父上はあなたを戦に出すつもりだったのか」
「いいえ、私には弟がおりますから――姉もいますけれど……。姉はそういうことはまったくダメで」
懐かしげに笑って、蔦は続ける。
「母は、反対しましたけれど――父はまあ、何かの足しになるだろうと。叔父は、“もしもの時に役に立つ”と言って、母と義叔母に叱られていましたけれど――」
蔦はそこで、続くはずだった言葉を切った。彼女が何を言おうとしたか、小十郎は理解した。
今がその、もしもの時、なのだ。
「火之番のお話があった時、ああ私きっとこのお役にたつためにあの疑問を持ったんだわ、って思いました。愛姫様をお守りするため、伊達のお役にたつため、と。……父はあまりいい顔をしませんでしたけれど」
小十郎は沈黙をもって先を促した。前を向いたままの蔦は、察したのか察さないのか、小十郎にはわからないままに言葉を継いだ。
「父は、武器は命を奪うモノだから命産む女が持つものではない、と。習い事ならともかくそれでお城に仕えることになるとは……とも。……そう思うなら、弓を習い始めた頃に言えばよかったのに」

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