蛟眠る 第十話
 其の四

黒脛巾組うち残った者たちは荷車が届くまでに修験者の衣装から足軽の格好へと手早く着替え、顔を土で汚し、落ち武者直前と言った格好をとると本隊に溶け込んだ。
そしてその人員を殿軍と政宗の近くに配置し、隊を補強する。
しばらくしてどこぞから――曰く、近くの小さな集落から購ってきたらしい――荷車と戻ってきた二人も他の者たちに倣った。
蔦が政宗の傷を洗い包帯を取り換えると、黒脛巾組は荷車へ国主を寝かせた。
「揺れますが、辛抱してくださいね」
と蔦が言うとわずか政宗が呻き、答えたように小十郎には見えた。
それから、と蔦は言うと自らの首もとへ手をやった。着物の下から首にかけたひもが引き出される。そこへ二つ、御守りの袋が下がっていた。
「愛姫さまが道中無事で、と私へ下さったものです。お貸しいたしますね」
蔦は言いながら二つの御守りのうちひとつを紐からはずし、政宗の手を開くとそれをそこへ握らせた。
「めご……」
政宗は反射的に妻の名前を呟いて、それを握りこんだ。
それを見届けると蔦は筵ですっぽりと政宗を覆ってしまった。体温が奪われないようにするためと周囲のあらゆる刺激――音や光もだ――から政宗を守るため、それから万一の場合の目隠しの意味もあるのだろう、と小十郎が見ていると、蔦は次に小十郎を振り返った。
「片倉さまにはこれを。喜多さまからです」
「……姉上が?」
蔦はそう言うと結わえていた紐ごと御守りを首からはずし、それを小十郎へ差し出した。小十郎が思わず躊躇すれば、蔦は彼の左手を取り上げてそれを握りこませる。
小十郎は離れようとする蔦の手を慌ててもう一方の手でとどめた。
「それではあなたの守りがなくなってしまう」
しかし御守りを返そうとした手はやんわりと押し返される。
「――奥方さまも、少納言さまも、本当にこれをお渡ししたかったのは政宗さまと片倉さまだと思うのです」
そこで小十郎ははっと気付いた。
「あなたを――黒脛巾組への使者としたのは――」
蔦の役目は、本来は武士が負ってしかるべきものだ。それが、女人が、何故。蔦はさきほどもっともらしいことを言ったが、これは。
蔦は小十郎の手から逃れると、そっと右の人差し指を立てて自らの唇へ押しあてた。
その仕草で小十郎はすべてを悟る。
「家中の総意」の端緒は伊達家当主藤次郎政宗の奥方愛姫だ。
普段なら決して表――男の領域――へ口を挟まない当主の奥方は、当主と家の危機にあって動いたのだ。
正しくは重臣へ命じただけだろうが、それでも当主率いる伊達軍の敗北の報が届き混乱しはじめていただろう家中をまとめ上げることはできただろう。表だって皆をまとめたのは綱元、実動は成実だろうが、その裏に愛姫がいたことはほぼ間違いない。
そして、我が目・我が耳の代わりとして蔦を――検断の娘で事情に通じ、多少なりとも武芸もおさめている侍女を迎えの使者としたのだ。おそらくは細々とした政宗の世話なども必要になるだろうと見越したのかもしれない。
それが正しいことであったかは小十郎にはわからなかった。しかし――荷車のことといい、筵のことといい、疲れ切った男たちが気付かなかったことを蔦は早々にやってのけた。適任ではあったのだ。
力を得た伊達軍はふたたび退却を開始する――成実の率いる一団と合流する、という当座の目標は傷ついたものたちを勇気づけた。蔦は政宗を乗せた荷車のすぐ横に着いた。
小十郎は何故かすぐに踏み出すことができずにそれを眺めて、ふと手の中の御守りに目をやった。
あらためて取り上げてみれば、袋の中に通常ではないはずの堅いふくらみがあった。
内符はみだりに取り出してはならない――普通は神札がはいっているはずだが、何か妙だと感じた小十郎はそれを確認してみることにした。中には神札の他にごく細い竹を削ったような筒が入っていて、その中からなにやら小さく丸めた紙がその端を覗かせていた。二つ目の神札だろうか? しかしひとつの御守りに神を二つ迎えるとは普通ではありえない。
訝しんで取り出せば、やはりそれは二つ目の神札などではなかった。
『皆無事で戻りますように。蔦が道中無事でありますように。そして蔦が小十郎の妻となりますように。特に小十郎がこの書付を見てしまったときなどは』
小十郎は思わず天を仰いだ。やはりみだりに中を開けてはならなかったのだ。例えこれが神を宿した神札でなかったとしても、だ。
おそらく、御守りとしてこれを預けられた蔦は何も知るまい。だが姉はこれが蔦の手から弟に渡るであろうこと、そして小十郎がこれを目にするだろうことを予期していたのだ。
何も知らずに誠実にこれを運んだ女がなんだか哀れで、小十郎は思わず前を行く蔦の背中をじっと見つめてしまった。
そうしていると不意に蔦が振り返り「かたくらさま」と口をパクパク動かした。いや、声は発したのだろうが、聞こえなかった。小十郎は政宗を乗せた荷車に駆け寄った。蔦が傍らにきた小十郎にほっとした顔を見せる。その顔に自分が驚くほど彼女の要求を理解していたのだ――政宗の側にあれかし、と蔦は彼の名に込め、小十郎は無意識に彼女の願い従ったのだ――と小十郎は気づいて、愕然とした。

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2013年7月28日初出
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