蛟眠る 第二話
 其の参

幸い、城の中には修練場がある。
場所を移した果たしあい――のような場――には、三兄弟と小十郎がいた。
秀直は真剣勝負を望んだが、城内での流血は避けるべしと小十郎は退けた。
木太刀での仕合いとなった。
さきほどの秀直の大音声の結果、城中にあっという間に話が広がり、手が空いて暇なもの、面白い物が好きなもの、とりあえず職務を放り出したいものなどが修練場に集まってきていた。
――笛吹きが小僧っ子に喧嘩を売られたぞ。
そう面白そうに言うものもある。
小十郎は気にかけなかったが、次第に集まる城仕えの者たちに秀直は少しばかり臆したようだった。一方定郷は泰然と背筋を伸ばしており、標郷は落ち着かなさそうにあたりを見回している。
観衆の中から立会人に手を挙げる者がおり、形は整った。
礼の後、木太刀を構える。切っ先がいくらか秀直の方が低い。
だが先に動いたのは秀直だった。打ちこんで来る一撃目を小十郎は受け止める。
秀直は、愚直なまでにまっすぐに切り込んでくる。小十郎はそれを右へ左へかわす。幾度か木のぶつかる甲高い音が修練場に響いた。
秀直は梵天丸よりは年上で修練の期間が長いからか、主君との稽古よりはそれは難儀であったかもしれない。だがそれも「比べれば」の話で、秀直の剣術は小十郎よりもいくらも落ちる。
右へ、左へ数度避けたところで秀直の剣筋が愚直すぎることに小十郎は気づいた。
――猪突猛進。
良くも悪くもそういう太刀筋であった。
そして再びまっすぐに木太刀が振り下ろされる。小十郎はそれを右へ大きく避けた。さらに二歩右へ動く。すると、秀直の視線がぶれた。それまで視界の中央へ納めていた小十郎の姿が大きく寄ってしまったのだ。目玉が動いて相手を探す。体の芯がそれに従ってわずかにズレる。切っ先はさらに逸れて、小十郎ではないところを睨んだ。
小十郎はあえてその隙をつかなかった。
――やはりな。
そう思っただけであった。
さらに二、三度大きく避けることを繰り返すと秀直の太刀筋はすぐに乱れた。肩で息をする秀直に小十郎は標郷の言葉を思い出す。
――たしか、初陣もまだだった、か。
配分を知らぬ踏み込み。恐れを知らぬ力加減。この修練場においては勇敢に映るだろう。だが、一歩戦場へ出ればどうなる。それは蛮勇ともなる。
――幼い。
小十郎とてまだ若い。しかし、戦場、というより喧嘩の仕方は知っていた。姉は歳が離れすぎているがゆえに隅々まで目が届くとは言えず、小十郎は幼いころから独りで暴力に立ち向かわねばならない時があった。だが秀直は兄二人と歳が近い。雛のごとくその翼の下に護られているのだろうか、殺気も弱く相手を打ち倒そうという気概も小十郎の知るものとは僅かにズレている。
それと剣筋の素直さは梵天丸にも似たようなところがあるのだ。幼さゆえか、それとも保護してくれるものがいるという共通点か。その由来は小十郎にはわからない。
だが、くじかねばなるまい、と小十郎は思った。
直参になるにしろ、小十郎に仕えるにしろ、どの道秀直は伊達家の兵力となるのだ。しかしそれは一度きりの馬鹿力では困る。長く仕え、出陣してこその本当の力である。先ほどまで小十郎の心のいくらかを占めていた生意気な子供を懲らしめてやろうという気持ちは、打ち合ううちに徐々に消えていっていた。このおのこを一人前にせねばならん、と思った。
もともと面倒見がいい男を気取る気はない。とするとこの考えが芽生えたのは梵天丸の傅役を任されたからなのか、それとも伊達家へ仕えるものの自負か。小十郎は自らの中に芽生えたものを不思議に思いつつもそれに従うことにした。
肩で息をし始めた秀直に対し、小十郎はついに踏み込んだ。
二度、三度。力強い木のぶつかる音が響く。
秀直が後退し、彼の手の中では打ち合った衝撃で木太刀が滑る。
だが小十郎は容赦なく踏み込んだ。
再び三度の打ち合い。
やがて刃身がかみ合って拮抗する――つばぜり合いの形になった。
ギリギリと押される秀直の顔には焦りが見えた。
「ひと旗あげる」
小十郎はあえてそこへ低い声を投げた。
「それはお前にとって、死ぬことか」
「なにを――し、死んで――」
「花実が咲くものか、か? だがお前は、死ぬ」
秀直が小十郎の言葉に衝撃を受けた顔をした。その時わずか拮抗がゆるみ、小十郎はさらに刀を押し出した。秀直の木太刀が離れ、たたらを踏みながら彼は後退する。
小十郎はその間にまっすぐに木太刀を構えた。
「今のままでは、な」
肩で息をする秀直が再び打ち込んできた。それをいなして、小十郎は低く構える。
よろりと傾いだ秀直が体勢を立て直すわずか一瞬、小十郎は踏み込んだ。二歩で間合いに入り、振り下ろす。秀直がそれを防ぐ、防ぐ、防ぐ。
「思慮が足りない、踏み込みが足りない、殺気も足りない」
打ちながら言う。秀直の眼だけが僅か動いた。小十郎の顔を一瞬見た後、余裕なく視線は手元へと戻った。
「テメェは今は蛮勇で死んで名前を挙げることしかできねぇよ、しかもそれが轟くのは一瞬だけだ」
「……!」
「鐘を箸で叩くか、撞木で撞くか――テメェが出来んのは箸程度だ」
言うと、小十郎はぐっと木太刀を体に引き付けた後、今までで一番力を込めて凪ぎ払った。
秀直の木太刀はついに彼の手を離れ、高く高く、円を描くようにして飛んでいく。同時に彼自身もぐらりと均衡を失って再びたたらを踏み、後方へと倒れた。かろうじて肘をつき、頭を打ち付けるのは免れた。
カラン、カラン、と床へ落ちた木太刀が音を立てる。秀直はあわてて倒れたまま身をひねり、そこへ向かおうとする――だが
「終いだ」
その喉首に、小十郎の木太刀の刀身が当てられた。
秀直が恐る恐る、首を小十郎の方へと回す。
「――戦場なら、ここでテメエの首が飛んで終いだ」
ピタリ、と凍ったように秀直は動かない。小十郎は木太刀をすっと引いた。そして切っ先を下に、逆手に持ちかえて脇へぶら下げるようにした。
立会人の声無くとも、勝負あり、である。
敗者に向かって小十郎は声を投げた。それは勝者のものというには幾分説教じみており、いささか耳通りも良かった。
「俺の下につくも、直参になるも、お前の自由だ。だがどちらにしろ、死なねえようにしろ。それがひと旗挙げる、かつ御家の助け――伊達の力になるということだ」
秀直はそこでようやっと動き、床の上に胡坐をかいてじっと小十郎を見上げてきた。しばし再び視線の仕合があり――やがて秀直が首を垂れて小十郎のつま先あたりの床を目を移し、ふたたびの勝負はやはり小十郎が勝った。
小十郎も目をうつした。修練場の入口には野次馬が増えていた。その最前列には秀直の兄二人。ため息をついて、小十郎はそちらへ歩き出した。
標郷が頭を下げつつまず道を開け、野次馬がそれに続いた。そして小十郎が通り過ぎる直前、すっと定郷が退いた。
歳の近い二人の一瞬視線がかち合う。
定郷の目には未だ小十郎を値踏みするような色があったが、先ほどと比べればそれもいくらか和らいでいた。だがそれも定郷は一度の瞬きで隠してしまったようだった。彼は弟に遅れつつも、頭を下げる。
そんな佐藤兄弟の横を通り過ぎ、野次馬の海を抜けたところで
「笛吹き、なかなかやりおるなぁ」
というのが聞こえた。


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