魚竜爵馬の後始末
 其の一

豊臣との先の戦から伊達軍が戻り、戦のない日常を取り戻しつつある領内。
主が戻った片倉の屋敷も、家中の者たちが男泣きを終えた後は平穏を取り戻しつつある。
小十郎の妻蔦も数日はいくらか気が抜けたように過ごしたものだが、落ち着きを取り戻すといつもの働き者に戻った。そんな妻を見て今度ばかりは小十郎も登城の間際に
「悪かった」
と言ったものだ。蔦が黙って首を振ると、小十郎は困ったような顔をした。蔦はそんな夫に笑いかけて
「さ、いってらっしゃいませ」
と背中を押したものだ。


それからまた数日後の事――
蔦のもとに国主政宗から登城するように、と命があった。左衛門は留守番をさせること、と付け加えてあったので何か重要なことだろうと感じた蔦は仕立ての良い小袖と打ち掛けでもって城に出向いた。
拝謁の間にてまっていれば、しばらくして政宗が小十郎を伴ってやってきた。蔦は静かに指をつき、平伏した。
「蔦、もういいぜ」
政宗のいつもより真剣で国主らしい威厳を秘めた声に促されて顔をあげれば、正面に政宗が座っていた。
「この度の御帰還、誠におめでとうございます」
政宗の下手、蔦よりは上手に控えた小十郎の気配を感じながら蔦はあらためて頭を下げた。するとやや苦笑したような政宗の声が響いた。
「まあな。今日はお前に礼をしたいと思ったんだ」
「……お礼、ですか?」
蔦が顔をあげて首を傾げれば、政宗は頷いて傍らにあった何かを取り上げた。
「――黒竜」
蔦がその刃毀れのひどい長物の名前を口に乗せると、政宗は左目を細めた。黒竜とは蔦の夫小十郎の愛刀のことで、この度の小十郎拉致事件で彼が残した唯一の物証でもあった。
政宗はその刀を手の中で握り直し、鍔際に目を落とした。そこには銘が彫り込んである。
『梵天成天翔独眼竜』
その銘に秘められた想いについて知っている蔦は何も言わなかった。政宗はそれをしっかりと眺めた後、小十郎の妻を見やった。
「コレを俺のそばに置いとけ、って言ったのは蔦だよな。愛が言ってた。お前の判断、正しかったぜ。コイツにはかなり助けられた」
政宗は軽く刀を振ると、
「小十郎、鞘をよこせ」
と言った。小十郎が用意していたらしい鞘を差し出すと、政宗はそこへ丁寧に黒龍を納めた。それから立ち上がって蔦の目前まで来ると、それを静かに差し出した。
「テメェの旦那に返しといてくれ」
「――かしこまりました」
蔦は恭しく両手を差し出した。そこへ優しく刀が置かれる。ずしりとした重みに少し驚いたが、これは武士の魂である――だから、しっかりとだが優しく、それを握りしめた。
蔦はすぐに立ち上がり、小十郎の傍らに座り直すとそっとまた恭しく黒龍を夫の前に捧げた。小十郎は黙したまま妻の手から左手だけで愛刀を受け取った。蔦が手をひっこめると、小十郎は鞘からわずか刀身をのぞかせた。そこにはあの銘がある。それを確認するようにしばしそこを見つめた後、鈍い光はまた鞘の中へと隠れた。それから妻へと目を移した小十郎と蔦の目が合う。
「見つめ合ってねぇでなんか言ってやったらどうだ小十郎」
ピュウ、という口笛のあとにからかうような主の声が聞こえてきて、小十郎の眉間にしわができた。
「――蔦への謝罪と感謝はしてもしたりないのです」
蔦は夫から目を放して政宗を見て、苦笑した。
「労いならたくさんしていただきました」
「労い? どうせ小十郎のことだ、言葉だけの礼とかだろ。たまには我儘言ってもいいんだぜ」
呆れを含んで見透かしたように言う政宗に蔦は笑った。
「久々にぼうっとして過ごすことを許していただきましたから、十分です」
「欲がねぇなぁ」
政宗は呆れたように言ったが、口元には笑みを浮かべていた。蔦の性分は政宗も良く知っているのだ。そんな政宗を見て、蔦は夫の主君に向き直った。それから深々とまた頭を下げた。
「政宗様にも――御礼申し上げます。本来ならば片倉の不始末は我が家でつけるべきものですから」
額が床につくほど深く頭を下げた蔦に政宗は珍しく戸惑ったようだった。しかし、蔦の隣で小十郎まで黙って頭を下げたので、苦笑するしかないと思ったか。
「片倉で、ねぇ。左衛門に家中の指揮はとれるとは思えねぇし、蔦が勇んで出て行ったところで敵う相手じゃなかったぜ。気にするな、お前が死んだら小十郎が困るし愛が泣く――二人とも顔あげな」
言われて、夫婦は顔をあげた。それを見て政宗は話題をさっと切り換えた。
「それで、だ。礼というにはちょいとばかり妙だが、蔦にやりてぇものがあってな。それで呼んだ」
「私に……ですか? お言葉だけで本当にありがたいのですが……」
戸惑う蔦を気にせずに、政宗は人を呼びつけた。蔦は小十郎の隣から、政宗の正面にまた場所を移す。そんな蔦の前に、桐箱がひとつ置かれた。ずいぶんと高さがあるもので、真四角というわけではなく長方形をしている。
「……これ、ですか?」
「ああ、開けてみろ」
にこにこ、というよりニヤニヤ笑いだした政宗に首をかしげつつ、真新しい桐の箱を留めている紫の紐をといて、蔦は蓋を取り上げた。
「――。まあ」
蔦はしばし箱を取り上げた姿勢のまま、中を見つめてそう言った。
「――?」
まあ、と声を上げたものの合点のいかない顔をしている妻をみとめて小十郎は主君を見やった。
「政宗様、一体蔦に何を――」
すると政宗はニヤリと笑ったまま小十郎に向き直った。
「さっきも言ったろ? 褒美っていうのにはちょいと妙なモンだよ」
「は?」
そんなやりとりの間に、蔦は蓋を置いて箱の中へと手を伸ばしていた。そして中身を取り上げた蔦はソレを見つめながらポツリと言った。
「――左衛門の、魔よけ……でしょうか」
「な、」
妻が取り上げたソレを見て小十郎の顔から血の気が失せた。珍しく青くなった右目に独眼竜は満足そうにして、その妻に声をかけた。
「魔よけっていうか、剣術上達も見込めるな。なんでも牛若丸に剣を教えたのは――その天狗だそうだ」
蔦の手の中には、真っ赤な真っ赤な顔をした天狗の仮面があった。蔦はまじまじと天狗の面を見つめている。小十郎はそんな妻と仮面に血の気が失せたのだ。
「牛若丸! まあ、ではこれは鞍馬山の天狗僧正坊さまなのですね」
――屈託なく天狗を見つめて微笑む妻が憎い。
小十郎の心の内はそんな感じであった。だが蔦は目を天狗に注いでいるのでそれには全く気付いていない。
「前の戦の時に、甲斐で世話になっただろ? その時にな、天の狐と一緒に出てきたんだ。俺は狐とやりあったんだが、そいつも中々手ごわかったみたいぜ」
政宗は馬上でするように腕を組み背筋を伸ばして自慢げに家臣の妻に話して聞かせる。
「甲斐で、ですか?」
幼子の話を聞くかのように優しく目を細めた蔦に政宗は頷いた。
「そうだ。武田のおっさんがな、面白い道場を持っていやがったんだ。狐に天狗、それに火男まで出たんだぜ。crazyだろ?」
「たしかに面妖なお話にございますね」
蔦は南蛮語を解さない筈だが、何故か話が通じている。政宗は得意そうに話を続ける。
「これは天狗と戦った真田幸村にも言ったんだが、その天狗の腕は小十郎と同じかそれ以上、だ」
「まあ、鞍馬天狗さまが小十郎さまと同じくらい? なんだかちょっと大げさ――小十郎さま?」
夫の名前を出されて反射的に小十郎を見た蔦の言葉が止まった。蔦は目をぱちぱちさせたあと、気遣わしそうな表情をした。夫の妙な異変に気付いたのだ。政宗はニヤニヤ笑ったままだ。
小十郎は青くなった後、赤くなって、また二人の視線を受けて青くなった。妻の視線に気づいた後は目をそらしてまた赤くなる。
蔦は丁寧に天狗の面を桐の箱へ戻し、蓋をした。
「小十郎さま、いかがなさいました――」
「Oh, 蔦、大変だ。小十郎は具合が悪いのかもしれないぜ。ちょっと見てやってくれ」
心底心配そうな蔦の声と、どこか芝居じみた政宗の声に小十郎は顔を正面に戻した。
「具合など――」
小十郎が反論しようとするときには、傍らに蔦が戻ってきてしまっていた。
「お怪我をなさっていたのですから、油断はいけません」
妙に強い口調と、左衛門を窘めるときの表情に似た顔をした蔦がすぐそばにあって小十郎は動揺した。その向こうで、政宗がゆっくり腕を解くのが見えた。
蔦はそっと頬に触れた後、小十郎の額へと手を伸ばした。
「熱なんか――」
ねぇ、と切り捨てようとするより早く、蔦が膝立ちになった。それから、コツンという優しい衝撃が額にはしる。
「――熱はちょっとあるようですよ」
風邪をひいた幼子にするように額を合わせてくる妻に小十郎は固まった。
小十郎は蔦が自分に何をしているのか飲み込むことができなかった。
――私的な場所ならまだしも、ここは城で、政宗の前で……――
教えたわけでもなく常に三歩後ろを歩く妻の蔦。でしゃばらず、かと言って卑屈なわけではなく、場をわきまえる片倉の妻。だが今の蔦はどうしたことだ。額を合わせるなど、人前ですることではない。ましてやこの熱の測り方、ちいさな左衛門にするのと全く同じではないか。
小十郎は再び青ざめ、赤くなり、ひょいと乱暴に蔦を突き放した。
「なんでもねぇッ。――政宗様、しばし失礼いたします」
ちょっと姿勢を崩した妻を無視して、主君に前を辞する挨拶をして小十郎は立ち上がった。見れば、政宗はどこかから脇息を引っ張り出してきており、そこへ突っ伏すようにしている。肩はわなわな震えているようにも見える。天狗への反応や、幼子と同じ扱いをうけた己が右目がよほど面白かったか。そして政宗は小十郎の視線に気付いたのか、やや笑いをこらえた様子で顔を上げると
「Love me tender 〜」
などとよくわからない南蛮語を不思議な節つきで紡ぎ出した。
意味はわからないが、からかわれていることは大いにわかったので小十郎は尻もちをついた蔦をそのままにくるりと踵を返して拝謁の間を出た。
――数瞬後、政宗の爆笑が廊下まで響いてきて小十郎は苦い思いを抱えながらズンズンと与えられた私室へと向かったのであった。

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