蛟眠る 第十話
 其の弐

「――あれを」
林の間の道をしばらく行ったところに、それは居た。
すっくと立つ林を背にした道端に道祖神か馬頭観音か――ともかく、行き交う者の安寧を祈る粗末な石像の隣に蹲る人影が一つ。
人影は膝を抱え、そこへ顔を伏せている。馬蹄に気付かないのだろうか、顔をあげない。長い黒髪を一つに縛っている。少年だろうか――妙にか細い印象のある足には黒い脛当てがあった。さらにその人物は片手には弓懸、腰には箙をつけ、傍らの手を伸ばしてすぐに届く所には弓が置いている。脛当てと合わせて、この人物は武装していると判断していい。なのに、馬蹄の音に反応しないのはどういうことだ。
四人は互いに顔を見合わせる。後から来た二人は純粋な困惑、前もって知っていたものは戸惑いの顔だ。
標郷が馬ごと進み出て、声をあげた。
「何者か」
なるべく大声にならないように、しかし、よく相手に届くように。
すると、声が届いたか、蹲る人物が顔をあげた。
その顔を見て、小十郎ははっとした。反射的に馬を下り、標郷の前へと進む。
殿、と諌める声が二つ。標郷と秀直だ。込められる意味は若干異なったか。そして、地面に降り立つ音。これは定郷だろう。
蹲っていた人物が息を吐いた。そして、立ち上がる。少年などではない。武装はしてはいるが――
そこで小十郎は立ち止った。立ち上がったその人が、小十郎の元へ駆けてくる。思わず小十郎は呟いた。その人物の名を。
「蔦――殿」
「片倉様」
返ってきたやわらかな声は女のもの――それは、愛姫付きでここにあるはずがない矢内蔦のものだった。
なぜここに、と小十郎が問おうとしたその時だった。
ガサリ、と何かをかき分ける音が蔦の向こう、彼女が先ほどまで傍らにいた石像の背後の林から聞こえてきた。
そちらに目をやれば、林のなかに一際濃い影がある。人のかたちをしている。ぬっと不気味に立っている――いや、立っているのではない。ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
小十郎はとっさに進み出て蔦を背に庇い、腰の刀に手をかける。耳が標郷と秀直が馬から飛び降りる音と、三人の部下が身構える気配を捉えた。間をおかず、彼らを取り囲む林のあちこちでガサリガサリと音が立つ。いつの間にか四人――いや五人は人に囲まれていた。
秀直が槍を振り回し、標郷も主に倣う。定郷は小十郎の背側に駆け寄り、主とは逆側から蔦を庇う。
やがて、林の中から物音の主たちが影の外へと進み出た。
現れたその人影は頭襟に鈴懸、結袈裟に念珠を身につけ、金剛杖に錫杖と法螺を持ち、斑蓋を背にかけるという、修験者のそのものの姿をしていた。その修験者十人余りが、小十郎と蔦たちを取り囲んでいる。
何者か――小十郎が問おうとした時、蔦がまさに刀を抜きはなたんとしていた小十郎の左腕にそっと優しく手をおいた。
「あの者たちの脛をご覧ください!」
言われて、目をやれば修験者たちの脚絆は皆一様に黒だった。いや、よく見ると脚絆ではなくそれらは黒い脛当てだった。蔦と揃いの。
そこで、小十郎ははっとして刀から手を離し、修験者たちに向けて声を放った。
「黒脛巾組か!」
修験者たちは是、と頷いた。

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