蛟眠る 第二話
 其の一

それから数日後のこと。
小十郎は付添人と共にひと組の父娘と対峙していた。
何も果たしあいではないが――娘と小十郎の間には奇妙な緊張感が漂っていた。
実は黒龍を下賜されたあの場で輝宗に続けざまに「ところで見合いもしてみないか」とあっけらかんと言ったのだ。唖然とする小十郎はなしくずしに見合いをすることになってしまった。
そして、今日がその日であったのだ。その相手が目の前の娘で、大町の検断職を任されている矢内重定の娘、蔦であるという。彼女の隣にいる父はもちろん重定その人である。
重定はちょっと浮ついているようで、口数が多い。反対に娘は黙っている。顔はやや伏せられていて仔細に観察はできないが、醜女ではないようだった。むしろ顔に問題があるのは俺の方か、と男は思う。強面の小十郎である。柔和な顔つきが好まれる昨今にあって、16だという蔦の年頃の娘に懐かれた記憶はとんとない。
――まあ、だから顔を伏せられても仕方ない。
小十郎が娘のつややかな黒髪を眺めながらそう思った時だった。不意に娘がすっと顔をあげた。
色白だが健康そうな肌。紅をひいた唇も艶やかだ。目は円らな、というより少し切れ長で可愛らしいというよりも美しいという形容がしっくりくる。その目が数度瞬きした。まっすぐ見つめてくる瞳に男が少したじろぐと、娘の目がわずか見開かれた。そして柔らかな笑みが目元と口元に控えめに現れて、小十郎はドキリとした。
しばらくして、重定と輝宗から見合いの付添人兼仲人役を任された人物が例の言葉を口にした。さて後は若いもの同士で、というやつである。
そんなわけで、世間の通例のごとく小十郎は重定の娘と二人きりで対峙することになってしまった。
「……」
「……」
重定と仲人の気配が去るまでどちらも口を閉じたままだった。
庭に面した障子は開け放たれており、サアッと風の吹く音がした。雀の遊ぶのんびりとした庭とは対照的に部屋の中はわずか暗く緊張感は相変わらず、いや増すばかりである。
しばらくして、先に口を開いたのは娘の方だった。
「今日はいいお天気ですね」
庭を眺めて世間話をするようにのんびりと言った娘に、小十郎はなんとか「そうですね」と言っただけだった。
「蔦と申します」
そんな小十郎に改めて娘は会釈した。律義に小十郎もそれに返す。同時に頭が上がり、目があった。娘が笑う。
「庭に降りて散歩しませんか」
切り出したのはまたも蔦だった。小十郎は頷いて立ち上がる。縁側から庭へ降りる際、手を貸せば小さくて細いが温かい指先が重ねられてまた小十郎はドキリとした。
「本当にいいお天気」
「畑仕事にはもってこいの日です」
思わずそう返して、小十郎はギョっとした。事前に政宗から言われていたのである。
――いいか、畑とかなんとか色気のないこと言うんじゃねえぞ、絶対だ、と。
女の口説き方に関しては、十も年下だというのに主の方が上である。それを思い出して頭が痛くなったのでこめかみを撫でれば、蔦が心配そうにのぞきこんできた。
「いえ、なんでもありません」
言えば蔦はほっと息をついた。
「畑では何を?」
蔦がそのまま顔をまっすぐに見つめて聞いてきたので、すいと小十郎目をそらした。
「まあ、季節のものを。当たり前ですが」
「すると今は……」
蔦は指を折りながらいくつか野菜の名前を挙げた。確かにそのいくつかは小十郎が育てていた。
「……、詳しいですね」
「厨にも立ちますから、少しだけなら」
「そうですか」
……沈黙。そのまま庭を散策する。お互いに時折相手を盗み見るが、話題が見つからない。小十郎が参り始めたところで、あ、と蔦が声をあげた。娘は思わず立ち止まる小十郎の先を行く。
「この野草、食べられますよね」
数歩先で屈んだ蔦の傍らに行けば、彼女はある草を指し示した。小十郎もその脇に屈む。屈んだ蔦のちんまりとしたその姿にふと目を取られ、護ってやらねば、という気持ちが不意に湧いてきて小十郎は頭を振った。それから娘に答える。
「ああ、確かに」
「天麩羅にすると美味しいです。家ではもっぱらおひたしですが」
「天麩羅だったら塩だな」
改まった口調を忘れて言えば、蔦が間近でにっこりした。あたたかな、春のような優しい笑みだ。その笑顔に一瞬見惚れそうになって、小十郎は目を逸らした。
「蔦殿」
「はい」
そして、蔦の手をとって立ち上がらせる。
「自分は、生涯を政宗様に捧げる所存」
「……」
「ですから良い夫とはなれませぬ。戦場にて果てるか、腹を切ることになるかわかりませぬが」
蔦はまっすぐ見つめてくる。
「今回の縁談は輝宗様の命とはいえ、断っていただくのが賢明かと。こちらからお断りすれば貴方のお名前にキズがつきましょうが、そちらからならば」
そこまで言うと、蔦は苦笑した。
「片倉様、私の歳はお聞きでしょうか」
「……、政宗様より5つほど上と聞いておりますが」
するとくすりと蔦は笑った。首をかしげる小十郎に蔦は言う。
「いえ本当に、若君のために生きておられる方だなと思ったので。……歳を聞いてお分かりかと思いますが、実は破談ならすでに2、3は。先方からのものばかりです。父がよくしゃべってましたでしょう? 父は焦っているようなのです」
先方からの破談と聞いて驚いたのはむしろ小十郎だ。
「ご縁がなかったようなのです」
蔦は気にした風もなく言う。
「片倉様の若君への忠心は聞き及んでおります。若君はご嫡男であらせられますから、家督もいずれ、というお話も。そうすれば近侍なさっている片倉様も重用される、と父が浮かれて」
「……」
さすがにあけっぴろげに言われて小十郎は眉を寄せた。蔦がまた苦笑する。
「父の言いたいことが分からないわけではありません。でも御覚悟をお聞かせいただいて、こちらにそういう心持があったことをお伝えせねば、と思いました」
「貴方もそう、ですか?」
蔦が首をかしげた。
「家と家、ということは頭では理解できますが、よくわかりません」
彼女はそれだけ言うと、ふと小十郎の目をまっすぐ見つめた。
「片倉様の望む望まずにかかわらず、そうなれば禄も所領も増えますね」
「ああ……いえ、はい」
小十郎の律義な言いなおしにくすりと蔦が笑う。また小十郎はドキリとした。
「禄や所領が増えれば、家中の者なども増えましょう。奥、というのはただの負担ではなく、それらを取り仕切るものでもあります。片倉様、所帯を持つということはそれをしてくれる者を迎え入れるということでもあるのです」
言われてはっとしたような小十郎に蔦は付け足した。「母の受け売りですけれど」
それからまた改めて蔦は続ける。
「殿がご心配なさっているのは、なにも世間体などだけではなく、そういうことも含めてではないでしょうか……。差し出がましいかもしれませんが、そういう考え方もある、と考えてみてはいかがでしょうか」
「……、いや、差し出がましいなどと。自分には思いもつかなかったことです」
蔦はまた笑う。
「母の小言も、やはり聞いてみるものですね」
笑う蔦に思わず小十郎もつられた。すると、蔦が目を見開いた。それからまた、優しく微笑む。
「片倉様、笑っておられる方が素敵です」
屈託なく言われて小十郎はまたドキリとした。


それからまた数日後。小十郎は城下の外れのとあるあぜ道に、蔦と共に居た。
小十郎はまっすぐ見上げてくる女の目を見ながら言った。
「俺は、政宗様のために死ぬ覚悟ができている。自分で死のうとは思わないが、求められれば死ぬ覚悟。家も己も顧みる気はない。もともと身一つ以外何もなかったからだ。そんな者を伴侶にすればロクでもないことになる」
蔦はやはりまっすぐ見つめてくる。そして静かに言葉の続きを待っている。小十郎はしっかりと視線を返し、続けた。
「幸せにしてやるとは誓えない。だから――この話は、なかったものとして扱っていただきたい」
蔦はまっすぐに小十郎の言葉を受け止め――そっと目を伏せた。
「――承知いたしました」
女はそれだけ言うと、小十郎に会釈をして踵を返した。その所作があまりにも綺麗で、小十郎はしばらく動くことができなかった。

輝宗の意図がわからず少々困惑していた小十郎に蔦は妻――奥というのは負担になるばかりではなく家政を取り仕切ってくれるものを迎え入れることになるのだ、ということを諭し――本人は母からの受け売りだと言ったが――、同時に小十郎の趣味に関しても理解を示した。そして何より、少ない時間の中で彼女は言葉少なになりがちな小十郎に煩わしくない沈黙と談笑を与えてくれた。
優しくまっすぐな目をした蔦を気に入らなかったといえば嘘になる。
むしろ、好意をおぼえたといっていい。
だが、結局その話は破談となった。いや、小十郎が破談にしたのだ。
小十郎の主の梵天丸は、気に入った女を手に入れないという近侍の選択に呆れた顔をし、縁談を勧めた国主輝宗は落胆したようだった。
「お前に似あいになるような、あの娘以上の娘を探すのは少し難しそうだ」
という国主に小十郎は無礼にならないように言葉を探しながら、やはり自分は所帯を持つつもりはない、と伝えると、輝宗は肩を落とした。
そして国主の前を辞する際、輝宗が
「さて、重定への詫びはどうしようか……」
とブツブツ言うのが聞こえ、さらに申し訳なくなった小十郎だがこればかりはどうしようもなかった。
あの「願い」を見届ける代役となるには、蔦の言葉は正しくとも、自分にとっては妻も所帯も家も足かせになるとしか思われなかったのである――とは、言えない小十郎であった。


 目次 Home 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -