蛟眠る 第七話
 其の弐

二日目は小十郎の直属となる兵たちの訓練へと顔を出すことになった。
主に多少心得があるものは秀直に、槍も刀も握ったことがないというものは定郷に任されていた。
定郷がまとめる初々しい若者たちを眺めてから、やや熱っぽく騒がしいほうへと小十郎は足を運んだ。
屋敷にほど近い野外の修練場では秀直が騒々しいくらいに声をあげていたが、よく見れば統率やら指導といった立場――組頭にあるのは秀直だけではなかった。人員はいくつかの組にわかれていて、そこへそれぞれに組頭として小十郎の親類縁者などが付いているのだ。彼らは以前、ばらばらに伊達軍本隊に所属していたが、一族の出世頭がいよいよ徒党を組む――という言い方は妙だが――というので助っ人とばかりにこちらに移ってきていたのだ。見知った縁者の中には小十郎より年上の者もいて、小十郎は思わず眉根を寄せて腕を組み、自分の奇妙な身の上を思った。
そのうち組頭のなかで小十郎に気付いたものが、自分が預かる者たちに少し休むように言って彼の元へ歩み寄っていくと、他の親類でもある組頭も気づいて結局全体が休みになってしまった。そして自分を取り囲んだ親類縁者たちと小十郎はいくらか話しをした。他愛無い内容だったと思う。出世したなぁとからかい半分に言うもの、お城の方はどうだと問う者、いろいろである。小十郎は久々に年上の血縁の者に囲まれて小僧に戻ったような気持ちになってしまったが、それはなんとか顔に出さないようにする。
しばらくしてふと、輪を外れてぽつんと遠くを見ている秀直に気付いた。
「――どうした」
縁者たちがそれぞれに顔を突き合わせて各々の近況などを話し始めてしまったので、小十郎は輪を抜けて若い部下へと声をかけた。
秀直はギクリと肩を震わせて振り返った。
そんな秀直へ身ぶりでついてこいと示し、小十郎は修練場を出た。
「殿、どこへ」
「中だと話づれぇこともあるだろ。それにしても、そんな顔してちゃ誰も付いてこねぇぞ」
いくらか行った所で小十郎が言うと、秀直はため息をついた。
小十郎は思わず足を止める――すると秀直はそこな草むらへどっかりと座りこんでしまった。
「殿、オレどっかの組に組み込んでもらえないですかね。頭じゃなくて一兵卒で」
「――何?」
唐突な秀直の言葉に小十郎は思わず眉を寄せた。
「向いてないんですよ、人を率いるとか」
言って秀直はヤケを起したかのように髪を掻きむしった。
「組の中にはオレより戦慣れしているのがいるし、俺は組頭の中では一番若いし。半笑いで見られてるようなときもあるし、向いてないっす」
小十郎は眉を寄せて秀直を見下ろした。
「下の連中に混ざるのか、お前」
秀直はその名乗りに「佐藤」と付くように、只人ではない。父は伊達家の直参の侍であった。ゆえにその子である秀直はどうあがいても武家のはしくれということになる。
しかし隊の主力を構成する人間は、百姓である。百姓を「ひゃくせい」と読めば市井の人々を指すが、「ひゃくしょう」と読めばそれはそのまま農民を指す。彼らのほとんどはそのまま半農半兵の農民だ。苗字を持たない身分のものがほとんどで、本分は武士ではない。武士でなくて戦を生業にするものは少ない。伊達軍本隊なら戦を生業とする足軽はいくらもいるが、小十郎はそれを多く抱えられる身分ではまだない。
ゆえに、秀直とその他の者たちの間には一線なければならない。
それが身分だ。
小十郎の問いに秀直は頭をかくばかりで、答えない。
「それでは困る。武士が半農の間に紛れてどうする」
「……」
「ひと旗あげるんじゃなかったのか」
「それは……こう」
――一騎で。
秀直が呑みこんだ言葉はしかし、小十郎の耳にしっかり届いていた。
「馬鹿か」
短慮であるということを簡単に告げれば、ぐっと秀直が口を引き結んだ。そしてしばらく黙りこんだ後、ふてくされたように言う。
「殿も兄貴と同じことをおっしゃる。……ほんとは新兵訓練の方がよかったんです、オレ。そしたら、兄貴がダメだと」
「兄貴って、定郷か?」
「決まってるでしょう。標郷はそんなこと言いっこないやい。……新兵のほうが歳が近いしやりやすい。そう言ったら定郷の兄貴がそれはダメだって。オレは短気で経験が少ないから、こっちのほうがいいって」
「……お前は経験が少ない、兵は経験がある。そういうことか。なるほど、お前にゃ新兵はむかねぇ」
ふてくされたような秀直を見下ろしつつ小十郎は言った。秀直が不審そうに見上げてくる。
「頭の経験が少ない、兵も経験が少ない。……それでお前は隊がよく働くと思うか」
「……」
「定郷はお前の経験不足を兵の経験で補おうって腹だろう。――ま、兵の方が幅を利かせてお前の言うこときかねぇ可能性は無きにしも非ずだが、命かかってんだ。勝手に退却することはあっても闇雲に突っ込んで無駄死にすることはねぇだろうよ」
「……」
「加えてお前は猪突猛進なところがあるときた。簡単じゃねぇか。お前は鞭で、兵は手綱だ――簡単に言えばな」
秀直がついにそっぽを向いた。
――簡単だが、上手くいくとは限らない。だが、理にかなってはいる。
小十郎はため息をついた。
「これも修業だと思え。お前、いつまでも一兵卒でいるつもりだったのか」
「そういうわけでは――」
「だったら、難しい方を選ぶんだな。その方が後々荷は軽くて済む。俺ならそう考える」
「皆、オレを坊っちゃんだと――」
「坊ちゃんで何が悪い。俺から見てもテメェはたいがい『坊っちゃん』だよ。若いってだけじゃねぇ。親父さんははしくれでも直参だっただろ。ウチみてぇに他に神職やらなんやら抱えているわけじゃなく、ただまっすぐに武士だったらなおさらだ。それでヤツらにやっぱり坊ちゃんだったと呆れさせるか、それとも、坊っちゃんだが大したもんだと言わせるか、どうせテメェしだいだろ」
「……、箸と撞木」
そうだ、とは小十郎は言わなかった。
ただ、侮られてはならぬ、と逸った若者を小十郎は知っている。その若者が今どのような事態の中にいるかはともかく、比べてみれば秀直にはその気概が足りない。それでは侮られる。組の頭は指揮の要だ。将と兵をつなぐ。だから、兵に侮られても困るし、組の頭自体が様々なことに無自覚ではもっと困る。場合によっては、最悪戦線が瓦解する。
秀直にはそれを自覚してもらわなければならない。そして定郷は、弟の気質から自覚のなさに気付いていたのかもしれない。
「――兄貴はいつも正しい」
しばらく考え込むように黙っていた秀直が不意にそう言った。己でも兄の意図に気付いたのだろうか。続けて秀直はポツリと言った。
「悔しい」
「わずかでも、年の功ってやつだな」
苦笑しながら小十郎は言った。悔しい、というのは歳が近くてなおかつ同性の兄弟だからこそ出た感情だろうか。少なくとも、小十郎は兄にも姉にも「悔しい」と張り合ったことはない気がする。
それから小十郎はふと気付いた。
「ま、なめられたくねぇんだったらテメェから改めねぇとな。――主の前で座り込むとはどういうことだ」
厳めしく装った声を出せば、秀直はギョッとしたように飛び上がり、ピンと背筋を伸ばした。体の横にピタリと腕をくっつけるその様子が滑稽で小十郎は思わず笑ってしまった。

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