蛟眠る 第四話
 其の弐

それから数日して新たに喜多から小十郎と綱元へ知らされたのは蔦のことであった。
他の者たちが一切気にしなかった娘の働きを喜多は淡々と弟たちに語って聞かせた。
まず打ち解けぬ田村から来た者たちに喜多自身が疑問を持っていたこと、次いで蔦を始めとする新参者を乳母たちが不用意に取り込もうとした事、蔦の勘が鋭かったこと、蔦が父が大町の検断職――検断職は町の切り盛り以外にも伝馬の扱いに関わっているのだ――だということを上手く利用して相手に取り入り、書状を預かるまでの信頼を得るところまでこぎつけた事――などなど。
「もちろん、要所要所で私への報告はありましたが――見事なもので」
「女にしておくのがもったいない働きですなぁ」
死罪がでるほどの大事件であった、と言えるにも関わらず綱元は姉の話にのんびりと相槌を打った。
「それほどまでの活躍ならば、やはり殿や大殿に届けるべきかと思いますがねぇ」
綱元が顎を撫でながら不思議そうに言った。
「蔦自身がべつに褒美が欲しくてしたわけではない、というのですよ」
「ふうむ、謙虚なことだ。だが心にはとめておきましょう。彼女の父の功もありましょうな。わたしを呼びつけたのはそういうわけですね、姉上」
「ええ、そうですよ。察しが良くて助かりました、綱元」
たしかに素晴らしいはたらきでしたからなぁ、と呟いた後綱元はちらりと小十郎に目をやった。小十郎は複雑そうに膝のあたりに視線を落としている。綱元はそれが気になったのか、異母姉の異父弟へ声をかける
「――どうかしたのかい?」
「いえ。――蔦殿……は、今いずこに?」
「さあ……どこかにはいるわね」
「――少し失礼いたします」
小十郎はそう言うと、立ち上がって出て行った。喜多はそれを見てため息をついた。
綱元が首をかしげる。
「……まあ、わたしを呼び出したのは褒美云々のことだとしても、小十郎殿のことはどうして呼び出したのですか、姉上」
綱元の言葉に喜多はまたため息をついた。


いつの間にか日が西寄りになっていた。庭へ通じる廊下へ出れば、整えられた石の庭に蔦の姿があった。手近な庭石へと腰かけるところを見て、小十郎は迷うことなく沓脱ぎへと降りていた。
「蔦――、殿」
敬称をつけ忘れて、遅れて足せば驚いたように蔦が振り返った。
「片倉さま」
蔦の声にもはや怒気はなく、やや疲れさえ感じさせるものになっていた。小十郎が歩み寄れば、蔦は立ち上がった。
「あ、いや、そのままで」
だが蔦は首を横に振った。
「数日、取り調べがありましたから、お疲れでは」
「似たようなものを覗き見したことがありますから大丈夫です――検断屋敷で。むしろ父の方が少し乱雑でした」
自嘲するように言う蔦に小十郎は何も言うことができなかった。
「――ですけど、人の怨みを真っ向引き受けるというのは……たしかに酷く疲れるかもしれません」
あの日あの場では毅然とした態度を崩さず、ピンと背筋を伸ばしていた蔦だったがやはり堪えたのだろう。ため息交じりにそう言った。
「怨みなど……あなたは正しいことをした。それだけです。怨むならあちらが間違いだ」
「あちらはあちらで正しいことをした、と思っているのが、難しいですね」
その言葉に小十郎はわずか狼狽し、その様子に蔦はまた複雑そうに笑った。
「……政宗様にかわって、御礼申し上げる」
そんな蔦にどう言葉をかけたらいいかわからず、小十郎の言葉は政宗の威を借りたものになってしまった。政宗自身は蔦に関して何か言っていたわけではない。むしろ政宗は未だ蔦のはたらきを知らないし、もしかしたらずっと知らないままかもしれないのだ。
だが政宗の名は、蔦に別な感情を引き起こさせたようであった。ハッとした顔をする。
「――政宗様はいかがなさっておいでですか」
わずか、詰め寄るように間を狭めた蔦に小十郎は内心身を固くする。どう答えたものかわからずに蔦を見下ろせば、蔦は問いを重ねた。
「姫さまのことをお嫌いになってはおられませんか――」
「――……」
小十郎は答えることができなかった。この度の事は、愛の失態とも読みとれる出来事であった。愛の関与はないと判明したとはいえ、女主人として侍女たちの動向を把握していなかったのは火を見るよりも明らかである。蔦がいとけないと言った年齢は言い訳にもならない。
小十郎が言葉を探している間に、蔦が動いた。優しくすこしひんやりとする手が軽く拳を作っていた無骨な手を取り上げた。蔦はそれを己の額へと引きつけて、懇願する。
「姫さまは誰よりも殿をお慕いしておられます。どうかどうか、それだけは政宗さまにお伝えください――」
どうか、どうか、と言い募る女。優しいその手を握り返したくなったが、小十郎はしなかった。ただ女の手を逃れる寸前、わずかその頬に触れる。一粒流れ落ちた暖かいものを拭うように、だが無意識に動いた手を小十郎は再び体の横へと添えた。
「わかりました。――ですが、心配は……きっと無用かと思います」
小十郎がそう言えば、女はほっとしたように――潤んだ目に安堵の色を載せた。

 目次 Home 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -