竜穴に還りて
 其の壱

蔦の夫、片倉小十郎が愛刀黒龍を残して姿を消した。
それとほぼ同時に、小十郎の主君伊達政宗を盟主とする奥州の同盟内で政宗に対する反旗が三方で翻った。
奥州筆頭である伊達政宗は、伊達領内外二つの大難が豊臣の策略があったと知るとすぐに報復に打って出た。
それから幾日――


「殿と旦那さまがお帰りに!」
転がるように厨に入ってきた下男に、夫の不在中も変わらず自ら厨に立つ蔦は包丁を放り出した。いつもの蔦ならありえないことだが、知らされた内容のおかげで苦言を呈する者もいなかった。
「本当ですか」
「今そこまで戻っていらっしゃっています!」
明るい顔でいう下男と沸き立つ女中を制してから、蔦は土間から上がった。
「左衛門!左衛門!」
呼ぶと小さな息子はすぐに飛んできた。誰かが知らせたのか、はたまた屋敷の雰囲気を察したか、すでにその顔は明るい。
「ははうえ!」
「父上がお戻りになられましたよ」
「さえもん、おむかえにいきます!」
父の不在の間、立派に振舞っていた息子は心底うれしそうであった。飛び出そうとする息子を抱きしめて止めて、蔦は言い聞かせる。
「いけません。お城ですべてが終わってからです。殿のご無事を言祝いでからです。父上が戻るのはずっと後ですよ」
言うと、息子は珍しく納得のいかなそうな、だが年相応に不満そうな顔をしている。
「やだ!」
年不相応に我慢してきたものがあったのだろう、左衛門が癇癪を爆発させた。どたんと床に寝ころぶと手足をバタバタ言わせ始めた。
「左衛門!」
蔦が叱ろうと声をあげると、女中頭がそれを止めた。
「奥さまも御心配だったでしょう。さあ、ここはお任せください」
「でも、今日はお戻りにならないかも……」
「そんな無粋な大殿ではございませんでしょう。そうなっても奥方様が一言おっしゃってくれますでしょうし、なにより旦那さまは喜多様に叱られますでしょう」
言われて蔦は戸惑いながら一旦己の部屋へ戻った。襷であげていた袖を戻し前掛けをとり、おむかえに出れると言われて機嫌をなおした左衛門を着替えさせて、ふと鏡を取り上げた。
「……」
目の辺りが少しばかり落ち窪んだ気がする。
疲れの見える己の顔に驚いていると、左衛門がどこから取り出したのかにこにこ笑って紅の入った入れ物を差し出してきた。
「まあ、でも」
母が言うと左衛門は「ん!」と母に紅をつきだした。その様子がどこか夫を彷彿とさせ蔦は笑った。
白粉をはたいて唇に紅を乗せれば、左衛門は満足そうにした。そんな左衛門に草履を履かせてやればあっという間に息子は飛び出していく。慌てて追っていけば、左衛門は一気に城へと繋がる道までたどり着いてしまった。だがそこから先へ行く様子がないので蔦はほっとする。
城での晴れの儀式に褻である左衛門と蔦は入る事は許されていないのだ。
「ここでお待ちしましょうね」
「はい!」
と左衛門は答えて道の先を見つめている。そんな息子を見つめながら、日が暮れ始めたら戻らなければ、と蔦は思う。城では宴があるだろうし、女にはわからない戦の後の処理もある。それを考えれば2、3日は小十郎は戻ってこれないだろう。息子の視線の先に父はきっと現れない。女中頭はああ言っていたが、蔦にはそれがわかっていた。
健気な息子には少し哀れである。蔦は道の端に腰を下ろす。
「左衛門、いらっしゃい」
往来の邪魔にならないようにと息子を膝に乗せる。手遊びでもしようか、と息子に誘いをかけるが左衛門はじっと道の先を見つめていて見向きもしない。そのうちに日が傾いていく。
「左衛門、今日は父上はきっと政宗さまの城にお泊りになりますよ。そろそろ左衛門もお家に帰ってご飯にいたしましょう」
少し気落ちしてきたらしい息子に言えば、息子はイヤイヤをするようにふるふると首を振る。
「左衛門がご飯を食べなければ、父上は困ってしまいますよ。さ、もう後はお家で待ちましょう」
「やだ!!」
左衛門が膝の上で癇癪を起し、手足をばたつかせた。小さな手足が蔦の頬や腿を打ち母もさすがに眉を寄せた。そんなふうに膝の上でじたばたする左衛門を抱え上げて蔦はもと来た道を戻り始めた。すると左衛門は母の手を逃れようと必死になる。だが未だ小さい左衛門は、母には決して敵わない。抱えられた母の肩越しに城は遠ざかっていく。
それを見て肩の上で泣き声をあげ始めた左衛門の背をあやすように優しく叩きながら、蔦まで泣きたい気分になってきた。
――御無事であるなら、せめて一目だけでもと思っているのは私も同じ。
「左衛門は武士の子でしょう……」
静かに言うが、泣く子の耳には届かない。困り果てて立ち止まる。ぎゅうと息子がしがみついてきた。
あーんあーんと泣く子を揺さぶってあやす。
「母も我慢しているのですよ?」
顔を見ていっても左衛門は首を横に振るばかり。よしよしよし、と健気な息子をまた抱き直す。なんだかじんわりと眦が熱くなってきて、蔦はきつく目を閉じた。

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2010年9月26日初出 2011年4月17日改訂 2011年4月24日再改訂
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