蛟眠る 第七話
 其の参

その夜は、なんとなく皆が集まって宴席――というか、酒盛りになった。
女っ気の全くない席は全くもって騒がしく、終いには酒量や年齢を顧みずひっくり返る者も出る始末。それだけ、気の置けない席であったともいえる。
部屋は空いているから、酔いがまわりすぎて帰れない者や待ち人のいなものなどは適当に――勝手に――今宵の宿を決めて雑魚寝をしはじめた。
あちこちに転がる酒器を拾いながら、最後まで酔いつぶれなかった定郷がため息をついた。秀直は早々にひっくり返り、弟を抱えて別室へ向かった標郷は戻ってこない。大方そのまま寝込んでしまったのだろう。
定郷のため息に、小十郎は言った。
「手伝いや通いの女中はみんな帰しちまったからなぁ。悪い」
「殿に奥さまがいれば、こんなことには」
小十郎はその言葉を無視した。
「秀直が愚痴ってたぞ。頭には向いていないそうだ」
「向いてなくてもいずれお役目は回ってくるでしょう」
「違いねぇな」
酒器は拾ったものの、どうも洗い場まで運ぶのが面倒で、結局部屋の端に適当に積み上げてしまう。男とはそんなものだ。明日は通いの女中に文句を言われるだろうが、今はただそんなことどうでもよく、運ぶのが億劫である。
「出来た兄貴だな、お前は。標郷からも少し聞いた」
「出来た兄であろうと努力しているだけのこと。理想とは程遠いもんです」
「後継ぎか――大変だな」
遠くを見た定郷の視線を追った後、小十郎は政宗を思った。右目の重しを取り除いた頃より梵天丸だった彼はひたすらに嫡男たる己を自分に課していたように思う。あるいは、単に右目が膿んでいたころだけその役目が隠されていただけなのかもしれないが。
どちらにしろ、それは小十郎が負ったことのないものだ。
「後継ぎだから可愛がってもらえる、得をする――まあ、そんなこともありますが、嫌なこともそれなりにあるもんです。この歳になって、末の弟の駄々を聞くとは思いませんでした」
「駄々」
「苦情なんてもんじゃありませんよ、アレは。秀直は結局殿が説得してくださった」
「俺がか?」
定郷はこっくりと大きくうなずいた。
「頭の中には理路整然と、あいつが新兵訓練に向いていない理由は並ぶんです。それと組の頭にする理由も。しかし口をついて出たのは、お前は短気だ、と。その後は、あいつの駄々です。数年ぶりに喧嘩になりかけました」
「成程」
くつくつと小十郎が笑うと、定郷は眉を寄せた。
「秀直が鞭、古参の兵が手綱。まったく、撞木と箸といい、殿は的確な表現をなさる。私には浮かんでいても、口から先へ出なかった――納得させられなかった」
口惜しげな部下の顔に、小十郎はなぜか得意な気持ちになった。
「撞木は受け売りだがな」
「それだけ少納言様の教えが染みいっているということでしょう。――私は弟たちにそれだけのことができているか」
「俺と姉は、お前たち兄弟よりは歳が離れているからな」
――比べられることでもない。
定郷が納得いかなそうな顔をした。小十郎は酒の残った酒器を拾い上げると、ひょいと定郷に差し出した。定郷は何気なく受ける。
「――ところで」
「うん?」
「殿は本当に奥さまを迎え入れない気なのですか」
言われて、小十郎は一瞬キョトンとし――そして、苦々しげに自らの杯へ酒の滝を作った。そして、ぐい、とそれを呷る。無視した話題を蒸し返されて虫の居所がわずか悪くなった。
「いらねぇよ」
「城仕えの友人がいるのですが、殿がどうも懸想している方がいるようだときいたのですが」
その言葉に二口目の酒が肺への道をたどりかけた。なんとか吹き出すことはせず、それでも咳込むと、定郷は介抱するではなく、面白そうに笑った。
「本当でしたか」
「ふざけんな、誰だ、そんなことをいう奴は」
「色々おります」
とぼけてみせる定郷を小十郎は睨みつける。定郷は気にせず、続けた。
「兵の中には所帯のないものも居りますが、その者たちのためには殿に奥さまがいれば励みとなりましょう。お子様がいればなおさら。この方を守るのだと思うと力も湧いてきます」
「強面の野郎のために、よりはそうだろうなぁ」
道理である。ぐうの音も出ずにいると、定郷が問いを重ねた。
「どんな方です」
しかしその表情は、御家の行く末を心配するというよりはどこか面白がっている景色である。小十郎と定郷が主従であるという事情を知らぬ人が見れば、その光景は年の近い友人同士が気の置けない会話をしているように見えたかもしれない。あるいは、一方が他方をからかっている光景か。
「しらねぇよ」
つっけんどんに言えば定郷は作ったような分け知り顔で言った。
「噂では城下の検断殿のご息女とお聞きしましたが」
武家ではないのに城仕えができるなど、よほどの方ですね――という定郷の続きの言葉は小十郎の耳に入らなかった。どうもカマをかけられたものではないらしい。
「なんだと」
「特別な美人ではないが、気配りのできる優しい方だと。男どもの間でも噂になっているようですね――殿が懸想しているというだけではなく、女性として」
「――……」
小十郎はなぜかがっくりとうなだれてしまった。
「蔦殿だったらいくらでも相手が選べる」
「やはり、当たりでしたか」
「そうじゃねぇ――昔の見合い相手だ」
その言葉に定郷がキョトンとした。小十郎は部下を見ずに答える。目は何処を向いていたか。いつかの、蔦と行った畦道だったかもしれない。
「佳いひとだとおもった。だからお断りした」
「は? ――殿は阿呆ですか」
「なんだと」
主に対するこの口のきき方で定郷も素面のような顔をして、だいぶ酔っているのだ小十郎はこのあたりで気付いた。そして意外にも滑らかな己の口に、自身も酔っているのだと気付く。
「佳い人だと思ったから断ったというのは意味が不明ですよ。筋が通らない。佳い人なら、もらうもんです」
「――俺は身ひとつで使える――伊達に、政宗様に」
「……」
「だからお断りした」
定郷が額をこすった。
「――なんですかそれは。私の感動を返してください。それじゃあ、殿も秀直と一緒じゃないですか」
定郷の呆れを含んだ指摘に小十郎は眉を寄せた。
「違うだろ。抱えるのが所帯と組じゃ、意味が違う」
「兵が生きながらえて経験を積んで部隊に貢献するのと、御家をして主家を盛りたてるのとは、そんなに違うもんですかねぇ」
「違ぇよ、月とスッポンだ」
「……」
定郷が胡乱な眼を向けてきた。小十郎はこれで終わりだとばかりに銚子に残った酒をそのまま口へ運んだ。おかしなことに、酒はサッパリ味がなかった。

 目次 Home 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -