蛟眠る 第二話
 其の弐

そのまた数日後、小十郎の城の部屋を二人の男が訪ねてきた。
二人は兄弟で、それぞれ佐藤次郎右衛門定郷、金蔵標郷と名乗った。小十郎より二つばかり歳下の定郷は切れ長の目にあまり表情の読めない顔をしており、そのひとつ下の弟標郷は兄よりは人好きのする顔をしていた。伊達家に仕える武士であった二人は、主の要請により主家を離れて小十郎の――家臣の家臣となるというのだ。
もともと、輝宗の計画では小十郎に所帯と部下を持たせるものであったらしい。
その話がひとつなくなり、もうひとつもなくなるものと小十郎は思っていた――が、佐藤家は特に何も言わなかったらしく輝宗は予定通りにその命を下した。「まあ、弟子でもできたと思え」とは輝宗の言である。しかしそう思うには、標郷はともかく定郷は歳が近すぎる。
「言っておくがいい待遇は期待するな」
縁談を断ったから、こちらは断るわけにはいかず受け入れるしかなかった小十郎が言うと、兄弟は浅く頭を下げた。
「もとより、我らは大殿より、片倉様が若君に心おきなく仕えられるように、と命じられた身。待遇の善し悪しでお仕えすると決めたのではありませぬ」
定郷の淀みない声に小十郎が思わずじっと定郷を見れば、彼はわずか顔を上げ鋭い視線を返えしてきた。小十郎はその定郷の目の奥に何かを推し量るような――いや、値踏みするようなものを見つけて眉を寄せた。
しばし、これから主従に成るべき二人の無言の攻防があった。
そこへ変化をもたらしたのは弟の標郷の快活でどこか陽気な声であった。先に目をそちらへ向けたのは定郷である。
「兄は戦に幾度かすでに出ております。少し前は実元様の軍に加わっております。兄は騎馬をもって槍を振るうことを得意としております。わたしは、どちらかといえば兄よりは算術が得意です。どうぞ適所にお使いください」
「そうか」
標郷の顔を見れば、弟の方には小十郎を値踏み――矯めつ眇めつするような視線はなかった。そして標郷は続けて愛想のよい顔と声で言う。
「実はわたしの下にもう一人弟がおります。初陣もまだですが、稽古でもなかなか度胸のある奴です。弟もいずれ、殿にお仕えすることに――」
「たのもー!」
標郷が言い終わらないうちに、表で騒ぐ声が聞こえた。定郷はそちらへ顔をやり、標郷はわずか飛び上がったように見えた。小十郎は眉を寄せる。
「……なんだ?」
「――末の弟の秀直のようです」
定郷が静かに言った。標郷は目に見えて動揺している。標郷が兄の袖を引いた。
「あ、兄上、どうしよう」
「たーのーもー!」
袖を引くすぐ下の弟の手を見、末の弟の声を聞いた定郷はフウとため息をついた。しかし続けて淀みなく、迷いなく小十郎に告げる。
「末の弟はこの度の異動、納得しておりません」
「……そうか」
わからんでもない、と小十郎は思った。身分は低いとはいえ、伊達家の直参であったのが陪臣に下るのである。主命と兄二人は受け入れたようだが、末の弟は違ったということか。
小十郎はすっくと立ち上がり、障子をあけて庭に面する廊下へ出た。見れば、元服したばかりかという年頃の男児が庭に仁王立ちしていた。どうやって入って来たのか。兄たちに遅れたとでも門番に告げたのだろうか。
「片倉小十郎景綱殿か!」
「そうだ」
「拙者は佐藤大学秀直と申す!」
小十郎は背中に二つの気配が移動してくるのを感じた。そのうち一つが「拙者……って……」と呆れて呟くのが聞こえた。標郷の声だ。兄二人も出てきたのだ。
「秀直、何をしている」
定郷が朗々とした声で言った。すると秀直が一番上の兄を睨みつけた。
「オレは又家来になんかなんねーぞ! 殿のもとで御家を助けてヒトハタ上げるんだ!」
「……」
定郷は表情のない顔で末の弟を見下ろしていた。標郷は頭を抱えている。だが秀直は兄たちの様子を気にもとめず、小十郎に向かってまくしたてた。
「佐藤は伊達家にお仕えしてるんだ! ぽっと出の笛吹きなんかに仕えられるかよ!」
小十郎がピクリと眉を動かした。
笛吹き、というのは小十郎に対する蔑称であった。実家の関係で笛を得意とした小十郎ははじめ輝宗に笛の腕を買われたのだ。その後輝宗の腹心遠藤基信の目にとまり、誠実さと内に秘める才能を見いだされ、若君梵天丸の傅役となった。
その小十郎の出世を快く思わないものが、彼を「笛吹き」と呼ぶのを小十郎も知っていた。
「笛吹きなのは事実だが、真っ向言われると気分がよくねぇな」
声がいくらか下がり、標郷が後ろで震えあがったのが感じられた。だが相変わらず、長兄は泰然としているように感じられる。
「で、何の用だ。不服ならそのまま直参を願い出ればいい。お前の仕官はまだ先だ。俺に喧嘩売ってもテメェの評判落とすだけだぜ」
心配を装いつつ不快を伝える。だが秀直は空気が読めないのかがむしゃらなのか、小十郎に指を突き付けさらに言葉を投げつけてきた。
「佐藤は貴殿に仕えぬ!」
「……」
背後で標郷が「十把一絡げに巻き込むなよ……」というのが聞こえた。だが長兄が動揺した気配はやはり感じられなかった。
「だが! それだけでは殿も納得してくださらない! ゆえに、オレは貴殿に打ち勝って仕える価値なしと証明しにまいったのだ!」
「成程」
短くいって、小十郎は秀直を見下ろした。育ちきらない少年らしさを残す体格は、小十郎よりずいぶんと小さい。威勢だけででかく見えることもあるな、と小十郎は胸の内でごちた。梵天丸ともずいぶん違う鼻息の荒い少年に、小十郎は低い声で告げた。
「それで、なにで証明するんだ」
「互いに武士ならば! 刀だ!」
笛吹きと言ったばかりの口で秀直は今度は小十郎を武士と言った。それが滑稽で、小十郎は一瞬間をおいて吹き出した。
「な、なんだ!」
「いや」
口元を押さえて、クッと笑った後息を整える。
「まあ、いい――相手をしてやる」
場所を変える、木太刀でも持ってくるから先にいってろ――小十郎はそう言って踵を返した。
その時不意に定郷と目があった。その視線はやはり静かに小十郎を見定めようとしていた。小十郎は先ほども感じたそれを確信した。そして定郷の言葉を思い出す。
――我らは大殿より、片倉様が若君に心おきなく仕えられるように、と命じられた身。待遇の善し悪しでお仕えすると決めたのではありませぬ。
翻ってみれば、待遇の善し悪しはともかくとして、命じられたから動いたのだ、という言葉であった。彼らの心中は問われなかったということである。
だが問われなかったとはいえ定郷の心中にも含むところがあるのだろう、と小十郎は遅まきながら気づき、彼の視線の意味を理解した。
――どうやら俺は再び試されているようだ。
だが小十郎は何も言わず、ただ部屋へ戻った。


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