蛟眠る 第六話
 其の弐

片付けられることは片付けてから城を出ると、辺りは夕暮れになっていた。
何の変哲もない、穏やかな夕暮れだった。屋敷へ戻る途中、道が川へ沿うところがある。そこへ差し掛かった時、楽しげな子どもたちの声が小十郎の耳へ届いた。
――日も暮れるというのに、まだ戻らないのか……。
そう思いつつ、橙色の夕日が色を落とす川へ目をやれば、四、五人の子どもたちがなにやら川面の方を向いてすごいすごいと口々に言っているのが聞こえた。よくよくみれば、子どもたちがすごいと言う度、橙の川面へ点々と影を作って飛び跳ねるものがある。飛び跳ねて、影は川の中ほどでとぷんと消えてしまう。二、三度そんなことがあって小十郎は気づいた。
――水切りだ。
と。川面へ向かって石を投げ、それがどこまで行くか、何度跳ねるかを競う単純な遊びだ。
小十郎は、石が消えるあたりの川面から目を離すと石が出発する川岸へ目をやった。子どもたちの中に、とび抜けて背が高いものがひとつ。よく見れば、それは見知った姿であった。
「定郷の兄ちゃんはスゲーな」
「二十も飛んだぞ!」
「さっきは十七!」
子供に混じって、真剣に石を選び川面へ向き合うのは、小十郎の部下の一人、佐藤定郷であった。
「だめだな、向こう岸には届かない」
すごいすごいとはやし立てる子どもたちの中、苦笑を含みながら悔しげに、しかし優しくそう言った声は辺りによく通った。小十郎はつられるように道から川べりへと降りる。
子どもたちの群れに近づけば、子どもたちが色々と話しかけるものへ目を落としていた定郷がふと顔を上げた。優しげだった顔つきが途端に引き締まり、急に厳めしい長男を装って子どもたちへ言う。
「ほら、お前たち、そろそろ家へ戻れ。親御さんが心配するぞ」
子どもたちが一斉に不満の声を上げた。すると定郷は苦笑して
「もう逢魔が時だぞ――その辺の草むらから何か飛び出してくるかもしれないし、お天道様とお月様の間の暗闇で、物の怪に攫われても知らんぞ」
と言った。すると子どもたちは大きいものも小さいものも震えあがって、次々に定郷に別れを告げた。中には今度水切りのコツを教えてね、と付け加えた者もいた。三々五々子どもたちが散って行き、残されたのは微妙に距離を置く小十郎と定郷だけになった。
「子どもの扱いに慣れているな」
小十郎がそう言って歩み寄ると、定郷は恐縮したように礼をした。
「それほどでもありません」
「いや、俺はあんなふうに政宗様を納得させられたことがなかったな」
「それはお育ちの違いでしょう」
「そうは思わんな。物の怪が怖いのは子供の常だ。俺も――お前もそうじゃなかったか」
小十郎がそう言うと、是の意味を込めて定郷はわずか頭を下げた。それを受けつつ小十郎はふと屈みこみ足元の石の中から平たいものを一つ選びだした。それから一歩川へ近付き、川面に向かってなるべく水平に真っすぐにそれを投擲した。
石は五度跳ねて、とぷん、と水の下へ消えた。小十郎は面白くなさそうに息を吐いた後、石が消えたあたりへ目をやったまま後ろへ控えている定郷へ声をかけた。
「――二十跳ねたらしいな」
「……子どもの数え間違えでしょう」
「謙遜するな。逆に俺が恥ずかしい」
何ほどのことでもないというのに、張り合いたくなるのは男の常か。だが小十郎はあっさりとそれを棄てて振り返った。
「子どもが好きなのか、ずいぶん囲まれていたが」
「あまり考えたことがございません。なにしろ、標郷とも秀直ともそれほど歳が離れていたわけではありませんから。男兄弟で喧嘩ばかりでしたが、近所の子も含めてよく一緒につるんでおりました」
「そんなものか」
下の兄弟がいない小十郎にはよくわからなかった。そして養子に出されたりと忙しい幼少期には、あまり遊びの記憶がない。だが小十郎は当時それを辛いと思ったことはあっても――不幸とは思ったことがない。弟たちとつるんだ記憶のある定郷が羨ましいかと問われれば、それは違う。水切りの跳ねた数で負けたのは悔しくもあるが、それはそれである。定郷には定郷の人生があり、小十郎も同様だ。小十郎は己が主人のこの人生に格別不満はない。不満があれば自分の力で現状を変えればいい。水切りの数で負けたのがどうしても悔しければ、他と同じように鍛錬すればいいだけのこと。それだけのことだ。だが、小十郎はきっと水切りの練習はしないだろう。
「実は三日ほど、暇をもらった」
「殿が?」
小十郎が話題を変えると定郷は目を見開いた。小十郎はわずか、苦く笑う。
「俺が申し出たんじゃないがな。だが、まあ、三日だけだからお役御免というわけではないから安心しろ。屋敷を整えろ、ということだ」
すると、定郷はひとつ頷いた。
「ちょうど、片倉の部隊を整えているところだったのです。殿や我々が自由に動かせる者たちです。出陣の際はもちろん伊達軍本体に帯同いたしますが、殿の直接の采配に入る者たちです」
「そうか――俺も偉くなったもんだな」
やや遠くを見るようにして言った小十郎に定郷がわずかに苦笑した。
「が、戦場でも俺は政宗様のお傍にいなくちゃならねぇ。部隊の采配は実際はお前に任せることになるだろうな」
「それでも兵には仕えるものの顔を見、声を聞き、人格を知ることが必要です。これからも要所要所で、殿に兵たちを労うなり叱咤するなりしていただかなくては困ります。国主たる政宗さまにあっては本隊は大所帯ですから政などを通して御威光が伝わればそれで十分ですが、一部隊にあっては顔の見えない主のために戦うなど、不可能です」
「道理だな――わかった」
兵の士気のためにも、丸投げは許さない――言外の定郷の言葉をしっかりと受け取って小十郎は頷いた。
「では、戻るか」
標郷と秀直の顔も見たい――と小十郎はもと来た方へ、つまり河原に沿う道の方へと戻り始めた。河原を埋める砂利を踏んでいけば、ふと小さな水たまりの前に辿り着いた。
はて、来る時こんなものがあったか――そんなことを思いつつも、小十郎は回りこむのも面倒だと、ひょいと大股にそこを越えた。そこから数歩行ったところで振り返れば、定郷が今しがた、同じ水たまりを飛び越えるところだった。
だが定郷の踏切が甘かったか、ばしゃんと音を立てて夕日の色が落ちて橙に染まる小さな水面が大きく揺れた。
「不覚をとったな」
飛び越えそこねて水に濡れた足に舌うちした定郷に小十郎は思わず笑いながら声を投げた。定郷は主の方を向いて肩をすくめため息をついた後、水を振り払うために足を振った。落ちた水滴が、水たまり大きな波紋に小さな波紋を加え、揺れた。
定郷は濡れた足を見下ろしながらなにやらブツブツ言っていたが小十郎にはよく聞こえなかった。
川も辺りも、水面と同じく夕日の橙色に染まっていた。だが少しだけ、いつの間にか時が進んだか紺の色が東から橙色を侵食しはじめていた。

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