蛟眠る 第参話
 其の四

そんな日常を送りながら、ふと、交わりかけた動線のためか、小十郎の脳裏に蔦がよぎることが幾度かあった。季節のごとく暖かくゆるんだ日常が彼の思考をやわらかな方へと押しやったのだろうか。だがそれも一瞬のことで、小十郎は灯りを掲げる蔦を思い出した時はいつもすぐに首を振った。
――火之番であれば会うこともあるまい。愛姫さま付きならばなおさらだ。
小十郎は自分でいつしかそう結論付けていた。もしかしたら、自分をそう納得させていただけかもしれないが。
ところで城で寝起きしている小十郎がいかな政宗命とはいえ、息抜きは必要である。小十郎は城下の外れに畑を借り、そこで土をいじり野菜を育てるのを趣味としていた。笛を吹くとはいえ、風流よりも実家の神社で必要に迫られておぼえたそれよりも、こちらのほうが趣味といえるだろう。
その日も小十郎は暇を見つけて畑に向かった。
さらさらと流れる水路は水かさを増している。燦々と陽光が惜しみなく降る畑に着けばすでに人がいた。
「ああ……灰を入れた方がいいですなぁ」
小十郎が畑に下りれば、土の様子を見ていたその老爺は振り返らずにそう言った。それは請うて来てもらっている畑の指南役の老爺であった。何事にも先達は欲しいというものだ。小十郎はそれを知っていた。
「灰?」
小十郎が問いで返すと、老爺は手の土を払い落しながら立ち上がり振り返った。ハラハラと土は簡単に落ちる。少し乾いているようだった。足で踏み締めれば、確かに水気は少ない。
「ええ……まあ、土のタチがちょっと難儀なものでねぇ、悪くはないんですが。灰を播けばいくらかよくなるでしょう。もし必要でしたら、家から持ってきますが……」
そういう老爺に小十郎はいや、と首を振った。
「灰くらいであれば、城の台所でも分けてくれるはずだ」
こちらでどうにかする、というと老爺はそうですか、と言った。
翌日暇を見つけて小十郎が城の勝手口の方から厨にいけば、珍しいことにそこは空だった。昼餉も終わり、夕餉まではまだ時間がある頃を選べば厨人の邪魔にならないと考えたのだが、少し当てが外れたらしい。困ったと思いつつも、小十郎は中へ声をかけてみることにした。
「誰かあるか」
ガランとした空間にいやに声が響いた。
すると間をおいて、奥からはぁいと声がした。それからひょいと姿を現したのは――なと蔦であった。軽やかな様子でやってきた蔦は、小十郎の姿をみとめると硬直した。小十郎のほうも似たようなものだ。
「……なにか、ご用でしょうか」
堅い口調を柔らかくしようと言う意志を感じられる声色で、冷たい土間の上に満ちた沈黙を破ったのは蔦だった。
「かまどの灰をいくらかもらいたいんだが……」
小十郎が衝撃から立ち直り、そう言うと蔦はひとつうなづいた。
「なににご使用なさいますか?」
「畑の土に蒔く」
短く答えた小十郎に、合点が行ったという顔をした蔦は土間へ降りると小十郎のほうへ近づいてきた。小十郎が再び硬直している間に、蔦は彼の横を抜けて勝手口を出た。それからあたりを見回して首を傾げる。
「……このあたりに、掻きだした灰を入れた壷があったはずなんですけど……もう外へ出してしまったかしら」
城で使う薪の質は、町人や農民たちのものよりも良い。よってそこから生じる灰も質の良いものになる。だから城の厨からは定期的に出入りの灰買いに灰を持っていってもらうのだが、小十郎は折り悪くその後に訪ねてきてしまったとみえる。勝手口の周囲を探し回る蔦に小十郎もあたりを見回した後、ため息をつきながら言った。
「ないなら仕方ない。他でなんとかする。すまなかった」
そう言うと、蔦は頬に片手を添えて小首を傾げた。
「少しお待ちください」
言って蔦は厨に戻ると、土間にひざをついてかまどの中をのぞき込んだ。
「ああ、大丈夫です、片倉さま」
名前を呼ばれて、小十郎はわずかにふるえた。だが蔦はそれに気づかずに、手ぬぐいを取り出してそれで髪を覆いながら言う。
「少しですけど、かきだしても問題ありません。足りないかもしれませんが、お分けできそうです」
髪をすっかり覆ってしまうと蔦がそこで仰ぎみるように振り返り、小十郎は意味もなくうなづいてしまった。それを見て蔦はさっと立ち上がりテキパキと道具を集め始めた。そしてふたたびかまどの前にかがむと、こてのようなもので灰を集め、ざるへと移していく。
「片倉さま、そのあたりに空の壷はありませんか?」
作業しながら言う蔦にまるで命じられたかのように、小十郎は再びあたりを見た。見れば、灰がついた壷があった。それを取り上げて、蔦へと歩み寄る。蔦はかまどの灰をある程度集めた後、ざるの中から燃えかすや燃え残りを素手で取り除いていた。
小十郎はあわてた。
「そこまでしなくてもいい」
それから彼女の側へ壷をおくと、屈んで彼女の手からざるを取り上げた。
「ふるいにかければいいんだ、こんなもの」
それからざっと乱暴にざるから壷へ灰を移してしまう。
「そう……ですか?」
「……たぶん、な」
そこではじめてまともに目があった。蔦は困ったように笑うが、小十郎はどうしていいかわからない。
「……火之番になったと聞いたが、どうしてここに」
聞いたのではなく実際に見たのだが、そう言うしかない。小十郎の問いに蔦は笑う。
「こちらは今日だけです。人手が足りないらしくて……それもすぐに解消されるとは思いますが」
――今はたまたま奥の部屋に私しかいなかったのです、申し訳ありません。
続いて蔦の口を出た優しい謝罪の言葉に小十郎は戸惑った。
「そういうわけでは……」
蔦が苦笑した。それは優しい笑みで小十郎は目をひかれた。だが目が合えば、蔦は顔を俯かせてしまった。
「――手間をかけた」
小十郎はそれだけ言うと、踵を返して勝手口をくぐった。


その日は寝起きをしている部屋の縁の下へ灰の壷を置いておいた。
だが夜になるとどうもその壷が気になった。あたりは平穏な、なんでもない夜だというのに。別に壷の中の灰が妖怪変化するのかという不安などではない。そんな幻想に浸る歳でもない。ただ、蔦が白い手を汚しながらしたように、灰の中から木くずを取り除いた方がいいのか――ということが気になった。しかしながら気になっているのは、本当はそれではないことに小十郎は五度ほど寝返りをうって気付いた。
頭を離れないのは蔦、彼女そのひとだ。
「夜目遠目笠の内」
小十郎はいつか主に言われた言葉を呪文のようにブツブツとつぶやいたが、寂しげに笑う女の顔が余計にまぶたにちらついて余計に眠れなくなった――


再び畑に出た折に老爺に灰を見せれば、老爺はよい灰だと喜んだ。しかしやはり少し量が足りなかったので、小十郎はそれから数度厨に顔を出すことになった。しかし、蔦の言ったとおりだったか、彼女とそこで顔を合わせることは二度となかった。

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