蛟眠る 第八話
 其の壱

あっという間に貰った三日が過ぎ、再び登城する日の朝、小十郎のもとへ使いが現れた。鬼庭綱元の使いだった。
――城へ上がったら、政宗さまにご挨拶の前に、私の元へ来てもらえないか。
火急と言った使いがもってきた書状の内容はそれだけであった。
だが「政宗への挨拶の前に」というのがどうにも気にかかり、小十郎はいつもより早く城へ上がった。三日ぶりの城はなぜか、異様なほどに静まり返り、かかえる空気は冷えていた。
綱元の部屋を尋ね、戸を開ければ彼は腕を組んで難しい顔をしていた。
「……そこへ」
その正面を示されて、小十郎はそこへ座った。
相対しても綱元はまだ何か考えあぐねているようだった。顎を撫で、小十郎の少し右へ目をやっている――だが心は別なところを見ているようだった。
「何から言うべきか――」
そう言って綱元はしばしじっと小十郎の顔を見つめた後、箇条書きを申しつけるかのように口を開いた。
「さき一昨日、お東様が殿――政宗様に毒を盛られた。政宗様は半日ほど腹痛に悩まされたが、ご無事だ。そして昨日の晩、小次郎様と傅役の小原がお手討ちになった」
小十郎がその言葉を理解するのにはしばらくの時間を要した。
「……なんです?」
「……、政宗様はご無事だ」
言い終えた後立ち上がろうとした小十郎を綱元は一言で制した。小十郎は半ば綱元を睨みつけるようにして座り直し、姿勢を正した。
「結論はそういうことだが、事態をとりあえず説明する。殿――政宗様は久しぶりにお東様と夕餉を共にされた。直後、腹痛を訴えられた、と。ただの虫気にしては様子がおかしいと気付いた典医が解毒の薬草をいくつか合わせて差し上げたところ、しばらくして落ち着かれたという。そして御膳を調べたところ、毒が盛られた様子があった、という」
「――……お東様が? 毒を?」
「ああ。……残念だが、そうとしか思えないらしい」
小十郎はさすがに眉を寄せた。お東の、政宗の母義姫の長男への憎しみは、家中で知らぬ者はいない。だが、乱世のこの世にあって父と子、兄と弟が争うことがあっても、母が子を殺そうとするものだろうか? 鬼子母神の説話ではないが、他人の子はともかくも、胎に十月十日抱いた子は愛しいものではないのだろうか――そんな小十郎の物思いを綱元の声が遮った。
「――殿がお東様に毒を盛られた経緯は簡単だが、どうしてそこに至ったのかはわからない。お東様が亡き大殿を恋い慕われて息子へ復讐しようとしたという者もいるし、最近動きが活発だった小次郎様寄りの連中の耳打ちによるものと考える者もいる。が、後者についてはお東様が小次郎様を推挙する一派と本当に関係があったのかも含めて詳しいことはわからない」
「……それで、お東様ご本人は」
「昨日の内に出奔なさったよ。行き先は最上だろう。……、別な者はお東様の裏には最上がいるというが、本当に羽州探題が手を引いていたのかも不明だ。しかし、いかな狐とはいえここまでするとは思えない。……まあ人物は知っての通りだし」
「……小次郎様は?」
「さあ、ご本人はどうだったのか……だが、政宗様は最上よりもそちらの繋がりを疑ったようだね」
綱元は言葉を探しつつ語った。そして付け加えられた言葉に小十郎は目を見開く。
「……あるいは、後顧の憂いを絶つために、芽を摘んだか」
――不穏な芽は摘まれるべきである。
それはたしかに暇を与えられる数日前、小十郎が政宗に言った言葉である。
だが、それは家臣たちに対する言葉のはずであった。それから幾日も経たないうちに起こったことは小十郎の想像をはるかに超えていた。芽ではなく、根ごと、あるいはその周囲の土ごとごっそりと、不穏なものが排除されてしまっていたのだ。
小次郎の優しい気性は家中の者たちはよく知っている。もちろん小十郎も綱元もだ。
しかし担ぎ手がいれば御輿は持ち上がる、と政宗は言った。優しい気性の小次郎は、あらゆる意味でさぞ担ぎやすかっただろう。小次郎は未だ初陣もなく、前当主を彷彿とさせるものも兄より多く持つ――持ちすぎていた。
「しかし、実はどちらも我々が下がってから起こった出来事であったから、城中混乱していてね」
「下がった後……?」
小十郎がいぶかしんで聞けば綱元は顎をなでた。
「お東様は二人で気兼ねなく、と少し遅い時間に殿を呼んだらしい。私は急遽呼ばれて寝込まれているところを見ただけ。小次郎様と小原については、遺体が運ばれていくのをみただけなんだ。だから実は、私にも状況がよくわからない」
「……」
「が、小次郎様は亡くなり、お東様は去られた、という結果は変わらない」
「誰も俺を呼びに来なかったのですが」
伊達宗家の内、当主政宗に直に繋がる一名が死に、一名が出奔した。これはゆゆしき事態である。
そしてこれが起こったその場で政宗にもっとも近い家臣である小十郎が城に呼ばれてもよかったはずだ。
だが、それはなかった。
綱元についても同じことが言える。虫気のほうはともかくも、手討ちの相談は受けてしかるべきはずである。だが綱元の話からするに、それもなかったようである。
小十郎がそれを不審に思って言えば、綱元は困った顔をした。
「城の外へ騒ぎを出すわけにはいかなかった。私が知った時点で小十郎殿は城内にいなかったからね。君を呼べば誰かが勘づく。ましてやお東様の後に最上がいたらどうなったか。植宗様と晴宗様のころのように、奥州騒乱となっては輝宗様がようやく成したことが無になる」
――だから今呼んだんだよ、と困ったように言う綱元に小十郎は恥入った。

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