蛟眠る 第六話
 其の壱

この事件で唯一幸いであったといえるのは、離れかけた若い国主夫妻の仲が近づいたことか。生来の優しい気質と、近しい者を亡くすことを知っていた愛姫は政宗の心に寄り添うことができた。もとより、自分の監督の行きとどかなさを嘆き後悔していた愛姫ではあったが、乳母たちを裁き斬らせた政宗を恨むことはなかったのだ――それらは乳母たちの死を悲しまなかったということではない。それら二つのことは全く異なるものだ。かつて蔦が伝えてくれ、と願ったことは事実であったのだ。
それでも妻に恨まれていると思っていた政宗のほうが愛姫の変わらぬ優しさと寛容さに戸惑いを見せ、ときに己の中でそれと折り合いがつかず子供のように癇癪を起こすこともあった。だがこの数年でいとけない姫君から一国の主の奥方へと静かに成長していた愛姫は辛抱強く夫を見守り、そして待った。――夫が己に追いつくことを。
そんな愛姫のおかげで、政宗がこれからつくる家族は幸福になるだろう。
しかし、彼をつくり出した家族の不幸は、輝宗の死を境に一段と色を増すことになった。


政宗の強硬な対外的態度は、家中でも警戒の対象に成りつつあった。いずれそれが内側へと向くのではないか――主君に警戒心を持つ人々はやがて一派となり、政宗の家督相続以来なりを潜めていた輝宗の次男小次郎を当主に据えようという動きが、静かに、だが着実に再び組織化され、日増しにその動きは大きくなっていくようだった。一派の中には敵対することもある最上家出身の気性の激しい義姫に似た政宗よりも、前当主の輝宗の気質を継いだ小次郎に郷愁を覚えたものもいたことだろう。
やがて魚が吐いた泡が水面に届いたかのようにその動きはコポリと表に現れ始め、家中はざわめきを内包するようになった。そのざわめきは次第に大きくなり、事を政宗から隠しきれないほどになった。
「どう思う」
「……」
とある日の暮れ――一日の仕事を片付けて辞する直前、政宗の居室で尋ねられた小十郎はしばし黙した。
「……小次郎様ご本人には謀反などの考えはございませんでしょうが……」
「……本人がどう考えていようと、担ぎ手がいれば御輿は持ち上がる、か」
「はい」
静かに言った主に頷けば、主はもうひとつ問いを重ねた。
「どうするべきだと思う」
小十郎のなかで答えはひとつであった。
「不穏な芽は早々に除くのがよろしいかと」

それから幾日もしないうちに、小十郎は珍しく政宗から暇を出された。
「お前、屋敷のほうはどうなってんだ」
政宗の家督相続後、小十郎にも実家とは異なるごく小さな屋敷が与えられた。そこには佐藤兄弟が詰めており、小十郎は稀にしか顔は出さない。所帯を持たない彼には帰る理由もそれほど見あたらないので屋敷はどちらかといえば住処というより部下たちと兵の詰所となり、彼自身は傅役のときのまま城で寝起きをすることが多いのだ。
「荒れてねぇだろうな」
「そのようなことはないかと……」
「家臣は大事だぞ。たまには“殿”らしくしてみたらどうだ」
そう言われて、小十郎は屋敷に戻ることにしたのだ。休日は珍しく三日与えられた。

 目次 Home 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -