蛟眠る 第参話
 其の弐

だが城と言ってもわりに広い。いや、城だからこそ広いというべきか。
結局小十郎はその後蔦が御仲居になったのか火之番になったのかも知ることはなかった。
ましてや蔦は愛姫――つまりは伊達家の私的領域である奥付きで、小十郎は政宗の近侍であった。表を闊歩する小十郎と裏で働く蔦の動線はなかなか交わらない。さらに言えば、それぞれの主の政宗と愛姫がむこう三年は床共にせずと定められているならばあればそれは尚更であった。
喜多も特に語ることなく、なにやら他の事に気を取られているようだった。政宗から奥で伊達派と田村派の派閥闘争が起こっているようだと聞いた時は思わずこめかみをなでたくなったが、小十郎には関係のないことだったのでそれもそれきりであった。小十郎自身も政宗の元服により傅役から近侍の身になったことで色々と立場が変わり、目まぐるしい日々に追われて奥付きの姉に会ってじっくり話す暇もなかった。
そして季節が変わり、木々がようよう背伸びを始めたある晩の事――
ふと外に動く気配を感じた小十郎は寝支度しかけていた手を止め、腰に刀を佩いて庭へ下りた。だが気配の主は小十郎にとって警戒すべき人物ではなかった。刀はむしろ、その人物を守るために下げたと言っていい。足音を忍ばせ、距離を置いて気配についていく。こういうものを隠せないことに気配の人物の歳相応さを見つけて思わず微笑ましくなるが、本人に知れたらへそを曲げられるだろう。
夜風がわたり、木々が囁いた。鳥は眠っている。星と月は前を行く気配の影を地に落とし、追うべき方向を示す。
そして、気配はやがて、庭を伝って普段は小十郎がほとんど訪れることのない外廊下の近くへと辿り着いた。
「――政宗様」
そこな茂みへ身を隠した気配の正体たる主に声をかければ、政宗はわずかに肩をびくつかせてから振り返った。
「なんだよ、小十郎かよ」
「このような夜更けに何を――しかも愛姫様のお部屋の近くへなど」
小十郎がため息交じりに言えば、政宗はその意味を理解したようだった。そこは確かに、城主とその家族の私的な――というより、もっと言えば女たちに与えられた領域であった。
婚礼の儀の際、愛姫が幼すぎると言った政宗の母義姫は床入りは三年待てと言ったのだ。そしてそれは確かに的を得ていて、正式な夫婦となるには三年待つと伊達家中の者が思っているのだ。
政宗もそれを承知だ。だからこそなのだろう、不快そうに眉を寄せて左の目でジロと小十郎を睨みつけた。
「お前、勘違いするなよ。俺は愛と昼間に賭けをしたんだ」
「賭け、ですか?」
予想していたようなことではなかったと小十郎は内心安堵したが、政宗の眉は不機嫌そうな形を取ったままだ。
「自分の侍女たちは、鼠一匹寄せ付けない、って言いやがるから、じゃあ竜になる俺なら軽々だな、って言ったらアイツ、ムキになりやがったんだ」
比喩とかわかんねーとかガキだよなぁ、という政宗に、そうやって賭けを持ちかけたのは自分だろうにと苦笑して小十郎は問う。
「それで、どうしたら賭けは勝ちになるんです?」
それを聞いて、少しキョトンとした政宗だったが、機嫌を直したらしく月明かりの下ニヤリと笑うと密やかな声で言った。
「アイツの寝所の裏の丸窓のところに辿り着いて、合図してアイツが顔を出せば俺の勝ちだ。簡単だろう?」
「承知。では小十郎はここで見張りをいたしましょう」
仕えはじめたころより、明るくなられた――そんな思いを隠して告げれば政宗は味方を得たりという顔をした。
「愛の寝所まであと少しだ」
「油断はなりませんぞ」
本来ならば諌めなければならないだろうが、もはや傅役ではない。それにこの年下の主にしては可愛げのある賭けに協力してみようという気にもなった。草の香りの強い茂みにて息を詰めていれば、廊下の向こうにぼんやりとした灯りが見えた。おそらくは愛姫が誇った侍女の誰かだろう。灯りは静かに近づいてきて、政宗と小十郎はそれに身を低くした。その時、どちらかの体の一部が植え込みの枝か何かに触れたらしい。かさ、とわずか音がした。
灯りがふと動きを止めたあと、こちらへ近づく速度を速めた。
灯りを捧げ持っているのは、どうも火之番の女らしかった。縁側の沓脱石のあたりで足を止めると、灯りを掲げて庭を見回すようにした。
灯りに照らされた女の顔を見て、小十郎は息をのんだ。
「どなたかいらっしゃいます?」
そして緊張をはらみつつも、優しい声が発せられた。その声に小十郎は身を固くした。茫洋とした灯りに照らされている顔は以前見たより美しい。灯りは彼女の顔に陰影を落とし、それを際立たせている。隣で、政宗が訝るのが感じられた。
「……」
気配を感じているのか、女は去らない。それどころか、沓脱ぎへと降りてくる。動いたためか、火が空気をジリリとなぶる音がした。
わずかだが近づいて小十郎は確信した。蔦だ。
蔦がまた声を出そうと息を吸うのが感じられた。だが、そこへ二つ、新たな灯りが現れる。
「お蔦? どうしたの? 誰かいたの?」
蔦は縁側を振り返り、首を振る。
「――気配はするのですが」
「そう? 猫かしら。お前はまだ慣れていないからねぇ。そんなに緊張しなくてもいいのよ」
言われながら、蔦は縁側へ戻った。三つになった灯りは、ゆらゆらと揺れながら縁側を進み、やがて先で折れて見えなくなった。小十郎は知らず知らずのうちに息を詰めていたらしく、それを見届けると盛大に息を吐き出していた。隣で盛大に息を吐き出されたのをどう思ったのか、政宗がボソリと言った。
「夜目遠目笠の内、っていうだろ、女って」
「――そのようなことではなく……」
だがアレがかつての縁談相手だとどう説明したものかわからず、小十郎は言葉を切ってしまった。その間に政宗の興味は賭けの方へと戻っていた。
賭けは結局、政宗が丸窓を叩いたところでなぜか喜多が顔を出し、夜中に出歩いた政宗と狸寝入りをしていた愛姫がそろって叱られた。小十郎はそれを物陰に隠れて聞いていたが、結局最後に久々の姉のお小言を貰うはめになったのは言うまでもないかもしれない。

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