蛟眠る 第四話
 其の三

頼まれたとおり、小十郎が愛姫について「やはり関与はないだろう」と言うと政宗は酷く静かな声で「そんなことはわかってる」とだけ答えた。
――そこから数年、政宗にとっては、いや政宗と家族の縁というものには苦難が付きまとった。
はじめに、二人の心がどうであろうが、幼い夫婦はやはり疎遠になった。無理もないことだ。近しいものの命を奪われた側と、奪った側。それだけは事実であった。一度寄り添い、ひとつになりかけた道はまた離れた。二本の道が平行して先へ向かっているのかすらわからない。あるいはその二つの道が再び交叉することが可能なのかさえ、誰にもわからなかった。
だがそれは、次に政宗を襲った悲劇に比べればまだ目を背けずにいられるものであった。
家督を継いでからの初の城攻めで、若年ゆえに侮られてはならぬ、と逸った政宗は兵だけではなく女子供、犬畜生まで屠った。撫で切りと称される忌むべき行為を、政宗は羽州探題最上義光に向けて「眼前に敵なし、神仏は我にあり」とばかりに誇った――だが神仏は無益な殺生を行った若武者を見ていたか、彼より最も大事な家族を奪うことになる。


隠居した輝宗に小十郎が呼ばれたのはその事件がおこる少し前のことである。
日の残滓が残るころであった。早めにともされた灯りがじりじりと部屋を焦がしていたことを小十郎は覚えている。
御前に進めば、輝宗は困ったように額を撫でていた。
「畠山義継が儂に仲立ちを求めに来る」
「は――」
畠山、とは今政宗が手に入れんとしている城の領主であった。撫で斬りを行った城の主が逃げ頼ったのが畠山である。畠山自体は政宗に投降の気を見せ、領地は差し出すと申し出た。だが政宗はこれにとりあわなかった。進退きわまった畠山は、隠居した伊達家前当主――政宗の父に助けを求めたのだろう。
「領地は差し出すし、自分はどうなっても構わないが、家族と家臣はせめて安んじて暮らせるようにしてもらいたい、ということらしい。……お前から見て政宗はどうだ」
「――少々、急いておられるように思います」
「基信もそう言っておる」
輝宗は深いため息をついた。輝宗は華々しい戦はしなかったが、“外”への興味がなかったわけではない。
「父上は先祖伝来の領地を堅実に御守りになられた、だから自分は外へ打って出れる――そう言われた。しかし、性急すぎる気がするのだ。畠山の申し出は、そう悪いものではなし。むしろ、言葉は悪いが恩を売る機会でもあると思うのだ」
「……はい」
「基信からお前は諸国の事情について引き継いだはず。これは父としての頼み事だが、お前が政宗についてはよく見てやってくれ」
「御意」
前当主としての口出しではないからな、と苦笑して付け加えた輝宗がふと遠くを見た。
「……儂はどうも、これから身をもって政宗に何かを教えることになる――なぜか最近、そんな気がするのだ」
そんな輝宗の様子に、小十郎は胸騒ぎを覚えた。

「梵! すぐ戻れ! 今すぐだ!」
それから数日後、輝宗と畠山の会談の日。畠山が近くに来ることを好まなかった政宗は狩りに出かけた――昼ごろひと休みしているところへ、城に残っていた成実が真っ青な顔で早馬を駆って来た。
「Ah?」
南蛮流の応えで不審そうな顔をした政宗に、成実は下馬もせずに言った。
「おじ上――大殿が攫われた! 早く! 早く!」
政宗は従弟の言葉に左目を見開き、馬を呼んだ。


――ここを超えれば敵の領地だぞ!
川の穏やかな流れる音。それとは対照的に緊迫した声。河原の砂利を踏みしめる無数の音が川のせせらぎの穏やかさに異を唱える。
――親が惜しくて天下を諦めるか! 撃て、撃て、儂に生き恥を晒させるな、お前の足枷にしてくれるな!
引きずられるように国境の川をじりじりと下がっていく輝宗。引きずっていくのは、輝宗に和議の仲立ちを求めに来た畠山であった。なにがどうなって、こうなってしまったのか。温和な輝宗が、畠山を逆上させたとは考えにくい。いや、過日あのように畠山に理解をみせむしろ息子のやり方に眉を寄せた輝宗が畠山を逆上させたとは考えられない。
追いついた鉄砲隊が、前当主の言葉に膝をつき、鉄砲を構える。
「だめだ! 待て!」
だが現当主は命じない。鉄砲隊を制した現当主は、そのまま声を父へと投げる。
「待て、待て、待ってくれ……!」
右目を失うと共に母と疎遠になった政宗にとって、変わらなかった父輝宗は敬愛すべき存在であり、拠り所であった。いつかは越えると心に決めていても、亡くすことは考えたことがない。
父をかえしてくれ、と、歳相応の言葉を吐きだしそうになる政宗の肩を、ぐっと小十郎は押さえつけていた。
「急いてはいけません!」
だがその言葉が政宗の耳に届いたかどうか。
鉄砲隊をねめつけた畠山が声をあげた。
――我も命運尽きたり、慈悲なき政宗、これは神仏の定めしことなり!
言うが早いか、輝宗の喉元にあてられていた刀がすっと動いた。
血潮が吹き出したのかは、誰も覚えていない。ただ、戒めていた者の手の手から離れゆっくりと崩れるように倒れて行く壮年の男の姿だけは、誰の目にも映り、焼きついた。
目を見開いたまま幻のようにドサリと倒れた輝宗に、時が止まる。小十郎の手から力が抜け、解放された政宗が数歩よろめくように前へ進んだ。
そして畠山が自らの首に血に濡れた刃を当てた時であった。
「撃て!」
政宗の怒号が響き、一斉射撃の音が川のせせらぎを打ち消した。

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