蛟眠る 第十一話
 其の四

その後は政宗の世話もあるので、蔦と交代で休むことになった。蔦は持参した獣の毛皮にくるまるだけで地べたに眠ることに抵抗は示さなかった。その姿に黒脛巾組の頭目が言った「大した女人」という言葉を思い出して小十郎はその静かな寝顔をしばらく眺めて過ごした。
夜半過ぎ、蔦との幾度目かの交代の後、政宗の様子を見ていると黒脛巾組の頭目と定郷がやってきた。国境までの行程の確認をしようということだった。定郷は地べたで猫のように丸まる蔦に目を見開き
「畏ろしい女人(ひと)だ――」
と言った。確認が終わり、頭目が再び森へ消えると、定郷は小十郎に向かって
「やはり、検断殿に頭を下げてでも、奥さまに迎えるべきでしょう」
と言った。
小十郎はこれを無視するも、定郷はさらに言い募った。
「これほどの度胸、家中(われわれ)もそばにあればなんとも安心いたします。なんと心強い――知恵は女、度胸は男とみました。家中百人の力がありましょう――」
小十郎はジロリと部下へ目をやった。闇にパチリと火の爆ぜる音がする。だが定郷は怯まなかった。そんな部下に小十郎はため息をつき、定郷のその言葉には答えずに別な言葉を投げかけた。
「大里の帰路の準備、無駄になったな。――すまない」
定郷が眉をあげた。小十郎は蔦を一瞬だけみると、部下へ再び目を移した。
「蔦殿もお前も――俺を責めんな。お前に至っては一言嫌味くれぇ言われると思ったが」
定郷が大里で命じられたことには、行きの備えだけではなく帰りの休憩地として陣を整えることだった。だが今、行きの備えはすべて失い帰路として大里を使うのは危険になった。小十郎が命じ定郷の成したことはすべて無に帰した。
定郷が困ったように頭をかいた。珍しい動作だった。
「殿を責めて何になりましょう。まずは、総員無事に国へ帰すことだけお考えください」
結局定郷は、蔦と同じことを彼女より言葉少なに言っただけだった。
小十郎はあえてそれに何も言わなかった。何も言う気力がなかったのかもしれない。そんな小十郎を見て定郷がふむ、と顎を撫でた。
「わたしのことはともかく――殿、矢内様に罵られたかったんですか」
「……あ?」
小十郎は思わず久方ぶりに妙な声を出した。間の抜けた、撤退の途上に相応しくない声だ。
「なんだそりゃ」
「いやなんとなく。わたしのほうはわかるのですが」
定郷はチラチラと蔦と小十郎を見比べながら、言う。目には好奇の色がある。小十郎は久々に違う意味で苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「俺は変態か」
「違うんですか」
定郷がさらりと言った。小十郎は一瞬言葉に詰まった。部下は何を根拠にそう思ったのだろうか。
「俺をなんだと思っていやがる――出立前に苦言をもらった」
前の言葉に何か言われる前に、小十郎は続けて理由を放った。
定郷がおや、という顔をする。
「牛ヶ城のことを命じた日の城からの帰りぎわだ。お前と同じことを言われた」
豊臣との圧倒的な力の差。政宗が奥州で得ていた地の利、血の利――それらの指摘。小十郎が気づいていながら無視したそれらについて、蔦は彼の鼻先に突きつけたのだ。見ろ、とばかりに。その夜、定郷は蔦ほどは激しくない口調で主に同じことを言った。
「――お前には言っていなかったか」
「初耳です」
「そして先ほどもお前と同じく俺を責めなかった……」
「……」
小十郎は思わず蔦を見、定郷の視線もつられるように従った。それから、ふ、と部下は笑ったようだった。
「二度同じことを申し上げるのは無粋かと存じますが、矢内様は殿に必要な方かと」
その言葉に小十郎が再び睨みつけると定郷はくつくつと笑った。定郷は笑いつつも兄のような顔で見返してくるばかりだった。定郷は小十郎より年下で部下であるというのに、よく彼が標郷と秀直に向ける表情を主である小十郎にも向けているのだ。
「双竜の一が情けない顔をしておられますぞ。いつぞやの酒席と同じ顔だ」
そういえば酒の席で定郷に蔦の話をしたことがあったか、と小十郎は思い出した。定郷は小十郎が自分で気付かないことに気付いたと見え、呆れたように、からかうように笑っているのだ。
その顔を三度睨んでから目だけで下がれ、と命じた。定郷は堅苦しいほど慇懃に辞去の礼をして踵を返した。森の暗闇へ消えてゆくその背中に頼むから弟どもに何も言ってくれるなよ、と小十郎は念じた。
――それから小十郎は眠る蔦の傍らに歩み寄ると片膝をついた。ふと、彼女が実はタヌキ寝入りを決め込んで今の会話を聞いていたらと不安になったのだ。
よく見れば彼女の肺は規則正しく、深い動きをしているようだった。ちゃんと眠っている。そのことに安心して、小十郎は恐る恐る手を伸ばした。そしてそっと髪を撫でる。触れれば絹糸のような女のみどりの黒髪は篝火に照らされてところどころ美しく輝いている。月あかりがないというのに、この女は美しい。夜目遠目笠の内の女は美しいとかつてませた少年だった主は言ったが、そうでないことを小十郎は既に知っていた。

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2013年9月16日初出
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