蛟眠る 第十話
 其の参

奥州と羽州を分かつ山脈――あるいは、城や村を守る野山。
そこには数多くの山伏――修験者が散っている。もちろん、彼らは仏道修行に日々励んでいるのだが、下々の間にはその中に一団異質な者たちがいる、という噂がある。
布を巻く脚絆の代わりに黒い脛当てを付け、野山を駆ける彼らがいつ現れたのかは定かではない。一団はその黒い脛当てにちなんで「黒脛巾組」と呼ばれる、という。
そして噂は今小十郎たちの目の前に形となって現れた。
いや、小十郎と伊達家のごく一部の者たちは彼らが実在することを知っていた。
黒脛巾組の正体は、伊達のかかえる忍のことであった。しかし彼らは戦忍ではなくあくまでも敵情視察や情報収集をその任としていた。大名間が親類縁者として繋がっていることも多い奥州・羽州だが、他家に間諜あるいは勢力伸張のため縁組として家族を送り込んだだけでは足りず、目と耳と足で直接諸国の動向や思惑を探ることもある――そして伊達家においてはそれを黒脛巾組という一団が担っていたのだ。
小十郎の前任者遠藤基信は寺の息子であった。そのためなのかわからないが基信は修験者を装う彼らと近しかった。諸国の動向を抑え的確に判断した輝宗の外交手腕のいくらかは実は黒脛巾組に依ったのかもしれないが、もはや真実は誰も知らない。
小十郎も彼らの存在は知っていたし、頭目と通じる手段も基信から伝えられていた。
しかし実力行使と真っ向勝負を好んだ政宗に伊達家の当主が代わると黒脛巾組はもともと影の存在であったというのに、まるで山の奥へ奥へと追いやられる獣のようにその存在をさらなる闇に沈めていった。
彼らを頼みとしたはずの小十郎ですら、政宗が奥州筆頭となってからは彼らの存在を意識することが減っていっていた。奥州・羽州の情報収集に長けた彼らであっても、仙道より先には潜むべき洞穴も歩むべきけもの道も知らなかったからだ。
その彼らが、今傷つき疲れ果てた伊達軍本体の元に現れたのである。
つまりここはすでに、彼らの縄張なのである。
「国元へも敗北の知らせは届いております。我らが先遣隊として皆さまと合流することになったのです」
政宗の元へ合流する道々、黒脛巾の頭目が小十郎にそう言った。
「誰が命を?」
人がついてこれる速度で馬は歩かせ、定郷が殿軍、標郷と秀直が前を行き、さらにその周りを修験者姿の黒脛巾組が取り囲む。小十郎は蔦を自分の馬上へ引き上げていた。轡をとるように頭目が小十郎の馬の横へ着いている。手綱をもつ小十郎の腕の間にいる蔦は馬の動きに体をまかせつつも、やや緊張しているかの男に背中を任せてはいない。小十郎の問いに頭目はちらと蔦を見た。
蔦は気づいて頷き、肩越しに振り返る。背中は緊張したままに。
「ご家中の総意と思ってくださいませ」
「総意――」
「ご命令は蔦様――矢内様がもってきてくださいました」
頭目は蔦の説明に丁寧に言葉を加えた。その口調にはなぜか敬意が感じられた。蔦は国主の奥方付きの侍女とはいえ――町人の娘の筈だが。
しかし、それにしてもなぜその総意を黒脛巾組に伝えたのが女――蔦なのか? この状況が国まで伝わっているとしたら小十郎を含めて伊達の三傑と言われるもののうち残りの二人、綱元か成実のどちらかが来ても良さそうなものである。そしてそもそも、戦は男の領分である。
そんな小十郎の疑問を読みとったのか、蔦が言う。
「あまり大きく軍を動かしても危険だと言うことで――もう少し先に成実様が精鋭を率いて待機なさっている筈です。他国には訓練だと言い逃れられるギリギリの場所です。私は検断の娘ですから、もともと他の人より多く外へ出て城と城下の実家を行き来をしておりましたので――そういうわけで、黒脛巾組への伝達を任されたのです。重臣一人が城を抜ければ目立ちますが、奥付きの侍女が一人実家へ帰されたとしても誰も気に留めまい……そういうことです」
やがて一行はふたたび本隊と合流した。
傷ついた兵士たちは援軍に歓喜した。生きる力が戻ってきた――と小十郎は感じた。
「なんということ!」
しかしその歓喜の横で、蔦が悲鳴のような声をあげた。蔦は男たちが作る保護の輪から抜け出すと未だ目覚めぬ政宗のもとへ駆け寄った。
「このような……荷物のように!」
蔦が怒号をあげた。政宗を取り囲んでいた驚いて兵たちは思わず後ずさった。蔦はそんな男たちをキッと睨みつけた。
政宗は馬上へうつぶせの形で、まさしく荷物のように“積まれて”いたのだ。
「傷はどこです? 背中ではないでしょう? 腹を下にして――止血はしたのですか? これでは傷がひどくなります!」
背中の傷は武士の名折れである――蔦はそのことを理解しており、そこから政宗がうけた傷は正面にあると言い当てたのだ。
蔦はすぐさま黒脛巾組の頭目へ体ごと振り返った。
「荷車を――どこかから調達できますか?」
「いたしましょう」
頭目はやはり慇懃に蔦に応えて、幾人かへ身ぶりでそれを伝えた。二人ほどが頷いて、どこぞへとへ消えていく。
その間に蔦は野へ筵を引いてそこへ政宗を寝かせるように兵たちに命じていた。
「なにか――手当に使えるものを!」
蔦が強く言うと、傷の浅い兵士たちが慌てて残り少ない荷物を漁り始めた。
それを小十郎が茫然と眺めていると、頭目が彼にだけ聞こえるように言った。
「大した女人です。我らへの伝令という役目を果たされた後はそのまま戻られてもよかったでしょうに、遅れずについていくからと言ってそのまま我々と共に。事実本当に遅れずについてきてくださいました。今の采配も見事。まったく、大した女人です。あの我らと揃いの黒の脛当てと女だてらの武装は、覚悟の表れでしょう」
頭目の蔦への敬意のようなものはそれが理由だったのか――と、小十郎は納得して、ひとつだけこっくりと深く頷いた。

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