蛟眠る 第一話
 其の五

やがて、そんな梵天丸の元服の儀が決まった。
小十郎が輝宗の御前に再び呼ばれたのは、そんな折であった。
「梵天丸はすっかり良くなったな」
「は」
「少し威勢が良くなりすぎた気もするが――」
そう言って笑う輝宗は満足そうでもあった。
「して」
話を切りかえるようにした輝宗は、控えていた侍従に目配せをした。侍従は一礼して部屋を出る。
「お前にも礼をせねばならんと思う」
「は?」
「梵天丸を苦しめていたものを、命じられたとはいえ取り除いたのはお前だからな、小十郎」
侍従が戻り、小十郎の前に桐箱を置いた。侍従は箱の蓋を外してそこへ置くと、するすると下がっていった。
「黒龍と号す」
箱の中では、豪奢な敷布の上美しい刀が光を浴びて輝いていた。
「黒龍……」
小十郎は刀が放つ波状の輝きに目を奪われる。鉄が多いか、刀身は心なしか名にふさわしく――あるいは名が従ったか――黒いような気がする。
吸い寄せられるように切っ先から見て行けば、はばきのすぐ上の峰に銘がある。
『梵天成天翔独眼竜』
「――……」
「梵天、独眼の竜――」
穏やかな輝宗の声に小十郎は刀から目を離した。
「――となりて――天翔けよ」
「――……なりて、ですか?」
小十郎は国主の言葉にわずか首をかしげた。『成』この字は、願うものではなく、完成したものを言うものの筈だ。それであればこの銘は「梵天は天翔ける独眼竜と成る」と読む筈だ。
「――ほう、気付いたか」
輝宗は面白そうに笑った。小十郎は意図が読めずに困惑する。自分の知識が間違っていたのか――と思ったところで輝宗は刀身に視線を落としながら言った。
「『今』の『儂』はそう読むだけだ。梵天丸とお前は、好きに読んだらいい」
「……」
「ま、こんな読み方をしたら虎哉和尚に大目玉を喰らうのは間違いないから、梵天丸には言わんでくれよ」
からからと笑った輝宗に小十郎は当惑する。だが銘に込められた息子への父の想いだけは受け取れた。
――昇れ、昇れ、どこまでも。竜となって、最も高いところへ行くのだ。
家中では「梵天」という名は梵天丸の母義姫が懐妊した際、白髪の僧から幣束――つまりは梵天――を渡された夢を見たことに起因する、とされている。だが梵天は元をただせば、天竺での最も清い天、あるいは原初の根源を指す言葉である。
竜とあわせて、名と言葉はすべて父から息子への期待の形であった。そしてまた、父は息子が昇り竜となることを信じ、確信している。それが、『成』という一字だろう。
だが今は、まだ素直にそう読むことがまだできないのだろう。だから「なりて――翔けよ」と変則的に音にして、父は願うかたちをとったのだろう。あるいは、父なりの照れがあったか。
「――御意に。しかし――これは、なぜ」
そんな強い想いの込められた刀がどうして目の前にあるのか、小十郎には上手く把握できなかった。
輝宗は困ったように笑った。
「それはお前のものだ、景綱」
その言葉に小十郎は衝撃を受けたように輝宗を見た。輝宗は凪いだ顔をしていて、ひとつの動揺もない。
「儂はあやつが天下をとるところをきっと見る。しかしな、常にあやつの側にいるわけにはいかんだろう? ――だからお前が代わりに見るのだ」
「代わりに、ですか?」
「ああ。そうとも。あれだっていつかは儂に反発したい時が来るだろうし、四六時中一緒にいることはかなわん。――儂も疲れるしな」
冗談かめかして言った輝宗の言葉に小十郎は何故か笑えなかった。だが輝宗は気にせずに続ける。
「だから代わりに、お前がみてくれ。お前はあやつの右腕ならぬ、右目となってくれるだろう? それであれば、できるはずだ。見て、教えてくれ」
「――……。御意」
小十郎は深く深く頭を下げた。
『梵天成天翔独眼竜』
その銘は、父の想いと共に、刀身の銘より深く小十郎の心に刻まれた。
願いを現実にして見せる。そのために梵天丸の右目となろう、という強い決意と共に。

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