たなばたさま

そよ、と吹いた風に縁側の笹の葉が揺れサラサラと音を立てた。開け放たれた障子戸からそれを見やりながら小十郎は酒を口に運んだ。今日は七夕である。
城中でも女たちが騒いでいた気がする。屋敷に戻れば誰にとってこさせたか、笹が居間の隅に立て掛けられ左衛門と蔦が楽しそうに飾り付けをしていた。
短冊、折鶴、髪衣、巾着、投網、くず籠、それから吹き流し。吹き流しにまるいくす玉飾りがついたものは城にもあった。去年は見かけなかった気がするから、城に上がった際に蔦が誰かに教えられたのだろう。城で誰がはじめたのかは見当もつかないが。
屋敷に戻ってしばらくした後、蔦に短冊を渡されかけ、対して小十郎は必要ないと退けかけた。しかしそれを察した蔦が幾分落胆したようだったのでお前に任せる、と言葉を替えて小十郎は短冊から逃れたのだ。
ふとそれが気になり、小十郎は立ち上がりぶらぶらと縁側に出た。手近な短冊を手にとれば、蔦のやわらかい女手で「書の向上」とだけあるものがあった。
手近なもう一つをひっくり返してみれば、同じ女手が別なことを願っていた。「いろはがよめるようになりますように」
そのやわらかな女手と比べれば、前の物はやや厳めしさを装っているような気もした。小十郎は苦笑した。おそらくは「書」のほうは小十郎で、「いろは」が左衛門のためのものだろう。
以前から小十郎の書き物は政宗に「角ばっていて流麗じゃねえし、丁寧かと思えば細かいところは荒っぽいな。もっと流れるように書け」と言われているのだ。だが小十郎はその性格のせいか、どうにも流れるように書くよりもはっきりと書いてしまうのだ。主は書も巧みであるから、余計気になるのだろう。一度何処で見たのか政宗は「蔦の字はいい。上手くはねぇが、優しい」とも評した。たしかいつか、どちらの評も蔦に伝えた気がする。
短冊は学問や書の上達を願うものだ。蔦はそれを覚えていたのだろう。
それから小十郎はまた別な短冊を手に取った。「おはりこがうまくなりますように とき」とある。だが署名に反してその字はどうにも蔦のもので、小十郎はますます苦笑した。
字の読み書きができない女中たちの分も蔦は書いてやったらしい。時折、巻き込まれたか家中の者――佐藤の三兄弟や信定のものもあったが、女の名前のものはほとんど蔦の字であった。それから小十郎は手慰みのごとく、短冊をひっくり返して色々と見た。だいたいが、学問や書、裁縫の上達、健康に長寿、繁栄など七夕らしい願いばかりである。それと和歌が数首。それは家中の誰かの手によるものらしかった。上手くねぇな、と小十郎は呟いたが、自分にも上手い歌は詠めそうにないのでそれ以上は何も言わないことにした。そうやってしばらく短冊の願い事を眺めて楽しんでいるときだった。
「ちちうえ」
と、背中に声がかけられた。振り返れば左衛門である。小十郎は縁側に座り込んで息子を呼んだ。すると息子は父の膝に上り、頭上にしなる笹竹を見上げた。
「あのねー」
「うん?」
ここに酒を持ってくればよかった、と思っていた小十郎の思考が息子の声で止まった。
「ばあやがね、ちちうえはちっちゃいひこぼしさまだって、いってたの」
「……?」
小十郎が眉間にしわを寄せると、左衛門が続けた。
「おうち、かえってくるの、みんなのちちうえより、すくないからだって」
屈託なく発せられた息子の言葉ではあるが、小十郎はやや頭を抱えたくなった。左衛門がばあやと呼ぶ女中頭が屋敷の主をただ牽牛になぞらえたとは思われない。彼女流の皮肉だろう。戦で留守にし、戦がない時でもほぼ城に詰めっぱなしの小十郎を彦星と例えるのはあまり上手くないが、言いたいことはよくわかった。
それでね、と左衛門が続けて声をあげて小十郎は再び息子を見やった。
「ははうえは、おりひめさまなの。おはりこがとってもおじょうずだから!」
母が織姫に例えられたのが嬉しかったのか、左衛門はにこにこにと報告した。織姫はその名の通り、裁縫ではなく機織りの名人だった気がするが――と息子の言葉を否定するようなことは飲み込んで、小十郎は息子の頭を撫でた。
「そうだな、母上は織姫さまだ」
天上の川縁に住む天帝の娘と牽牛は祝言の後、互い夢中になるあまり働き者の本性を忘れて天帝の怒りを受けたという。そのために二人は年に一度しか会えなくなったのだ。
その織姫と比べようもなく、蔦は働き者だ。織姫は愛しい男と遊び呆けることを知っていたが、蔦は祝言以来休んだことがない。
だから小十郎は妻が織姫に準えられるのは幾分納得がいかなかったが、嬉しそうな息子の為に父として「おはりこ」に引き続いて黙っておく分別はあった。
そこへ足音が聞こえてきた。妻の物より重いその音に振り返れば、ばあやこと女中頭がいる。
「まあ、左衛門さま。お母様がお風呂場でお待ちですよ、さ」
「うん!」
そういえば蔦は左衛門を風呂に入れてくると言っていたか――自分がなぜひとりで酒を呑んでいたか思い出して小十郎は苦笑した。左衛門は呼ばれて風呂に行く途中、父と七夕飾りに引っかかったとみえる。
父の膝から飛び降りた左衛門はとたとたと駆けていく。左衛門はこの頃一人であちらこちらに行けるようになった。それを女中頭と二人で見送って、ふと小十郎は言った。
「蔦の自分の願い事の短冊が見当たらねぇな。――ま、あいつはなんでも上手くこなすから今更天に願うまでもねぇか」
そう言うと、女中頭はじっと小十郎を見下ろした。その視線に居心地が悪くなって小十郎が立ち上がると、女中頭はつかつかと主人の側に歩み寄ってひょいと飾りに手を伸ばした。
「奥さまは本当に、旦那さまにはもったいのうございます」
女中頭は梶の葉を模したらしき飾りを引き寄せた。それから半身をあけて小十郎にそれを見るように促した。
「わたくしには歌はわかりかねますが、万葉の歌だとおっしゃっておいででした。ご自分では上手く詠めないからお借りした、と」
小十郎が梶の葉のそれに手をかけると女中頭は飾りから手を離して頭を下げて、どこぞへと行ってしまった。
梶の葉に歌を書いて奉げ、芸事の上達を願うのは古くからの習わしだ。蔦はそれに倣ったのだろう。
「――『天の川 瀬ごとに幣を 奉る 心は君を 幸く来ませと』」
小十郎は二度、三度とそれを読み上げた。
女中頭は歌はわからない、とは言ったが、同時に旦那さまにはもったいない、とも言った。だから彼女は蔦がこの歌を選んだ心は理解したのだろう。
――天の川の瀬のひとつひとつに幣を捧げました、あなたが無事においでくださいますようにと。
「幸く来ませ、か」
おそらく蔦が心を託した部分を繰り返して呟き、小十郎は蔦の字を撫でた。
古の歌を借りたこれは、芸事の上達以上の願いが込められているように感じられる。屋敷になかなか戻らない夫の無事を願ったか。
普段愚痴も不平も不満も言わない妻の心の底を覗けたような気がして、小十郎は飽くことなくそれを眺めた。
それからしばらくして居間に戻り、少し考え込みながら一人手酌していると風呂から上がった左衛門と蔦が現れた。
「ちちうえ、おふろおさきにいただきました!」
最近母に教えられたらしい言葉を言って、勢いよく頭を下げた息子に小十郎は笑った。その隣を見やれば、風呂が熱かったのか頬を淡く染めいつもより襟を少しくつろげた蔦がいる。
「左衛門、もうおやすみするだろう?」
「はい! ちちうえおやすみなさい!」
まるで何かの玩具のようにまたぺっこりと頭を下げた息子に笑って小十郎は立ち上がった。
「どれ、俺も汗を流して来るか――」
それから左衛門の隣を通る時にその頭を撫で、それから蔦の耳元に口を寄せた。
「――『赤らひく 色ぐはし子を しば見れど 人妻ゆえに 我れ恋ひぬべし』」
「――え」
「俺はそれほど物知ってるわけじゃねぇからな――これで勘弁してくれ。それと、上がるまでに左衛門寝かしつけとけ」
そう言ってすっと妻のそばから体を離してみやれば、耳と首元が先ほどよりも赤く染まっていた。それに満足して、小十郎は居間を出た。
自らの妻に『人妻ゆえに』とは自分でも滑稽だが、それ以外思い浮かばなかった。それに蔦の様子だと、意図するところは伝わった――と思う。


――遠妻と 手枕交へて 寝たる夜は 鶏がねな鳴き 明けば明けぬとも
天の一夜の逢瀬が終わるころ、蔦は夢うつつの間で二つ目の歌を夫の声で聞いた。

(了)
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引用『万葉集』
2011年7月7日初出
2013年8月3日改訂
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